2000年に介護保険制度が施行されてから現在に至るまで「介護」という言葉は日常にすっかり定着した。
私は、60歳以上が利用できる福祉施設に勤務している。利用者の日々の会話は、健康や介護についてが多い。「介護」という言葉は定着したものの「介護サービスを受けたいけれどどうすればよいのか」という疑問を持つ人は多い。それまで介護に無縁だった人は、いざ、自分や配偶者に介護が必要だと気づいたとき、確かな情報を持っていないので誰に何を訊いてよいのかわからないのだ。
「介護が必要となるその時」が突然やってくる人もいれば、じわじわとやってくる人もいる。
1️⃣ 突然訪れる介護の時。医師の診断を冷静に受け止め行動できるかが鍵。

病院ではさまざまな思いが交錯する
介護が必要なときが突然やってくるのは、脳卒中、転倒して骨折をした場合がある。
私が脛骨の骨折で大学病院の整形外科病棟に入院していたとき、転倒して右脚の大腿骨を骨折した高齢者が隣のベッドに入ってきた。その人は75歳の女性で認知機能の低下はないが、日常的な歩行がスムーズではなかった。過去に左脚の大腿骨も骨折していたこともあり、医師から介護認定を勧められたが本人は拒否した。
本人の意思尊重は重要だが、正しい自己判断ができない場合がある。医師の診断によって、自立した生活は難しいと判断したその人の息子が、早速、介護認定の手続きを始めた。
このように介護サービスの利用へと直ぐに動く家族もあれば、そうでない家族もいる。
別の病室では、大腿骨を骨折した90歳の女性がいた。この人も医師から介護認定を勧められた。認知機能の低下が見られ、昼夜問わず大きな声で話して、ささいな事柄でもナースコールを頻繁に使用していた。ところが同居の息子が介護認定を拒否したのだ。
医師は、治療後にリハビリテーション専門病院への転院を強く勧めたが、その息子は90歳の母親を自宅へ連れて帰った。その女性の部屋は2階にあり、階段はおぶって上がると言ったという。90歳の女性は、自分の息子は親孝行の良い息子だと自慢していたそうだ。
他にも医師が勧める介護認定を拒否した人がいる。腕を骨折して入院していた80代前半の女性だ。自宅にベッドはなく、腕の骨折のために起床時の行動の困難が予測できる。さらに生活全般にも支障を来たす。
私は同じ病室だったこともあり「お仕事をしている娘さんに大きな負担がかかるので、ヘルパーさんに来てもらった方がいいですよ」と言ったが、「娘に頼るから大丈夫です」と頑なな言葉を返すだけだった。
整形外科病棟では、こうして、介護サービスへつながる人と拒否する人をまじかで見た。介護が突然やってきたとき、私は、医師の診断を素直に受け入れ、冷静に判断し、決断するということがとても大事だと思う。
2️⃣ 介護の時は、静かに確実に近づいてくる。

介護保険被保険者証
上述したように「介護が必要となるその時」は、突然やってくることもあれば、じわじわとやってくることもある。いずれにしても、それは音も無く忍び寄ってくるのではなく、大抵の場合、前兆がいくつかある。
その代表的な例として「認知症」がある。
職場(福祉施設)では、予定を忘れやすい利用者に、次回の体操教室などの日程を紙に書いて渡すことにしている。ところがその紙を渡されたことを忘れてしまう人がいる。講座の前日に電話をしても翌日になると忘れてしまう。
中には「私、変なんです」と直接私に相談してくる人もいた。その人は、以前の自分とは違う、忘れることが増えてきたので不安を抱いていると打ち明けてくれた。この時は、地域包括支援センターに行ってみてはと助言した。
その人はすぐにセンターへ連絡してくれた。その結果、地域医療が連携し、家族に付き添われて、大学病院の「もの忘れ外来(脳神経外科)」を受診することができた。検査の結果は、初期の認知症だった。「治療できることになりホッとした」と本人は言い、以前よりも笑顔も増えた。
かたや介護サービスにつながらないケースもあった。物忘れがひどくなったと相談を受けたので、地域包括支援センターを紹介したが、その人は翌日になり「私はまだ大丈夫」と言って結局はなんら行動を起こさなかったのだ。
しかし、以後その人と周囲の人達とのトラブルが頻繁に耳に届くようになった。以前の自分とは違う兆候に自ら気づきSOSを出していたにもかかわらず「私はまだ大丈夫」と思い直してしまったのだ。
自分で大丈夫だと思い込みたい気持ちはよくわかる。家族の人達も「まさかウチの人がそうなるはずがない」と認知の機能低下を認めたくない場合も少なくない。だが、現実を直視せずに手遅れとなる場合が多いのだ。
3️⃣ 不安を感じたら、身近な相談窓口へ。

介護というと高齢者をイメージする事が多いが、病気、怪我などで介護を必要とする場合もあるので、世代は問わない。
上記の図は、介護が必要だと思ったとき、誰に相談したらいいのかをわかりやすく表したものだ。1は市区町村役場の福祉課。2は地域包括支援センター並びに連携機関。3は近隣の人達。いずれでも構わない。
介護サービスを考える時、「私はまだ大丈夫」「うちの親は…、夫は…、妻は…、まだ大丈夫」というのは思い込みかもしれない。そう思って、まずは、健康相談という軽い気持ちで相談窓口を訪ねて欲しい。
介護の窓口はいつも身近な存在として開いているのだ。
写真・作図:橘 世理

橘 世理(たちばなせり)
神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。