東京五輪の選手村(東京・晴海)で感染者が相次いでいる。このままでは「感染村」に化ける恐れもある。米国女子体操チームは選手村に宿泊せずホテルに宿泊することを決めた。選手・関係者を隔離して日本の人々との接触を断つ「バブル方式」は早くも破綻の様相で、東京五輪は開幕前から不穏な空気に覆われている。
東京五輪組織委員会はそれでもなお、感染者について国籍、年齢、性別、肩書のほか、滞在日数や移動経路、詳しい症状などの公表を拒んでいる。「日本にリスクを持ち込まない」「安全・安心」というメッセージとは明らかに矛盾する姿勢だ。
そのような閉鎖的体質のなかで「東京五輪のコロナ対策を信じろということに無理がある」という主張をサメタイで掲げたところ「感染者の症状などの公表を求めるのは理解できるが、国籍まで公表する必要があるのか。差別をあおることになるのではないか」とのご意見をいただいた。
この懸念は傾聴に値することを踏まえたうえで、私はやはり権力監視を旨とするジャーナリズムの立場からは国籍などの公表を徹底して求めるべきだと考えている。権力取材の原点は「権力はウソをつく」という性悪説に立つことであり、その立場からは徹底した情報公開を迫る必要性を痛感しているからだ。
まずはみなさんのご意見をうかがいたい。選手村の感染状況を詳しく公表すべきだと思いますか。
東京五輪選手村の感染状況を詳しく公表すべきだと思いますか。
私は詳しく公表すべきだと考える。以下、詳しく理由を述べたい。皆さんのご意見・ご提言は政治倶楽部に無料会員登録して記事末尾のコメント欄から投稿してください。
詳しく公表すべきと考える一つ目の理由は、感染者の状況について徹底して情報公開を迫ることが、IOCや東京五輪組織委の「隠蔽」や「世論操作」を防ぐのに極めて有効だからである。
IOCや組織委は、私たちの巨額の税金が注ぎ込まれる東京五輪という巨大国家イベントにおいて強大な権力機関である。選手村での感染拡大など「失態」が生じた場合、彼ら自身が責任追及を回避するため、情報を隠蔽したり、ウソをついたりする可能性は否定できない。日本政府が近年、数々の疑惑について国会で虚偽答弁をしたり公文書を改竄したりしたのと同じである。
まして五輪招致をめぐる裏金疑惑など様々なスキャンダルが浮上しているのに説明責任を一向に果たそうとしないIOCや東京五輪組織の隠蔽体質を目の当たりにすると、「選手村で巨大クラスター発生」のような不都合な事態が表沙汰にならないように画策する恐れは否定できないだろう。
彼らに「不正」を思いとどまらせるためにも、情報公開ルールをあらかじめ設定しておくことは重要だ。でるだけ幅広い項目で情報公開ルールを設けておいたほうが、彼らは不正をごまかしにくいのである。
二つ目は、徹底した情報公開は、IOCや組織委の行動が公正なのか検証するために必要不可欠であることだ。それは当事者である選手・関係者の人権を守り、公正に扱われることを担保する効果もある。
今回の五輪では試合直前のPCR検査で陽性が確認された場合は出場できないといったルールがある。はたして検査などの対応について、発言力の強い有力国のチームや巨大スポンサーの支援を受けたり高額の放映権料を負担するテレビ局の期待を背負う有力選手が「特別扱い」を受けることはないのか、あるいは、国籍や性別などによって「差別的な扱い」が行われることはないのか、外部の目でしっかり監視することが重要だ。公正な運営がなされ、感染が確認された選手・関係者の人権がしっかりと守られていることを外部から検証するためには、感染者の詳しい情報開示が不可欠である。
感染者の情報をIOCや組織委が独占していると、そこに「隠蔽」や「不正」が生まれ、ひいては選手・関係者が不公正な扱いを受ける恐れがある。つまり、感染者の情報開示は、IOCや組織委から選手・関係者の人権を守ることにも有用なのだ。
これは警察が殺人事件などで逮捕した「容疑者」と「被害者」の情報をどこまで発表するのかという議論と似ている。報道機関が容疑者や被害者の情報開示を求めるのは、本来、警察による強制捜査が適正に行われているのか、容疑者や被害者の周辺を独自に取材して外部から検証するためだ。あくまでも「権力監視」が主目的なのである。警察による「誤認逮捕」や「不正捜査」を抑止することこそ、本来の目的なのだ。
ところが、テレビや新聞は警察権力を監視するという本来の役割を離れ、容疑者や被害者のプライバシーをあからさまに報じて視聴者や読者の関心を引き寄せる報道に明け暮れてきた。視聴者や読者の確保に警察発表情報を利用してきたのである。
そのような報道内容が社会全体から厳しく批判され、警察は近年、それを口実に容疑者や被害者の情報開示を制限するようになり、警察組織を防衛するようになった。その結果として、警察捜査を外部から検証することは難しくなり、誤認逮捕や不正捜査のリスクは高まっていると私はみている。
東京五輪報道も同じだ。報道機関は本来、巨額の税金を使って大会を開催するIOCや組織委の「権力」を監視するために情報公開を迫る立場にあるのに、実際は選手・関係者のプライバシーを報じて視聴者や読者の関心を引き寄せる報道ばかりしているから、「情報公開」の重要性が社会全体に伝わらないのだ。
まして、五輪スポンサーとして組織委と一体化した報道を続けている大手新聞社が「権力監視のための情報公開」を迫っても、誰も耳を傾けないであろう。情報公開の必要性が社会全体に行き届かないのは、テレビや新聞の報道姿勢に原因がある。
いま問われているのは、テレビや新聞が権力監視の役割を第一に取材・報道しているのかというジャーナリズムの根本姿勢である。