日本語は日進月歩、日々変化する。日本を拠点に日々暮らしていれば、毎日マスメディアの情報に触れずとも、流行りの言葉は身につくし、新しい言葉の推測も容易だろう。
いくら国内浦島が常だった私でも、そこらへんの感度は悪くなかっただろうと思う。
いや待て、本当にそうだったか?
日本に住んでいる頃でも「萌え」は使い方を会得しようと模索しているうちに、その言葉を目にしなくなった。二文字漢字でかっこいいと思っていた「御意」は、今では誰もツイッター(現X)にそう反応してくる人も見かけない。
え〜、せっかく使おうと思って使い方を観察してたのに、もう消えたのぉ〜?!
言葉とはたいそう危うく怪しいものだということか。
「XXX活」が最近は多すぎないか?部活ならわかる。その延長上での「XX活」だと理解した時、少々面をくらった。学校組織以外で、それも個人単位で「XX活」とすることが、どうもしっくりこなかったのだ。
ポイ活とてもう何年も前から使われていたのかもしれない。私が無頓着だっただけなのだろう。たぶ
ん。
以前から見かけていた言葉でも、深く考えたことはなかった。「ポイ」というからには断捨離の類で、お部屋をきれいにしましょうとか、コンマリ流の「魔法のお片付け」の亜種かと思っていた。本当に。
それでもポイカツが、トンカツに関連する串カツや味噌カツ、海老カツ等でないことはキチンと理解していた。
それにしてもポイっと捨てる活動、つまりは美化運動だと思っていたのが、ポイントをいかに貯めるかの戦略活動だったとはーーー。
ポイントかぁ。サービス券や回数券、ポイントカード、スタンプカードの類は、太古の時代からあった。いえ、太古の時代というのはきっとウソです。太古というか、私が小さな頃から存在していた。つまりは60年以上前からあった。全く未知の存在ではなかったはずだ。けれどーーー
日本には毎年3ヶ月間滞在する。それほど浦島ではないはずなのに、毎回帰国した当初は突然「?」の疑問符が大きく脳内を占める物事と出会う。
近年一番衝撃を受けたのはレジでの支払い方法の変化だった。それは2年ほど前に、いかにレジの前で硬直してしまったかを吐露した覚えがある。
ちなみにアイスランドでは(去年行ったオランダやベルギーでも)、有人レジへ行けば、荷物を詰めること以外は全部レジ・スタッフが担当してくれる。無論、無人レジを選択できる店も増えている。
でもって、いや、その、あの、今年もまた帰国してからレジの前でフリーズしてしまった。
さすがに実家の近所のスーパーの支払い機も、近所のセブンも、ここ数年さんざんドギマギして使ったので、今年は挙動不審にならずに済ますことができて、支払い操作に自信を持ったところでやられた・・・。
私はもう大丈夫。どこでも支払いはスムーズ!という安心感に包まれた矢先、上野駅の紀伊國屋のレジ前で呆然としてしまった。
有人レジなのに、どこでどう支払っていいやらわからずまたしても硬直状態に。
レジのスタッフの前に現金を置くトレイもなければ、カードを差し込むような場所も見当たらない・・・呆然自失。
親切なレジの女性が教えてくれたけど、私の行動は鈍臭いことこの上ないし、日本人なのになぜこの人は何もわかってないんだ?!と思われて当然な気がする。
このレジはとてもおしゃれで、全部黒塗りになっていた。現金やらカードを入れるスロットが、強度の近眼と乱視に老眼が上塗りされた私の目には、全くそれが見えなかったのだ。
第一に目が悪い。第二に先入観と日常が私の目に現金投入口を認識させなかった。
ごめんごめん、本当にごめん。ヨーロッパや北欧ではこのスタイルのレジは見たことがない(存在しないという意味ではない)。日本は親切すぎて複雑怪奇で、よくわかんない・・・。北欧在住で不慣れなんて言い訳はダサいので、ただひたすら「よくわかってなくてごめんなさい」と小さくなるばかりだった。
ほんと、どこまでもダッサ〜〜。
その上にポイント云々。それも店のポイントではなく、どこぞの系列のポイントが数社の中から選べた。もーそーゆーのは時間と労力の無駄なのでどーでもいいです!

私だって人並みにポイント貯めてた時期もあるし、横浜高島屋が自宅から近い時代が長いから、高島屋カードも持っている。
「XXXのポイントカードはお持ちですか?」と言われる度に、このポイントカード(アプリ)のせいで、どれほどレジ打ちの作業が煩雑になったり、無駄に時間がかかるのかと考える。
ポイント・システムはあった方がお得だと解釈されるけど、ポイントのシステムetcのコスト高は結局商品代金に乗っていないか?
このポイントを通じて、誰がどこで何を買ったかが筒抜けになり、データとして売られていくのでは?!
そもそもポイントってそんなにお得なのか?
現金を使用してポイントをつけずに購入するのは損だと思い込まされるけれど、実はデータを手放さないことへのペナルティになっていないか?
こんなことを書くのは全くの昭和人間だが、昔のポイントカードはよかった。
肉屋で300円以上の買い物をするとスタンプを押してくれて、そのスタンプが十個貯まるとコロッケが一個もらえた。そういうのは本当に、日頃のご愛顧へのサービス精神が宿っていた。骨太の実質があった。
毎度のご愛顧に心ばかりのお礼として実施する個人商店は昔からあったし、その精神は私もありがたく甘受して今だってポイントを貯めたい。
でも、大企業が手がけるポイントってなんだかぁ、なのだ。
頭の硬い頑固親父みたいだけど、今のポイント制度は胡散臭い。お客様への感謝の気持ちではなく、データ収集、顧客囲い込みしか見えてこない。外面はいいけど腹黒い、みたいなシステムなのだ。
ところがそんな風に世の中を見るのは少数派なのかもしれない。どうせ同じ金額を出すなら少しでも、目先だけでも得をしたいのが人情でもある。そういうシステムなのだから、乗ればいいじゃんとも思う。
とは思うけど、複雑すぎて理解できないし、理解したいとも思わない。時間の無駄。
どこのクレジットカードを使い、どのポイントを何に連帯させるか。それを熟知した専門家がいてもおかしくないほど複雑怪奇だ。
ポイ活に費やす時間と労力の見返りは、あまりにも小さくないだろうか。つまりは徒労。
ヨーロッパ・欧州でもサービス・ポイント的なものが存在しなくはないけど、日本のような複雑怪奇さはーーーヨーロッパ人では使いこなせないだろうとも思う(偏見だったらごめん)。北米はありそうな気がする。
その上、クレジットカード支払いでも、各クレカ独自のポイントがつく。となると、現金よりもクレカということにもなってくる。
現金は存続してほしい。現金の流通が激減すれば、存続しておく必要性もなくなり、つまりはすべてがキャッシュレスになってしまう。頑固な私はそれもいやだ。
日本は現金を持ち歩いてもそれほど危険はないので、ほとんど現金で支払うことにしている。ポイントは意図的に避けている。うん、変わり者だよね。完全に。
キャッシュレス、便利ではある。使うことも多い。けれど、キャッシュレスだけに頼るのは危険すぎると思うのだ。
「お得」を逃しているのかもしれない。でも見せかけのお得を手放すことにより、データに取り込まれない自由を得たい。考えすぎかもしれないが、それはひいてはシンギュラリティに加担をしない、小さな抵抗だとも思っている。
とか何とか考えても、長いものには当然巻かれていく。巻かれないと生活ができない。そうやって流されていくし、結局は諦めて終わることも知っている。
それでも私はポイ活を断捨離して、潔く跡を残さないお買い物を続けることにする。
小倉悠加(おぐらゆうか)
東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド在住。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。高校生の時から音楽業界に身を置き、音楽サイト制作を縁に2003年からアイスランドに関わる。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、社会の自由な空気に魅了され、子育て後に拠点を移す。休日は夫との秘境ドライブが楽しみ。愛車はジムニー。趣味は音楽(ピアノ)、食べ歩き、編み物。
