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高市vs麻生――「恩人切り」が告げる自民党最終戦争

衝撃の一手だった。高市早苗総理が、麻生太郎副総裁に衆院議長就任を打診したのである。

権力中枢から名誉職へ――それは事実上の退場宣告だった。総選挙で自民党は圧勝し、野党は壊滅。外に敵がいなくなった今、残る最大の存在は党内のキングメーカー、85歳の麻生太郎だ。これを外せば、高市支配は完成する。

総裁選の大逆転からわずか4カ月。あまりに早い「恩人切り」である。麻生はその場で拒否し、両者の関係は決定的に壊れた。自民党内の最終戦争が幕を開けた。

麻生支配からの離脱

衆院議長打診は、自民圧勝の総選挙から一夜明けた2月9日。麻生氏は副総裁続投を希望して固辞し、麻生派重鎮の森英介元法務大臣が議長に就く流れとなった。

総理経験者が衆院議長に就くのは三権分立の観点からタブーとされる。それでも打診したのは、「麻生外し」に対する高市氏の強い意思を示すものだった。

昨年の総裁選で高市氏は劣勢だったが、麻生氏が土壇場で支持に回り逆転した。最大の恩人である。その関係は少なくとも総裁再選まで2年は続くとみられていたが、高市氏はわずか4カ月で「麻生切り」に動いた。

政権発足時の人事は麻生主導だった。麻生氏自身が副総裁、義弟の鈴木俊一氏を幹事長、総務会長にも麻生派の有村治子氏を起用。党中枢を麻生派が独占する前代未聞の体制が築かれた。

当初、高市氏は公明党との連立解消や国民民主党との連携模索など、麻生路線に従った。しかし首班指名の不確実性から維新との連立へ転じ、両者の間には早くもすきま風が吹いていた。

1月解散という決断

転機は年末年始だった。高市氏が麻生氏の構想を覆し、1月解散を決断したのである。

背景には旧統一教会問題があった。通常国会で追及が強まれば支持率が下落し、6月解散が不可能になる恐れがあった。支持率が高いうちに先手を打つ――先手必勝の判断だった。

麻生氏は6月解散後に国民民主を連立に加え、自らが連立の要として君臨する構想を描いていた。しかし1月解散はそれを破壊する。高市氏は麻生氏に無断で踏み切り、ここから「決別」が始まった。

消費税減税と福岡の衝突

寝耳に水の解散に麻生氏は激怒したが、止めることはできなかった。さらに高市氏は麻生氏が反対する消費税減税を公約に盛り込む。総裁選で封印していた持論を解禁した形だ。

追い打ちは福岡だった。高市氏は麻生氏の地元で、麻生氏の天敵である武田良太元総務大臣の選挙応援に入った。武田氏は菅義偉元首相や二階俊博元幹事長を後ろ盾としてきた人物で、麻生氏との対立関係は有名だ。

「武田さんを国会に戻さなきゃ困る」。高市氏の福岡での発言は、麻生氏への決別宣言に等しかった。

圧勝後のトドメ

総選挙で自民は戦後最多の316議席を獲得し、単独で3分の2を確保した。参院が法案を否決しても衆院再可決が可能となり、国民民主との連立は不要になった。ここまで圧勝した総理を来年秋の総裁選で倒すことは困難である。高市氏は高揚感に包まれた。そこで放ったのが衆院議長打診というトドメの一撃だった。

さらに人事は続く。高市選対の重鎮だった古屋圭司氏を選対委員長から衆院憲法審査会長に回し、後任の選対委員長には裏金問題で失脚していた旧安倍派の西村康稔元経産相を起用。組織運動本部長にも旧安倍派の松野博一元官房長官を充てた。

幹事長代行に起用していた萩生田光一元政調会長と並んで、旧安倍派5人衆の3人が復活したのだ。唯一存続する麻生派への露骨な牽制人事といっていい。

国会閉会後の内閣改造・党役員人事では、副総裁の麻生氏や幹事長の鈴木氏を外し、萩生田、西村、武田氏ら次世代を前面に出す――それが高市シナリオだろう。

最終戦争の行方

野党は壊滅し、国会に政権の対抗軸はない。政治の焦点は党外ではなく党内へ移った。高市一強体制の完成か、それともキングメーカーの逆襲か。

麻生太郎85歳。ここからどう動くのか。日本政治の次のドラマは、政権交代ではなく、自民党内部の最終戦争として展開していく。