自民党の麻生太郎副総裁が9月20日に83歳になった。その週末、地元・福岡での講演で公明党に宣戦布告した。
岸田政権が進める防衛力の抜本的強化をめぐり「公明党の一番動かなかった、ガンだった山口、石井、北側ら、その裏にいる創価学会も含めて納得するという形になって、公明党に認めさせている」と述べたのである。
公明党の山口那津男代表、石井啓一幹事長、北側一雄副代表のトップ3に加え、創価学会まで名指して「ガン」呼ばわりする痛烈な批判。これは単なる「麻生節」では片付けられない。不穏な空気である。
麻生氏の「最後の野望」は、公明党との連立を解消し、国民民主党など他の野党を連立に引き込んで、さらなる防衛力増強や憲法改正を実現させることだーーそんな受け止めも広がっている。
麻生氏は公明党・創価学会嫌いで知られる。自公連立政権が誕生した後も地元・福岡の自身の選挙では公明党の支援を受けていない。今や自民党内では稀有な存在だ。
麻生氏の政敵である菅義偉前首相と二階俊博元幹事長が公明党と強いパイプを持つことが、麻生氏の公明党嫌いに拍車をかけた。岸田政権では麻生氏が権勢を誇り、菅・二階両氏を非主流派に追いやっているものの、菅・二階両氏はことあるごとに公明党との裏ルートを動かし、自民党の外から岸田政権を揺さぶってくる。
麻生氏はこれが気に食わず、菅・二階・公明ラインに対抗するため、配下にある茂木敏充幹事長とともに国民民主党と連合に接近。公明党を連立政権から追い出し、代わりに国民民主党を引き込む「連立組み替え」を画策してきた。
これに公明党が激しく反発したのは、東京での自公対立の本当の原因である。公明党は麻生氏の言いなりである茂木幹事長の交代を強く求め、菅・二階氏と親しい森山裕選挙対策委員長(現在は総務会長)の幹事長起用を期待していた。
岸田首相は公明党の協力なしには次期衆院選を勝ちきれないと判断し、9月の内閣改造・自民党役員人事でいったんは「茂木切り」に傾いたが、土壇場で麻生氏に押し返され、結局は茂木幹事長を留任させた。麻生氏としては、茂木氏を交代させられたら岸田政権内での立場が大きく弱まるところだっただけに、なんとか踏みとどまった格好である。
麻生氏は人事目前に国民民主党との連立構想を流布して窓口役の茂木幹事長を交代させにくくする一方、公明党とも関係修復のそぶりをみせ、幹事長留任に全力をあげた。
そして人事が終わった途端、きびすを返して公明党に宣戦布告したのである。
麻生氏は次の衆院選で政界引退するとの観測も広がっている。残された時間は長くはない。麻生副総裁ー茂木幹事長の体制が維持されたところで一気に「公明党切り」を仕掛けようというわけだ。
憲法改正に慎重な公明党を連立政権から追い出し、連立政権を組み替えて一気に改憲へ突き進むーー麻生氏が政治人生最後の野望」として「公明切り」を描いたのは、実はそんなに古い話ではないと私はみている。
麻生氏は憲政史上最長となった安倍政権で副総理兼財務相を務めた。この間、最大の願いは、首相への再登板だった。「安倍も首相を二回したのだから、俺だって二回していい」という思いがあった。
麻生政権は2009年衆院選で惨敗し、自民党を下野させるという不名誉な結果に終わった。なんとしても名誉回復を果たしたいと考えていたのだ。
ところが、安倍政権が長期化するにつれ、麻生氏は80歳を超えてしまった。首相再登板のリアリズムはどんどん薄れていったのである。
そこで次なる野望が芽生えた。大宏池会の復活である。
麻生氏はもともと老舗派閥・宏池会(現岸田派)の一員だった。しかし、宏池会のプリンスと言われた加藤紘一元幹事長の派閥会長就任に反発し、1999年に河野洋平氏(河野太郎氏の父)とともに派閥を飛び出し、少数グループ「大勇会」を旗揚げした。これが現在の麻生派の始まりである。
加藤氏は有力な首相候補だったが、2000年に清和会(現安倍派)の森喜朗内閣に反旗を翻す「加藤の乱」を鎮圧され、失脚。宏池会は分裂し、低迷期に突入する。宏池会に代わるように引き立てられたのが麻生派だった。麻生氏は清和会の小泉政権で政調会長、総務相、外相など要職に次々に抜擢され、2008年にはついに首相に就任。麻生派は清和会に続く第二派閥へ躍進したのだ。
だが、安倍晋三元首相が率いる最大派閥・清和会との力の差は歴然としていた。そこで麻生氏自らが音頭を取って、かつて宏池会だった岸田派、麻生派、谷垣グループを再結集させる「大宏池会」を再興し、清和会と並ぶ党内勢力を築くことを画策してきたのである。かつて自分を干し上げた宏池会を自らが掌握するという政治的ロマンの要素も強かったに違いない。
麻生氏は安倍氏に対し「安倍派(清和会)と麻生派(大宏池会)が自民党に君臨し、交互に首相を輩出する」という構想も持ちかけていた。これが麻生氏の「最後の野望」だったのだ。
ところが、安倍氏が予期せぬ形で他界し、清和会は後継会長が決まらず、分裂含みで迷走している。政治は不思議なもので、相手陣営が崩壊すると、自分の陣営の結束も弱まるのだ。大宏池会を再興して安倍派に対抗する機運はすっかり消え失せてしまったのである。
そこで麻生氏は「最後の野望」を「大宏池会」から「公明切り→憲法改正」へ切り替えたというのが私の見立てである。いずれにしても麻生氏の個人的な政治ロマンの側面が強い。
これに対し、公明党は強く反発している。
山口代表は今回の内閣改造・党役員人事について「内向きで国民にアピールしきれなかった」と露骨に批判した。これは麻生氏の意向を最重視して茂木幹事長を留任させたことへの当てこすりだろう。
さらに注目すべきは、茂木幹事長への牽制として自民党選挙対策委員長に起用された茂木派の小渕優子氏に対する発言である。小渕氏の過去の政治資金問題について、山口代表は「説明責任が十分ではない。しっかり果たしてもらいたい」と批判する一方、「克服して頑張ってもらいたい」とエールを送ったのだ。
小渕氏が茂木氏の配下に従順にとどまるのなら政治資金問題を追及するとプレッシャーをかけ、茂木派内で「茂木おろし」に動くことを促す狙いがあるのだろう。
岸田首相の内閣改造・党役員人事は中途半端な「不発」に終わり、麻生・茂木・国民民主党vs菅・二階・公明党の権力抗争は激化する兆しである。
岸田首相は両陣営の勢力均衡を図ることで来年秋の自民党総裁選で再選を果たす狙いとみられるが、果たしてうまくいくかどうか。麻生氏がどこまで本気で「公明党切り」に動くかが大きな焦点となる。