自民党総裁選で波乱の大逆転が起きた。高市早苗氏が決選投票で勝利し、新総裁に就任したのだ。
この勝負を決めた仕掛け人は、ほかでもない麻生太郎元総理だった。
当初、高市氏は不利とみられていた。決選投票では、石破政権の閣僚である小泉進次郎氏と林芳正氏が手を組み、「2・3位連合」で逆転勝利するとの見方が支配的だった。
そんな中、劣勢の高市氏は、国会議員の多数派工作を麻生氏に託す大胆な賭けに出た。
麻生氏は、自派の票を第一回投票で小林鷹之氏(4位)と茂木敏充氏(5位)に分け与える代わりに、「決選投票では高市に乗る」という密約を取り付けた。
これにより「1・4・5位連合」が成立し、形勢は一変。高市氏は麻生派の支援を受け、奇跡の逆転勝利を果たしたのである。
この取引の裏には、麻生氏の老練な政治勘が光る。
麻生氏は老舗派閥・宏池会に所属していたが、河野洋平氏とともに飛び出し、少数派閥を立ち上げた。その後、総裁選に挑むものの、最大派閥・清和会の「数の力」に二度も敗れ、少数派閥の悲哀を味わったのである。
麻生氏は総裁選で劣勢な候補の心理も、彼らの「票の動かし方も熟知している。彼らの陣営に麻生派の票を流すことで恩を売り、決選投票での連携を約束させたのだ。高市勝利の際には、自らが人事権を掌握し、両氏も手厚く処遇する意向を伝えたのも間違いなかろう。
第一回投票が終わった時点で、計算上は小泉・林の2・3位連合が数の上では優勢だった。テレビやネットでは高市敗北の空気が大勢だったが、蓋を開けてみれば1・4・5位連合が完璧に結束。さらに小泉・林陣営からも7票が流れ、高市氏は過半数を突破した。
党員票でトップの高市氏をふたたび落選させたら、高市支持の保守層から激しいバッシングを受けるーーそんな議員心理も麻生氏の多数派工作を後押ししたのだろう。決選投票の国会議員票の流れを読み抜いた麻生氏の完全勝利だった。
では、なぜ麻生氏は土壇場で高市支持に転じたのか。
昨年の総裁選で高市氏を推した麻生氏は、石破政権の誕生によって副総裁を外され、非主流派に転落した。
今夏、石破政権が参院選で惨敗し、退陣圧力が強まる中、森山裕幹事長や菅義偉副総裁は「進次郎で挙党一致」を模索。麻生氏も当初はこれに傾いた。今回ばかりは負けるわけにはいかなかったからである。
しかし、進次郎陣営を仕切った岸田最側近の木原誠二氏や進次郎とは当選同期で盟友の斎藤健氏(ともに官僚出身)がコアメンバーで選対中枢を固めたため、他の議員が入り込む余地はなくなった。
進次郎政権が誕生しても、コアメンバーが主要ポストを独占するのではないかという不信感が、進次郎陣営内部に広がったのである。陣営の「やらせコメント」メールが週刊文春に流出したのも、そうした背景があったのだろう。
一方、森山幹事長や菅副総裁は、進次郎政権誕生を先取りして、維新幹部との接触を重ねた。麻生氏としては面白くなかっただろう。このまま維新との連立が成立すれば、森山氏や菅氏に主導権を奪われ、麻生氏は最高顧問として祭り上げられてしまう。
麻生氏の胸中に「このままでは自分の居場所が消える」という危機感が募った。
そのタイミングで現れたのが高市氏だ。
「人事も政権運営も麻生さんにお任せします」――。
たった20分の会談で、高市氏は全面的な恭順の姿勢を示したとみられる。
対して進次郎氏は、外遊帰国後に麻生氏と面会したものの「挙党一致」を繰り返すだけで、麻生氏を納得させる人事カードを切れなかった。
こうして麻生氏の決断は固まった。
小林陣営を取りまとめたのは、千葉選出の浜田靖一元防衛相と石井準一参院国対委員長。
浜田氏は麻生氏と縁が深い。
石井氏は、旧安倍派の世耕弘成氏が離党した後、参院の実力者にのしあがった。これまで石破政権を支えてきたが、ここで麻生氏に乗り換え、林陣営に加わった松山参院議員会長を押しのけて一気に参院のドンの座を狙ったのかもしれない。
麻生派の重鎮だった甘利明元幹事長(すでに政界引退)は小林氏の後見人的存在だ。麻生氏と小林氏の橋渡し役を担ったと可能性がある。
進次郎陣営が麻生氏と小林陣営の急接近に鈍感だったことが、命取りになった。
こうした経緯からすれば、今後の高市政権は「麻生体制」と言って差し支えない。
麻生氏が副総裁に復帰し、幹事長には麻生派重鎮で麻生氏の義弟でもある鈴木俊一氏が就任するとの見方が強い。
副総裁と幹事長が同一派閥というのは極めて異例だ。麻生氏は人事・政権運営の実権を完全に握ることになる。
大逆転の功労者である茂木氏は官房長官、小林氏は政調会長などの要職に処遇される可能性がある
一方で、敗れた進次郎氏と林氏は、農水相留任や総務会長起用というかたちにとどまるだろう。
旧安倍派の萩生田光一氏や西村康稔氏も復権し、世耕弘成氏の復党問題も浮上している。
こうして形成されるのは、麻生派・旧茂木派・旧安倍派・小林陣営が連携する「麻生一強」体制。
石破政権の中枢にいた森山幹事長や菅副総裁は退場し、林氏を推した石破総理や進次郎を推した岸田前総理も影響力を失う。
日本政治の実態権力は、再び麻生太郎の手に戻ったのである。まさに麻生独裁体制の始まりである。