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こちらアイスランド(15)手伝えない心地悪さ〜小倉悠加

日本では社会常識であり美徳とされていた考え方や行為。私の身体に染み付いている日本的なやり方。それが否定され、その行動がとれないのはとても苦しい。

私は1960年生まれの古い世代の女性である。普通のサラリーマン家庭の妻として20年間ほど家庭も仕切った。子持ちの主婦としてはかっ飛んでいたところもあったが、それでも努めて常識的な女性のあるべき姿は守ったつもりだ。
 
なのにこれまた、その努力も虚しく、アイスランドでは日本の常識が覆される。

アイスランドに来るようになり15年以上経つが、いまだに慣れないのは、食事に招待された際ずっと座っていることだ。その家庭の台所に入って手伝わないこと。率先して洗い物をしないこと。

それだけ?と読者のみなさんは思うだろうか。

きっと「それだけ?」と思ったのは男性か、とても恵まれた環境に身を置く女性ではないだろうか。日本人女性歴が長ければ長いほど、「お手伝い」することは本能のように刷り込まれている。立ち上がらずにいられない。
 
10年ほど前、仕事上でエイナルとアスタのご夫妻と知り合った。私は2003年にアイスランドに初めて訪れて以来、毎年1-2回ほどアイスランドに滞在していた。毎回の滞在は2-3週間程度だ。日本の家族と離れてのホテル住まいが長くなると、ひとりでは寂しいだろうからと、何度かご自宅に宿泊させてもらった。宿泊しない時は、食事だけでもと誘ってくれた。あの時も、そんな彼らのやさしい心遣いの夕食会だった。

指定の時間に彼らの家に到着した私を待っててくれたのは、奥様のアスタと二人の娘さん。男性はエイナルだけで、私が加わると男性1人に女性4名、そして「飼い犬まで雌なのよね」と多勢に無勢を面白おかしく脚色して笑談していると、エイナルが両手にスーパーの袋を抱えて戻ってきた。

「遅くなってごめんね、今、食事の用意をするから」と。

ここでたぶん日本人は、脳内が「???」となるのではないだろうか。息を切らせながらスーパーの袋を抱えた夫が、妻と娘と客人に謝りながら食事を作り始める。日本ではかなり珍しい光景かと。

土地が痩せているため、野菜や果物は輸入品が多い。日本ほと豊富ではないが、そこそこの種類はある。

勝手知ったる家庭なので、私は台所へ行き「何かお手伝いすることはありませんか?」と声をかけた。

「特に何もないから、みんなと話でもしてて。そんなに時間はかからないから」

「それじゃ、そこの皿でも運びましょうか?」と台所の隅に積み上げられた皿を指した。

「いや、そのままにしておいて、気にしないで」と。

料理中にあまり手を出されたくないことはわかる。が、皿はテーブルに持っていくことになるから、それは手伝えるはずだと思ってしまう。何かしないと居心地が悪いし、私なら皿を運んでもらえれば助かってありがたいと思う。

食事中はお互いの近況報告やこれからの予定、娘さんの新しい学校や、犬に間もなく子供が生まれる等、いつものように他愛のない話をして、楽しく過ごさせてもらった。

そして食事が終わり、片付けに入る。「皿洗いくらいやらせてください」というのが日本女性のあり方であり、それは言葉に出すまでもなく、汚れた皿をサっと奪い、率先して洗うのが清く正しい道である。
「お気になさらず」とその家の主に言われようが、日本人女性たるもの、片付けくらいしないと、非常識だとか気の利かないヤツと言われかねない。つまりは自己防衛本能のような側面もある。

汚れた皿を運ぼうとすると、「そのままにしておいて」と言われた。
「キッチンへ運ぶだけだから」と返すと、「どちらにしても食洗機に入れるからいいよ」と。

皿くらいキッチンに運ばないと気持ちが悪い。居心地がわるい。

そして間も無く台所から冷蔵庫を開ける音や、何かを用意する音が盛んに聞こえきた。

なのにこの家の女どもは誰も動かない。当たり前のようにソファに座って話をしたり、雑誌をめくったりしている「台所、ひとりで大丈夫かしら」ともらすと、「いつものことだから大丈夫よ」と。
そう言われたのに、手伝わないと落ち着かないのだ。手伝うべしという強迫観念が、私の中に勝手に湧いてくる。そしてまたもや台所に現れた私に、彼は少しうんざりして言った。

「ユーカ、ここは日本じゃない。手伝ってくれるよりも、僕の家族との時間を楽しんでくれた方がうれしいんだ」

う、う。

確かに。客人が楽しんでこそのホストでありホステスである。その客人が皿を運んだり、汚れ物を洗ったりしたらホストとして失格になる。でもさぁ、これってそういう正式なパーティじゃなくてぇ、家族の普通の食事じゃん・・・。

アイスランドの人は老若男女を問わず甘いものが大好き。

デザートを食べながら、私はエイナルに言った。「エイナルって本当にマメよね。毎日の買い物もそうだし、家事全般よくやってるよね」と。多数派の女性に押されて家事を司るようになったのかと思い、その努力を讃えたつもりだった。そして返ってきた言葉が、私には衝撃だった。

「僕は家族の喜ぶ顔がうれしい。だから家事は買って出てるんだ。妻は僕よりも仕事上の緊張を強いられることが多い。精神的に余裕のある僕が家事全般を引き受けて、家では彼女にくつろいでもらいたい。その方が娘たちもよろこぶしね」

この後、エイナルと同じように家事や子育てを積極的に(=当たり前のこととして)関わる男性に山ほど会った。というよりも、それが平均的なアイスランド人男性だ。アイスランドには残業がなく、家事・育児に関わる時間的余裕がある。その点は日本よりも環境が整い、実にうらやましい。

「お手伝い」に関しては、その後何度か似たような体験をしたため、「手伝えることはある?」と尋ねはするが、一度断られたら二度は尋ねないし、状況的に動かない方がいいだろうと思う時は、声をかけることもしなくなった。うずうずするが、手伝いをゴリ押しするのはこの社会では非常識。なのでガマンだ。

言葉をかけない、手伝わない、客人らしくリビングで座っていることに、これほど自制心が必要であろうとは!
手伝わないと居心地が悪くて落ち着かない。これは日本女性特有の呪縛なのかもしれない。

もちろん、手伝いが歓迎される場合もあるし、食材持ち寄りの集まりであれば、分担は自ずとしやすい。そして私の観察では、何かの集まりがあると、女性の方が座って楽しんでいる率が高いように思う。

私も早く、片付けを気にせず、どっかりと腰を下ろしてホームパーティを楽しめるようになりたいものだ。


小倉悠加(おぐら・ゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド政府外郭団体UTON公認アイスランド音楽大使。一言で表せる肩書きがなく、アイスランド在住メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、カーペンターズ研究家等を仕事に応じて使い分けている。本場のロック聴きたさに高校で米国留学。学生時代に音楽評論家・湯川れい子さんの助手をつとめ、レコード会社勤務を経てフリーランスに。アイスランドとの出会いは2003年。アイスランド専門音楽レーベル・ショップを設立。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。アイスランドと日本の文化の架け橋として現地新聞に大きく取り上げられる存在に。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

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