渾身の一冊『朝日新聞政治部』は発売前から注文が殺到し、5月27日の発売日に第3刷が決定しました。みなさま、本当にありがとうございます。
一方、アマゾンなどのネットサイトには予想を超える注文が相次いだため、発売日から品切れ状態になってしまいました。たいへんもうしわけございません。
私が都内を歩いたところ、主な書店の書棚には並んでいました。アマゾンでも電子書籍の購入はできます。すこしでも早くお手にしたい方は、最寄りの書店や電子書籍でのご購入をお願いします。
5月26日へ日付が変わると同時に『朝日新聞政治部』はKindleで配信されました。朝日新聞の入社同期である貫洞欣寛(かんどう・よしひろ)さんはさっそく読んでくれました。
彼と私はそれぞれ別の理由とタイミングで朝日新聞社を去りました。彼は今、BuzzFeed Japanニュース編集長を務めています。
本書の第一章では、私が1997年春、初任地の茨城(水戸支局)から社会部の牙城である横浜支局へ異動する予定だったのに、大物政治記者が支局長を務める埼玉(当時・浦和支局)に土壇場で変更になったこと、それが政治記者となるきっかけになったことを記しています。貫洞さんはその経緯に衝撃を受けたのでした。
貫洞さんは読み始めてまもなくfacebookに投稿しました。おそらく真夜中の2〜3時のことでしょう。
ここに引用させていただきます。
新聞社の同期入社で、それぞれ別の理由とタイミングで社を去った鮫島浩記者が出した著書が、予約していたKindleで配信されてきた。そこで、20数年前の自分の社内異動の真相を、初めて知った。1997年春、僕は横浜支局に異動した。しかし当初は、埼玉に行くと聞いていた。要するに、社会部向きと見られていた僕(ホントは最初から中東特派員になりたくて記者になったので、その人事ルート上の障害となり得る社会部にだけは行きたくなかったのだが)と、政治部向きの彼の間で、人事の入れ替えが起きていたようだ。当時の浦和支局長は名古屋社会部のデスクとして、初任地岐阜時代にちょっとお世話になった。もしサメが横浜で、俺が浦和に配属されていたら、それぞれの記者人生は、どうなっていたんだろう。いまと同じだったのかなあ。県警本部長を夜回りする「上取り」のサメの正反対で、典型的な「下取り」(複数の下っ端と親しくなりネタを集める)記者だった自分が政治部に行くことは多分なかっただろうが、今頃どこにいてどうしてるだろうか。BFJ という同じ場所にいるだろうか。ちょっと遠い目になり、そして深夜に目が冴えてしまった。
人生とは不思議なもの。自分の知らないところで自分の道筋が決まってしまう。よもや彼と私の人事が入れ替えになっていたとは!
思い起こすと同期入社80人ほどのなかで、彼と私は最初から独立心旺盛だった気もします。彼が埼玉(浦和支局)へ、私が横浜へ異動していたとしても、今となっては二人とも会社を離れていたような気もします。
自分の知らないところで敷かれる人生のレール。それに乗せられたとしても、やはり、そのまま歩むのか、そこから降りるのかは、自分自身で決断できることなのです。
ちなみに貫洞さんは『朝日新聞政治部』読了後に、以下の感想を投稿してくれました。
これはいわゆる「暴露本」では全くない。時に一人称、時に三人称で描く、一つのルポであり、コラム集でもある。
私も、彼も、管理統制の強まる朝日新聞社を離れ、「自由」を手に入れ、いま、主体的に生きています。
貫洞、ワクワクするメッセージをありがとう! 眠られなくしてしまって、ゴメンね!!
さて、『朝日新聞政治部』先行公開の第6弾は「吉田調書事件」の山場である木村伊量社長の衝撃の記者会見とその舞台裏。その後に私たち取材班を襲った苦難の日々。
私にとっては思い出したくない記憶。まさに主人公が奈落の底に転落するクライマックスともいえる場面。私が悶絶しながら文章を絞り出した本書の核心部分を惜しげもなく先行公開する講談社の担当編集者・山中武史さんの勝負勘!
ここは解説抜きで読んでいただきましょう。ウェブサイト「SAMEJIMA TIMES」を創刊し、ユーチューブにも参入しながら、紙文化をこよなく愛する私としては、写真や広告のない縦書きの単行本で読んでいただきたい渾身の場面ですが、まあ、よしとしましょう。
こちらも今月末までの期間限定公開です。お見逃しなく!
特別公開、明日はいよいよ最終回「終章」です。私がもっとも好きな稿です。おたのしみに。
最後に追加。サメタイの記事を毎日手弁当で校閲してくれている北海道在住のSさんから『朝日新聞政治部』の書評が届きました。おそらく世界でもっともはやいこの本の書評です(笑)。以下、紹介します。
●『朝日新聞政治部』が、私に語りかけて来たもの
私が、今年の3月中旬にアマゾンで注文した際のタイトルは、『朝日新聞が死んだ日』。ただ4月に入り、ウクライナ戦争の最中に「死んだ」はまずいという判断もあったのだろう、変更になっている。
おそらく筆者が一番に伝えたかったのは、朝日新聞社という巨大メディアで、マスメディアとしての権力監視機能が潰えたことを、当事者として我々に知らしめたかったのではないか。
それを裏付けるかのように、本書の中ではメディアと権力との関係において、実に驚ろ驚ろしい激しいやり取りが伺える。
過去の慰安婦報道を誤報と認めることは、王様は裸だと認めることであり、「吉田調書」を誤報や捏造と揶揄する政権その他からの攻撃に屈することは、同調圧力に屈することであり、池上氏のコラム掲載を社長自ら拒否したことは、批判や反対を受け付けない傲慢な姿勢そのものであろう。
つまりは「序章」の中で、奥様が喝破した『傲慢罪』によって、朝日新聞社そのものがジャーナリズムから逸脱し、死んだも同然なのだ。
ところで、コロナ禍によって暴かれた様々な事柄がある。国民の命の危険よりも利権を追い求め続ける政府自民党や、IOC(国際オリンピック委員会)の胡散臭い実態等々。そういう時代の中で、おそらく筆者は人としてジャーナリストとして、本当に何が大切なのかを知ったのではないか。
そういう気づきのようなものに思い至る何かを、私に語りかけて来たように感じるのだ。
この本を読むことで、私自身が持ち続けて来た問いに、ようやく答えを見出した思いがする中、ぜひ皆さんも本書を手に取っていただき、あなた自身の持つ問いに対する答えの一つでも多くを、この書籍から得ることが出来れば良いだろうなと、心から願っている。