ジャニーズ事務所に所属した者たちが少年期にジャーニー喜多川氏からの性的行為を受けていたと告白し、裁判でもセクハラ行為が認められたにも関わらず、NHKを始めほとんどのメディアが20年もの間、この事実を報道してこなかったーーイギリスの公共放送であるBBCと、オーストラリアの公共放送であるABCが、ジャニーズと日本のメディアの歪んだ関係を報道しました。
性的虐待犯罪になりうる問題は世界各地で起こり、多くのメディアが撲滅に向けて報道を繰り広げる中、日本ではほとんど興味が示されず、大半のメディアが報道してこなかったことが、BBCやABCの問題意識を刺激したのでしょう。
セクハラや虐待は思わず顔を背けたくなる、聞きたくない、問題にすること自体が恥ずかしい、関わりたくない、黙っていた方が無難だーーと私も思っていました。しかし、多数がそう思い、黙りこむことは、それを許し、野放しにし、ますます被害者を生み、陰湿な社会をつくるのだと思うようになりました。
オーストラリアでは、Grace Tameさんが、精神的にもろかった中学生時代に教師から日々受けた性的虐待を告白し、立ち向かい、州の法律を変え、裁判で勝利を得ました。その後、児童性的虐待撲滅のための組織を立ち上げ活動を続けています。Tameさんのストーリーは、多くのメディアで、継続的に広く報道されました。
Tameさんは、この大きな貢献が認められ、2021年最も活躍したオーストアリア人に選ばれました。地域への貢献者、年配、若者の中からも選ばれ毎年賞が贈られます。これらは、有名ではないけれど、一般人の中から国や地域に貢献している人々から選ばれます。大切なことは有名になることではない、と教えられます。
Tameさんは、授賞式で次のような力強いスピーチを送りました。
彼は、誰にも言うな、音を立てるなと言いました。でも、私の声を消えることのない、広がるコーラスの中の一つとして使います。彼は私に犯した犯罪を素晴らしい羨ましがられるものだとも説明しました。法律に縛られ、声を上げることができませんでした。
私たちはここまで、辿り着きましたが、まだまだ多くの分野で努力が必要です。児童性的虐待とその文化は、その存在をまだ許しています。性的虐待やその継続的影響は広く理解されていません。トラウマは差別をしない、虐待自体が終わっても終わらない。
原住民、障害者、LGBTQIコミュニティ―、他の周辺へ追いやられた人々のグループは、公正を獲得するために、更に堅いバリアに直面しています。どの声も大切です。
確かに、児童性的虐待を語り合うことは不快です。しかし、虐待自体ほど不快なものはありません。この不快さの方向を罪があるべき加害者の足元へ向かうよう方向転換しましょう。一緒にサバイバーの意味を再定義できます。一緒に児童性虐待を消滅することができます。サバイバーは、私たちの声が歴史を変えていることを誇ることができます。11年前、拒食症と筋肉の萎縮で入院し歩くことができませんでした。しかし去年マラソンで優勝しました。個人を変換させることができます。コミュニティーもです。初めて被害を告白した時、恥知らず、とあざ笑われました。しかし今、私の真実は再び私たちが結びつくことを助けています。私は私が誰か知っています。サバイバーです。タスマニア人であることを誇りに思います。
日本のTVとオーストラリアのTVの内容が違うことに気づきました。
オーストラリアでは、芸能界とかタレントというものを聞いたことも見たこともありません。通常、TV局に属するプレゼンテーターやジャーナリストが番組を進行しています。内容はニュース、ドキュメンタリー、ディスカッション、芸術文化、映画、ドラマなどが主流です。専門家、政治家、一般の人々、アーティストなどがゲストで出演します。教育的配慮もされて、全体的に落ち着いた雰囲気だと感じます。CMも有名ではない、様々な人々が起用されています。
プロダクションに所属し芸能界で有名になり活躍することは、夢や希望を与える反面、過度の有名人願望や自己犠牲、競争で引き起こす深刻な害についても考えて、将来のある子どもたち、若者たちを守ってほしいと思います。
オーストラリア国営放送ABCは、ベテランのジャーナリストとしてSamejima Timesの鮫島氏を紹介し、次のようなコメントを記事に掲載しました。
ジャーニーズは日本のエンタメ界で、最も強くパワフルなエイジェンシーで、多くのスポンサーがジャーニーズのタレントを使っている。実際彼らを使えば、TVは高い視聴率を得ることができるし、嫌われればスポンサーを失う。ジャーナリストは、よくトップ ダウンで情報を得ている。ほとんどは、情報源を失うことを恐れて問題を起こしたくないので自己規制が働いている。広い分野において本当に不都合な問題は、報道されない。
「沈黙は容認だ」「沈黙は共犯だ」という言葉に触れることがあります。
この硬直し機能を果たしていないジャーナリズムが、多くの不正や犯罪を見て見ぬふりをし放置して、本来の役割である社会貢献ではなく、逆に悪影響をも及ぼしているように見えます。
Tameさんが、また犯罪や不正、不公平が普通であるような社会、政治を語ることを拒否することが問題だとも指摘したのは、この事だと思います。
ABCの記事では、喜多川氏の葬儀には多数のファンが詰めかけ、喜多川氏の業績を称え、当時の安倍首相は哀悼のメッセージを送り、氏は勇気と激励の源であったと称えたことが伝えられました。
その後に同記事には、学者でジャーナリストのアイルランド人David McNeillさんのコメントも掲載されました。次のような内容です。
私が最もショッキングだったことは、喜多川氏死後のメディアの対応だった。性的ハラスメント問題が洪水のように明らかにされると予想していた。しかし、多くが知っているにも関わらず、一つのメディアも、怖くて語ることができない問題があったことに触れなかった。日本の「死んだ人を悪く言ってはいけない」という文化を教えられたが、全然納得できなかった。彼は、誰かのおじいさんではなく、有名で社会に大影響を与える人だ。メディアは言い訳と文化的タブーの裏に隠れたのだと思う。なぜなら、いろんな意味で不快な事だからだ。彼らはみんなが知っていることなのに、知らせることを拒否したんだ。喜多川氏のストーリーでこれが、私にとって最も驚くことだ。
被害者を救うことなく、自己利益のために報道しなかったのなら、メディアも「略奪者predator」ではないでしょうか。
日本は先進国の中では少ない死刑があり、世論もそれを支持している稀な国です。問題を解決し未来を良くするのではなく、大切な命を奪ったり、失ったりすることで簡単に終結させても問題は残ったままです。それは、命の軽視にも繋がっているのではないかと思えてなりません。
オーストラリアで最も知られる児童性的虐待は、カソリックのキリスト教内の加害です。最高職に就いていたGeorge Pell牧師は、教会内の数々の児童性的虐待を知っていながら放置し、2017年自身も加害者として有罪となりました。
しかし、その葬儀に自由党(裕福層派)の2人の元首相と現代表が出席し、Abbott元首相は、Pell牧師の残した功績は偉大だと称え、虐待の罪には触れませんでした。自民党や安倍元首相と似ていると思いました。労働党のAlbanese首相は葬儀に参加しませんでした。Victoria州で3期目を務めるDan Andrews知事(労働党 )は、「何千もの被害者の苦悩を思うと州で葬儀を開くことはできない。彼は聖職者というより『略奪者predator』だということを決して忘れてはいけない。葬儀参加もしない」と明言しました。
Andrews知事は、前首相Abbott氏(自由党)がPell牧師に刑務所で面会したことを、被害者のことを考えれば、前首相として取るべき行為ではない。自分がAbbott氏の代わりに謝罪すると痛烈に批判しました。
また、Pell牧師の葬儀の日に教会のフェンスに人々が集まり、性被害者の人々のために、カラフルなリボンが結ばれました。Every Ribbon Has A Voice一つ一つのリボンに声があるというメッセージでもあります。
今滝 美紀(Miki Imataki) オーストラリア在住。 シドニー大学教育学修士、シドニー工科大学外国語教授過程終了。中学校保健体育教員、小学校教員、日本語教師等を経て早期退職。ジェネレーションX. 誰もがもっと楽しく生きやすい社会になるはず。オーストラリアから政治やあれこれを雑多にお届けします。写真は、ホームステイ先のグレート オーストラリアン湾の沖合で釣りをした思い出です。