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こちらアイスランド(9)アーティストと直接話せる国〜小倉悠加

アイスランドはいろいろな場面で風通しがいい。音楽シーンにもそれが当てはまる。

海外の音楽を扱う際、とてももどかしいのがアーティストの扱いだ。インターネットが普及し、誰でも音楽の発表の場を持てるようになった今となっては、笑われそうな大昔の話だけど、少し我慢しておつきあいください。

どの業界にも関係者だけが知る作法や慣習があるように、音楽業界のしきたりは、かなり悪名高い部類に入るのではと思う。それが最も顕著なのは、大人の事情がからむ邦楽で、その点、海外のアーティストは日本国内のしがらみがない分、楽ではあった。

大学卒業後に勤務したレコード会社は、当時としてはメジャーな部類に入っていた。この会社は私が去った後に統合・合併を繰り返し、現在ユニバーサル・ミュージックになっている。音楽業界では通称「六本木レコード」と呼ばれ、六本木の交差点から歩いて数分のところに社屋があった。

新卒で最初に担当したアーティストの中に、デビューを控えたボン・ジョヴィがいた。正確に言えば、アーティストの担当ではなく、担当のアシスタントだった。いまや東京ドームを埋めるほど巨大になったボン・ジョヴィ。その初来日の、中野サンプラザ公演の楽屋の雰囲気や、読売新聞のインタビューで通訳をしたことなどは、なつかしく、楽しく思い出す。

海外のアーティストとのコミュニケーションが、思いの他厄介なことは、レコード会社に入りまず知ったことのひとつだったは。それは言語の違いではなく、しきたりのせい、とでも言おうか。業務上、必要性があれば、アーティストと直に話ができるよう、取り計らうことはできるが、そのためには壁をいくつも乗り越える必要があった。

例えば日本のレコード会社の宣伝担当が、海外のアーティストと日本の雑誌のインタビューをセッティングする場合、だいたいこんな経路を通る。宣伝担当→日本のレコード会社の国際部→海外レコード会社の国際部→アーティスト担当→アーティストのマネージャー→アーティスト。返事も同じ経路を通って返ってくる。もどかしい。せめて、日本の国際部→海外アーティストのマネージャーの2ステップ程度にできないものかと思うが、それを実現させるためには、本来その間に入るべき担当者全員に連絡を入れ、彼らを通さず物事を行うことの事前承認が必要になる。

来日公演などで面識を作り、直接アーティストに連絡を入ることができればと思もうが、それも実はNGとされている。仕事の物事は、清く正しい政治ルートを通す必要がある。中に入るべき担当者を通さずアーティストと直接話をしようものなら、その後、どのようなクレームがつくともしれない。

アーティストの来日で、青ざめた出来事がある。

カーペンターズのリチャード・カーペンター一家と私の家族は顔見知りだった。まだ幼児だった息子と彼の父親を伴い、ロサンゼルスまで取材に行った際には、家族ぐるみで食事をしたり、リチャードの自宅にお邪魔したこともある。

リチャードが来日する時は、家族を連れてくることが多い。その時も彼は妻のメアリーと3人の娘を伴って来日した。あれは日本の関係者や知り合いとの食事会の後だったか、リチャードとメアリーのご夫妻から、後日子供抜きで会食をしたいので、数時間だけ娘たちを見てくれないかと頼まれた。もちろんオッケーだ。その翌日、遊園地に同行してほしいとも。もちろん、よろこんで!

このどこが問題だったのか、いまだに解せない。担当のプロモーターはホテルのロビーにいた私を見るなり、「勝手なことをするな」と言い放ち、激しい言葉で脅された。誇張ではなく、脅迫だった。

個人的に頼まれただけのものごとで、遊園地へ行ったのも奥さまと子供たち。リチャードの仕事には一切関わっていない。そんな私的なことまでプロモーターに話を通せというのか。プロモーターに物事を任せるよりも、顔見知りの女性に頼み事をしたのが、それほど罪なことなのか?

全般にプロモーターの評判は悪い時代だった。後味がひどく悪かった。

そんな体験もあるため、アーティストに直接連絡を入れる際は、細心の注意を払う。私の知らぬどこぞの担当が腹を立てるとも限らない。「政治的なルート」を見つけ出すのに、毎回神経をビリビリとさせたものだった。

2006年撮影。音楽ショップのテーブルに所狭しと並ぶCD。アイスランド国内のみのリリースであふれている。最前列左から2番目の作品は、2020年映画音楽賞(アカデミー、ゴールデングローブ他)を総なめにしたヒルドゥル・グズナドッティルのデビュー作が置かれている。

そしてアイスランドのアーティストだ。

音楽アルバムをリリースするにあたり、当然契約が必要になってくる。はて、契約先はマネージメント会社であろうか、レコード会社であろうか。これを探すのに、とても苦労した。アイスランド語は読めないし、権利所有者をどのようにして探せばいいのかわからなかった。
そんな中、アーティスト本人だけは見つけることができた。音楽に対する思い入れなどは、ぜひ直接話をしてみたいが、本人と仕事や契約の話はしたくない。あとで怒られるのは絶対にやだ。

そんな時は仕方なく、周囲の、例えば音楽ショップの店員等に尋ねることになる。
「XXさんのアルバムをリリースしたいんだけど、どこのレコード会社が扱ってるか知ってる?それともマネージメントかな」
「アーティスト本人は知ってる?それじゃ本人に話せばいいだろう」
「いや、それは無理っしょ。CDに記載されてるこの名称の連絡先わかる?」
「アーティストに話せばい〜じゃん」

押し問答だ。らちがあかない。仕方がないのでアーティスト本人に連絡を入れる。

「日本から来たの?それじゃ会おうよ」と。

うわ、やばい、マネージャーに怒られないか。あとで物事がやりにくくならないか。とは思うが、直接アーティストに会って話をしたい誘惑には負ける。

そして例の押し問答が繰り返される。

「このアルバムを出す場合の連絡先は?」
「僕でいいよ」
「アーティスト本人だとまずいと思うんですよね。レコード会社かマネージメントの連絡先を」

このような会話を4-5組ほどのアーティストと交わしたか。その度に、小国でもこんな簡単なことが判明しないのか、と、出口の見えない迷路に迷い込んだような気持ちになった。

設立したICELANDiaレーベルの、第一号アーティストであるシグルヅル・フロサソン(Sigurður Flosason 通称シッギ)は、当時アイスランドのジャズ 大学の学長をしていた。2000年当初、日本では北欧ジャズが密かなブームで、そこにはアイスランドのジャズが欠けていた。チャンスではないかと思い、内容が素晴らしかった彼のグループをリリースしたく私は動いた。

ICELANDiaレーベル第一弾、『アイスランド・スーパー・ジャズ・カルテット( 原題Leiðin heim )』。日本版のみのボーナストラックも収録。2006年このアルバムで彼はアイスランド音楽賞の年間ジャズ・アルバム賞を受賞。アーティスト賞の受賞歴はあったが、アルバム作品での受賞は初めて。「日本でのリリースも影響したに違いない」と大変に喜ばれた。

権利はDimmaというレコード会社が持っていた。が、社長が妻を亡くしたばかりで塞ぎ込んでいる。契約は自分が仲介するからとシッギがとりもってくれた。シッギはアメリカの大学で楽器を学び、ジャズの本場ニューヨークでも修行をした人だ。カンのいい彼は、私の言葉尻の憂いを見ぬいて、アドバイスをくれた。

「ユーカ、アイスランドは社会が狭い。大きな国では、マネージャーやレコード会社が幅を利かせるし、きっと日本もそうなんだろう。でもアイスランドは違うよ。何かをやりたい時は、直接アーティスト本人に話すのが一番いい」

なるほど。彼のこの言葉をきっかけに、契約の話でも何でも、直接アーティストに向けるようにした。アーティストと私さえいれば物事は進む。話をするアーティストの数が増えるほどに、なんとも爽やかな風が吹き抜けていった。

小倉悠加(おぐら・ゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド政府外郭団体UTON公認アイスランド音楽大使。一言で表せる肩書きがなく、アイスランド在住メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、カーペンターズ研究家等を仕事に応じて使い分けている。本場のロック聴きたさに高校で米国留学。学生時代に音楽評論家・湯川れい子さんの助手をつとめ、レコード会社勤務を経てフリーランスに。アイスランドとの出会いは2003年。アイスランド専門音楽レーベル・ショップを設立。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。アイスランドと日本の文化の架け橋として現地新聞に大きく取り上げられる存在に。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。