前回は、ジャニー喜多川氏の性的虐待疑惑を報道しない日本のメディアについて、ABC(オーストラリア公共放送、日本のNHKに相当)のJames Oaten氏の記事を紹介しながら書きました。今回は、日本の主要メディアや政治家たちが「中国との緊張が高まっている」と強調していることについて書きます。
オーストラリアでは、違う現象が起こっています。主要メディアの報道内容の違いによるものだと思われます。
ABCのOaten氏は、石垣島での日本の軍事基地設立についても報道しました。『なぜ小さな島々に城塞をつくるのか?なぜそれらは一大事なのか?Why Japan is fortifying its small islands. And why is it such a big deal?』という30分の映像はYoutubeで公開されました。 約1か月で460万回再生され、6千を超えるコメントを集め、海外からも注目を浴びています。
氏は以下のツイートで「日本の小さな石垣島は戦争の恐怖を耐え抜いた。今、二つの大国の間で再び恐怖に包まれている」「何が日本に再び巨大な基地をつくらせたのか?」と読者に問いかけています。
この報道は、基地の説明に加えて、様々な立場の人々〜7歳の時に妹を失ってマラリアの蔓延るジャングルに追いやられながらも過酷な戦時を生き抜いたヤマザトセツさん、尖閣諸島周辺で漁師を営むナカムラヒトシ さん、Uターンしてマンゴー等の果物農園を営むキンジョウリュウタロウさん、母の反対を押し切って15歳から自衛隊に入り水陸実践訓練を積むイワイショウゴさんら〜の声を伝えています。
記事を要約すると以下のような内容になります。
日本は第二次世界大戦後、最大の軍事拡大に着手しています。この国に根ざした平和主義を変革しようとするものです。
戦時中、極度の残虐行為に耐えた沖縄では、平和主義が特に深く根付いています。
リュウタロウさんは、基地は石垣島の人々を分断し、親しかった友人や家族との関係を断つと訴えます。中国の台頭に対抗するために基地は必要だとして賛成する人々と、日中の対立を引き起こす恐れがあるとして反対する人々との間で分断が進んでいるのです。
セツさんは、太平洋戦争は終わったはずなのに、そうは感じられません。二度とあのような戦争を起こしてはいけないけれど、私たちに終戦は訪れていないと考えています。「基地は最初に標的にされる」と訴え、賛同する住民と反対運動を日々行っています。「戦いに疲れませんか?」という問いに「ありえません」と優しい笑顔で答えました。他の反対者は「私たち小さな力だけど、がんばっているんです。最近の新聞はまるで石垣が戦場になるのは火を見るより明らかだと伝えているようで、増々腹が立ちます」と伝えました。以下はセツさんを紹介するツイートです。
ヒトシさんは「尖閣諸島に中国の海警船が現れ、日中間に緊張が走りました。私たちは中国は素晴らしい国だと言ってきましたが、今は弱い国いじめています。日本の漁船を追い回すのは正しくありません。大げさではなく、いつ攻撃されるか分からない状況です」と訴えます。以下はヒトシさんを紹介するツイートです。
リュウタロウさんは、住民に意見を聴くことなく工事が始められたことに不満をもち、2018年に有権者の1/3以上、1万4千人の基地反対の署名を集め、賛否の住民投票を求めましたが、国家の安全のために必要な工事だったとして却下されました。
よく日焼けした自衛隊員のショウゴさんは「心配はあります。しっかり訓練をして、母には生きて帰って来るよと伝えています」と語りました。生活苦の人々が増える中、巨額に膨らむ防衛費を使うことに、何の意味があるのかという疑問もあります。
日本が本州から遠く離れた島々を最先端の軍事基地に選んだ理由は中国を封じ込めるためでしょう。戦争で悲惨な経験をした沖縄には今、米国にとって重要な軍事基地があります。日本に30の軍事基地を共有している米国は東アジアでスーパーパワーを維持してきましたが、中国の急速な台頭にさらされています。日本は安倍政権下の2014年に憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にし、米国とより緊密な関係を築きました。
私が不思議に感じるのは、日本の主要メディアや政治家たちが中国と台湾を煽って軍事衝突させ、そこへ進んで巻き込まれようとしているように見えることです。
日本は1978年に日中平和友好条約を結び、中国と台湾の関係について「一つの中国」を尊重し、平和な東アジアづくりを目指してきたはずです。なぜ平和外交を継続しないのかーー豪メディアが日本の変化に着目した理由はそこにあります。
オーストラリアでは1月に在豪の中国大使と日本大使が火花の散らせる場面があり、主要メディアでニュースになりました。
もう一つの公共放送であるSBSによると、中国大使Xiao Qian肖千氏は新年の記者会見で次のように述べました。
日本は第二次世界大戦で豪州本土を攻撃し、捕虜を残虐に扱いました。許せないことです。今なお謝罪していません。歴史を忘れると、同じ過ちを繰り返します。日本は素晴らしい国ですが、豪州は日本からの潜在的な軍事的脅威に警戒する必要があります。日本大使は、中豪関係について歪んだ見方をしている人々の誤りをただそうとしません。
これは、間接的に日本への忠告とも受け取れるのではないでしょうか。原爆を落とされて、未だに謝罪されていない、それどころか、戦勝国は終戦のためだと正当化しているのです。
中国大使は「中国と豪州の関係は、紆余曲折して後退したこともあるが、今は安定期に入っており、今後はより発展していくだろう」とも述べています。
ABCは、中国大使の発言に反論する日本大使のインタビューを報じました。大使は「困惑している。第二次世界大戦への言及は逸脱している。現在の問題は80年以上の前のことではない。この地域にある強制と脅迫をどう対処するかだ」などと発言しました。
原爆投下しても日本に謝罪しない、最大の同盟国と同じ態度のように思えます。
中国は世界大戦で、西側諸国と日本から攻められ、国土を破壊され、数えきれない人々の命を奪われました。豪州では、今なお中国に厳しい態度をとる日本の態度が指摘されています。(こちら参照)
そして、中国は今でも世界大戦の悲劇は昨日のことのように感じていると聞きます。それを思うと、中国が一党主義で団結し、国を発展させ強くし守ろうとしているのは納得できます。世界大戦以降、国境付近の摩擦を除いては、戦争を犯していません。
以下のツイートは中国周辺につくられた米軍基地と主要国の軍事費用を示しています。中国が他国を脅かすというよりも、脅かされて、自国を守るために、軍事を強化しなければならない状況が理解できます。
民主主義という名のもとに不正と隠蔽を重ね、貧困が増え人口減少で衰退している国が、世界一の経済国に成長している一党制を批判しても、説得力はないでしょう。戦時中に一部の政治を動かす人々が敵国だけでなく自国民をも無残に扱ったことが、今の日本に重なります。
3月20日のGuardianガーディアンによると、豪州で「中国を直面する脅威だ」と見ている人は5人に1人だという世論が示されました。興味深いことに、日本での主要メディア、政治家、SNSによる激しい中国批判とはまったく反対です。
前回紹介したビクトリア州知事と西オーストラリア州の知事は、ビジネスの再開に向けて近々中国を訪問します。「大切なのはイデオロギーではなく国益だ」と言われています。
西オーストラリア州知事Mark McGowan(労働党/庶民+社会派)は、2021年州選挙で59議席中53議席を獲得し、豪で絶大な信頼と人気を誇る知事です。ゼロコロナに対するメディアの激しい攻撃に負けず、人命を大切にし、生活や医療を守って経済を発展させる結果を残しました。McGowan知事の功績と好印象は、2022年の国政選挙で労働党が政権交代を果たせた、欠かすことのできない要因だと見られています。
コロナ禍に前首相Morrison氏(自由党/宗教+裕福層派)と前防衛相らが、中国をコロナの発生起源だという激しく批判した結果、中国は豪州との貿易を閉ざして経済的損失が広がりました。それでも前首相は「自分たちの価値をトレードしない」として打開に動きませんでした。岸田首相や前述の日本大使、ゼレンスキー大統領の姿と重なります。
McGowan知事は、この前首相を激しく非難しました。「国の政権が中国との争いを扇動し戦争の準備をするなんて、私の人生の中で聞いた一番、非常識なことだ。全く正気を失っている。止めてほしい。国益に全く反する。価値をトレードしたりしていない、デモクラシーを維持するのは当然だ。約10兆円の最大の貿易相手との関係を失おうとすることは経済の悲劇だ」という内容です。知事は「(どの国も違うしパーフェクトではない、人権問題や様々問題があるのに)なぜ特定の国だけ一本釣りで攻撃するんだ」とも批判しました。その後の国政選挙で自由党は大きく議席を減らし、下野しました。
岸田首相の外交次第で、日本の未来が大きく左右される局面かもしれません。日本の外交力不足を補うため、台湾と中国が賢明に判断することも願っています。
※以下の写真は、街角で見つけた原住民アボリジナルの人々の旗を表す壁画です。赤は大地とつながる精神、黒はアボリジナルの人々、黄色い円は太陽と続く命の再生を表しています。
今滝 美紀(Miki Imataki) オーストラリア在住。 シドニー大学教育学修士、シドニー工科大学外国語教授過程終了。中学校保健体育教員、小学校教員、日本語教師等を経て早期退職。ジェネレーションX. 誰もがもっと楽しく生きやすい社会になるはず。オーストラリアから政治やあれこれを雑多にお届けします。写真は、ホストファミリーとグレートオーストラリアン湾の沖合で釣りをした思い出です。