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福祉・介護のある風景(22)いざという時の資産管理~橘 世理

叔父は9月に救急搬送され、2カ月の入院後に介護老人保健施設(通称「老健」)に入所した。今は、リハビリに取り組んでいる。まだ70代の前半であり、歩けるようになれば仕事復帰も夢ではない。

「仕事復帰まで待ってます」と言う取引先の言葉に叔父は、「俺みたいな職人風情に待ってますなんて有難いね」と薄っすら涙を浮かべた。

リハビリは本人次第だが、頑張っても身体機能が叔父の意思通りにならないかもしれない。まだ先の事はわからないが、私たちは、叔父の仕事復帰を願っている。

1️⃣ 「おまえに任せた」と言われても

独身独居の叔父の鞄の中を初めて見たときは、まさに迷路の入口に立った気分だった。いつも叔父が肩から斜め掛けしている鞄だが、緊急事態だからといっても、その中身に手をつけなければならないとなると緊張する。他人の物だからだ。

鞄の中は三つに仕切られている。ファスナー付のポケットが外側にも内側にもいくつかあり、その中にあるパスケースや小物入れをひとつひとつ見た。

目立ったのは黒い『がまぐち』だった。古いので、おそらく叔父の母親の使っていたものだと思われた。小銭がたくさん入っており、重さは大きなりんご3個分はある。

年季の入った叔父のがまぐち


鞄の中の仕切りのひとつを見ると、札が乱雑に入っている。支払いの際は、そこに手を突っ込んで無造作に札を掴み、札の種類を選んで支払うのだ。実に叔父らしい。私はがまぐちから小銭、札を取り出してすべて数え、ノートに記載した。

次は、家の中から通帳を探さなければならなかったが、これは叔父の言う通りの場所にあった。見つかったのは良かったが、キャッシュカードが見つからない。入院中の叔父に訊くと、「作ってないな」と言われた。

今、銀行の窓口は、本人でなければ原則、預金を現金化できない。「おまえに任せた」と言われたけれど、医療費、病院でかかるレンタルセット代などの支払いを口座から下ろさなければならない。キャッシュカードがないとすぐに支払えない不便を痛感した。

叔父は、キャッシュカードは作らない、携帯もパソコンも持っていない。生活形態は昭和の頃のままだ。私はまたもや溜息をついた。

2️⃣ 鞄の隅に見つけた10円も資産です

「おまえに任せた」と言われたということは、お金の管理と使用を任せたということだけれど、勿論、自由に使って構わないということではない。

通帳の残高数字、がまぐちの中の小銭、鞄の中に無造作に入っている(放り込んでいるようにも見える)札、いずれも金(資産)だが、その保管の仕方で、時に任された方が勘違いをしてしまうかもしれない。

叔父のように鞄の中に札がそのまま突っ込まれていると、がまぐちの中のお金からコンビニでおにぎり買ってもいいだろうと思ってしまう事もあるかもしれない。叔父さんのために用事をしに来たのだから。おそらく叔父は、咎めないだろう。そのようなちょっと邪な気持ちが湧くこともある。

でも、待てよ、他人のお金だよ、と気を引き締める。たとえおにぎりひとつだとしても、他人のお金で買ってはいけないのだ。

鞄の隅に見つけた10円玉もきちんと黒いがまぐちへ入れた。そして簡単な現金出納帳をつけているので、10円をプラスした。

3️⃣ 血縁でも他人です

何かにつけ血縁という言葉に甘えが出てしまう人もいるだろう。子どもの頃から知っているという甘えは、時に功罪を生むことがある。

親子の場合は、とくにそうかもしれない。親の資産を自分のもののように考える子どももいる。だが、親子といえど親の資産は親のものであり、何に使うのかも親の自由だ。

資産の使い道を子どもに相談するのも親の自由であり、相談なしに使うのも自由だ。

中には、自分の相続分が減るから家を買い替える、購入することを反対する子どももいる。不動産を買われると分割できないからだ。自分勝手も甚だしい。

たとえ親であっても、それは他人(ひと)の資産である。資産の持ち主に物の購入をあれこれ指図する権利はない。

この事を弁えないと、いざ、他人の資産を預かった際に、使い込むなど犯罪まがいな行為をしかねない。実際にこのような場面を見た事もあり、叔父の資産を預かる身としては、より一層、気を引き締めるのだ。

資産管理者を明確に指示するのが大事


4️⃣ 認知症と判断された時、資産管理はどうすればいいの?

私の叔父のように入院や施設に入ったが、本人の意識や思考が健常な場合は別として、認知症や脳の病気、怪我を負い、判断能力が低下した場合はどうすればいいのだろうか。

そういうときは、家族が口座から自由に現金を引き出してもいいに決まってるじゃないの!と思う人は多いだろう。現実にそうできないと本当に困る場合もある。しかし、それをやってはいけない。上述したようにその人の資産だからだ。使う権利は本人にしかない。

話は少し逸れるが、今、銀行では70歳以上の人の口座は、一日に引き出せる額と振り込みできる額に制限を設けている。ATMの場合、いずれも10万円以上の取り引きができない。

この制限も個人資産を守るためだ。10万円以上の振り込みは、2日に分けて振り込みをしなければならない。これは不便だと銀行の人に言ったところ、不仲な親子の場合、子どもが親の資産を狙い口座から資産を引き出すという事がありますという話を聞いた。

詐欺もあるけれど親子間が円満ではない場合も、資産を盗まれる事に変わりはない。

話を戻そう。

では、認知症などで判断能力が低下した場合は、誰が資産管理をするのか?

この場合は、成年後見人制度を使い、第三者に管理してもらうことができる。親の資産管理に異論を唱える兄弟姉妹がいるならば尚更、このような方法を用いるのも良い。

叔父の資産管理を任されてから、自分が入院したとき、施設に入所しなければならないときなど資産管理を任せる人を前もって決めておくのはとても重要だと思い始めている。決める基準は、やはり信頼関係の有無がものを言うだろう。

今回は、叔父の入院と施設入所がきっかけとなり、いざという時の資産管理はどうするか、それを考えるようになった。適切な管理と使用のために、誰に頼むのか、これは真剣に考えた方がよい。気づいたら勝手に投資に使われ、一文無しになっていたということもある。

財産とは、その人の人生の成果の一つではあると思う。だからそれをどういう形で扱うにしろ、その人には誠意と敬意が不可欠であるはずだ。

写真:橘 世理

橘 世理(たちばなせり)

神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。