これまでに119番通報をしたのは、目の前で起きた交通事故、公道での転倒事故、家族の体調不良時だった。そして、今回は、体重100キロを超える叔父の救急搬送を要請した。
叔父は、独身独居である。実姉がふたりいるが、そのふたりともが80歳を超えて、認知症の症状が顕著なため、叔父の世話はできない。そこで叔父の長兄の子である姪の私にお鉢が回ってきている。
叔父の保険証すらどこにあるのか知らない私は、まさにその夜てんてこ舞いとなった。
1️⃣救急搬送を拒み続けた挙句に
私の叔父は独身独居、体重は100キロを超えている。本人は115キロと言うが、おそらく120キロはあると思われる。持病は心不全、マーカー値は1000に近いので軽度ではない。
さらに頭が痛いことに、心が頑なだ。
その頑なさは、周囲の者を困惑させる。1メートル歩くのに10秒以上かかるが「歩ける、平気だ」と言ってしまう。弱く見られたくないという思いが強いせいだろう、弱音を吐かないのがなんとも厄介なのである。
この厄介な態度が、自らを壁で囲ってしまい、周囲からの救いの手を拒む結果となっていた。救急搬送の日、両足の浮腫みが酷い叔父は、段差を上がれずに3回転倒した。転倒は数カ月前から起きていた。その度に周囲の人に助け起こされては病院行きを促されたが、救急搬送を拒んだ。
救急車を呼ぶ際、当事者が希望するときは良いが、希望しない場合もある。しかし明らかに搬送しないといけないときがある。意識不明は別として、救急搬送不要を本人が口にすると原則、救急隊はその人を搬送できないのだ。
私は、自宅廊下の角で倒れている叔父に言った。「救急車を呼びます。私たちには叔父さんを持ち上げられないんです」。あなたは搬送を拒否してきたけれどいい加減にしてくれ、そういう気持ちが湧いていた。叔父の頑固さは、周囲にも叔父自身にも不幸な結果しか生まなかった。
119番通報をしてから10数分後に救急隊が到着した。120キロの叔父をストレッチャーへ乗せるのに消防隊員まで到着して、6名がかりで叔父を住居内の通路から運び出した。
「叔父さん、保険証はどこですか?」
「あそこの三番目の引出しの中だよ」
「あそこってどこ?」
そんなやり取りをしているうちに叔父は、玄関前に停めていたストレッチャーに乗せられてしまった。
救急車に同乗しなければいけない私の代わりに夫が引出しを片っ端から開けた。他人の家の箪笥の引出しを調べるというのはまるで迷路の中を彷徨っているようである。
夫は、保険証と大学病院等の診察券が入ったケースを見つけた。診察券は、救急隊の病院探しに役立つことが多い。ドタバタの果てにそんなカード入れのケースが見つかったので私は安堵した。
2️⃣パスワードがわからない
保険証があり、大きな総合病院の診察券も持っていたので、救急隊はその病院へ連絡をしてくれた。運良くそこへ搬送されると決まったとき、私は思わず感謝を込めて天に祈った。受け入れ先が決まらずに、途方に暮れてしまう事は多々あるのだ。
カード入れに資格確認証が無いので、保険証はマイナンバーカードに紐づけされているようだった。それでも資格確認証が送られてきているはずだと思い探した。ところが令和3年からの紙の保険証は入っていたが、令和7年からのものが無い。送られているはずのものがないのだ。この瞬間に私の脳裏に不安が過った。
救急救命室から叔父がようやく出てきたときにパスワードを聞くと「いつも顔認証で受付しているから」と言った。先ほどからの不安が徐々に暗雲となり始めた。叔父は眉間に皺を寄せて、うろ覚えのアルファベット数文字と数字を教えてくれた。時間はすでに22時を過ぎていた。
搬送当日、受付は22時で終了する。仕方なく保険証の提示は翌日へ持ち越しとなった。
3️⃣不便なシステム
搬送翌日、私は有給休暇を取り叔父の病院へ行った。我が儘な叔父のために有給休暇を取らなければならないのは、これで3度目だ。もっと早い時期に整形外科へ行ってくれれば容態は悪化せずに生活も続けられたはずである。私も無駄に有給休暇を使わずに済んだのに…。
入院受付の窓口で待っている間、私は叔父のために失われた有給休暇を惜しんだ。悔しいとすら思った。叔父のような自暴自棄な人は、自分の心身すら放置するので、私が仕事を休まなければならない事は少しも気に掛けない。気分が落ちるのを溜息で補うと受付の順番が回って来た。
「ではマイナンバーカードを機械に通してください」
受付担当の係の言う通りに、入口横にある機械にマイナンバーカードを置いた。「パスワードを押してください」叔父が言った四つの数字を押した。エラーだった。
もう一回、押そうとすると「待ってください。暗証番号入力ミスが3回になるとロックがかかって操作できません」と言われた。マイナンバーカードを持たない私は、一日に3回まで入力ミスがあったとしても、翌日になればリセットされて使えるものと思っていた。
暗証番号のわからないマイナンバーカードは何の役にも立たず、資格確認証(所謂、紙の保険証)が無いため、どうすることもできなかった。「不便ですね」「そうなんですよ」のやり取りを受付担当者と繰り返した。
マイナンバーカードと健康保険証を紐づけた場合、役所は、資格確認証は不要と判断し送らないということがわかった。
救急搬送された患者でマイナンバーカードに健康保険証を紐づけている場合、従来は、顔認証で病院受付を済ませていたのでパスワードをすっかり忘れてしまったというケースが実に多く、近親者は入院手続きをすぐにできずに困ることが頻繁にあるという。
「役所へ行ってカードと保険証の紐づけを解除してもらうしかありません」
前日、叔父を救急搬送したのは20時半過ぎ、病院到着は21時頃、帰宅は深夜の午前2時半だったこともあり、私と夫は疲労困憊していた。
その上、役所へ行くことになり憤慨したが、この鬱憤を受付担当者にぶつけるわけにもいかず、もやもやを抱えたままこの日を終えた。
4️⃣役所で
マイナンバーカードから保険証の紐づけを解除するには、役所の保険年金課へ申請書を提出することになっている。役所はマイナンバーカードと保険証の紐づけは躍起になって推進しているが、いざ解除となると消極的だ。どの課へ行けばよいのかわからないため、案内係に尋ねた。
本人以外が解除申請書を出すときには委任状が必要になるので、事前に準備をしていた。叔父は意識もあり、上半身は動くので委任状に署名をしてもらった。保険年金課の担当者には、緊急入院の事情を説明した。
パスワードがわからないというだけで費やさなければならない時間と労力は実に膨大だ。この手続きを高齢者、子育て中の人、体が不自由な人、介護中の人がやるとなればどれほどの負担になるだろうか。紙の保険証は、本当に優れた仕組みであり便利なものであったと身に染みて思った。ちなみにこの日も私は仕方なく有給休暇を使った。
病院の入退院受付担当者からは、資格確認証は即日出してくれると聞いていたのでそのつもりでいた。さて、出してくれるぞと思ったが、そこに見えたのはただの印刷物だ。保険年金課の係の人はそれを差し出し「仮の確認証です。使用期限は2週間です」と言った。
「即日発効と聞いていますが?」
「それはご本人が来た場合です。受け取りはご本人でなければいけない事になっています」
「入院してますけど」
「書留で送ります」
「独身独居なんですけど」
「不在票が入りますので。皆さんにそうしてもらってます。例外はできませんので」
たとえば私が九州から叔父の住む東京へ来て、この手続きをやっていても、この人は「不在票が入ります」ときっと言うのだろう。
今回、独身独居の叔父が緊急入院したことで、日頃から保険証やキャッシュカードなどを保管している場所などは近親者に正確に伝えておくということの大切さを痛感した。
私は父が倒れたとき、何がどこにありどうなっているのかまったくわからず、家族で右往左往した憶えがある。このような話は他でも耳にした。
ところが最近は、何がどこにあるかわからない上に「パスワードがわからない」のだ。何がどこにあるかわからないのなら、片っ端から探すという手がある。しかし、パスワードとなると本人の頭の中にあるものなのだから、忘れてしまった場合にはもうお手上げとなる。
実際、今回の救急搬送騒動では、何度も天を仰ぎ見て、お手上げの状態となった。
尚、入院18日目現在の叔父は、どうにか一命を取り留め、ICUから多床室に移動し、生活復帰に向けてのリハビリを開始した。
写真:橘 世理

橘 世理(たちばなせり)
神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。