年頭の記事『国民生活より対米追従!岸田政権は安倍政権以上に危険だ!2023年は日本の重大な岐路となる』で、2023年は日本の行方を左右する重大な一年になることをお伝えしました。
岸田文雄首相が米国から敵基地を先制攻撃することのできる長射程ミサイルを購入するために「防衛費倍増」を掲げて「1兆円の防衛増税」を打ち出したことに、世論は激しく反発しています。
ここで気掛かりなのは「防衛費倍増」や「敵基地攻撃能力の保有」ではなく「防衛増税」への反対が強いという現実です。「防衛力強化は必要だが、増税ではなく、歳出改革(他の予算の削減)や国債発行で財源を確保すべきだ」というのが反対論の中心を占めています。
これに対して財務省は「財政収支均衡(プライマリーバランス)」を重視する立場から「防衛費を倍増するには増税で財源を確保すべきだ」と主張し、法人税、所得税(復興特別所得税の一部転用・延長)、たばこ税を増税する方針を打ち出しました。
防衛費倍増は、その財源をめぐる「増税派(岸田首相や麻生太郎副総裁ら大宏池会+財務省)vs反増税派(清和会を中心とした非主流派)」の権力闘争の色彩を強めています。
テレビ新聞の多くも「防衛費の大幅増額」を前提にしたうえで「どう財源を確保するのか」という財源論に終始しています。朝日新聞デジタル(12月24日)に掲載された『社説 来年度予算案 後世に禍根を残すのか』はその典型といえるでしょう。(太字は筆者注)
来年度予算の政府案が示された。防衛費拡大への歯止めをはずし、財源の裏付けなしに当初予算を大きく増やす道に踏み込む内容だ。財政民主主義を掘り崩す巨額の予備費計上も続ける。このままでは、取り返しのつかない過ちを犯した節目の年として、財政史に刻まれるだろう。修正を強く求める。(中略)
今回の防衛費での大幅増を認める決断は、30年近く続けてきたこうした財政運営の一大転換になる。(中略)
財源があやふやなまま防衛費増額を認めたことで、今後、様々な分野で歳出圧力が高まるのは必至だ。日本銀行が実質的に政府の借金の引受先になっている現状で、政府がその圧力を適切に抑えられるのか。強い不安を抱かざるをえない。
実際、当初予算案では、膨張する防衛費の一部を4千億円の建設国債を発行してまかなうという。歴代政権は、借金による軍事費拡大が悲惨な戦禍を招いた大戦の反省から、防衛費のための国債を認めてこなかった。岸田政権はいとも簡単に、この不文律を破ろうとしている。
さらに、支出に事前の国会議決を要さない予備費に、またも5兆円以上が盛り込まれた。議会による財政の統制という近代民主主義の基本原則に反する専横が、常態化しつつある。
財政規律の喪失は、もはや借金の増大をもたらすにとどまらず、統治機構や平和主義をも揺るがそうとしている。将来世代だけでなく、多大な犠牲で平和国家を築いた過去の世代も裏切ることになりかねない。この大きな過ちの是正は、国民の代表である国会の責務である。
私がこの社説に抱く強烈な違和感は、憲法の平和主義・専守防衛の逸脱に反対する立場からではなく、財源問題として防衛費増額をとらえていることです。そこには「米国が求める軍備増強には逆らえない」という対米追従姿勢と、「防衛費を増やす以上は国債ではなく増税で」という緊縮財政路線を維持して政治力を守ろうとする財務省への配慮の両方が透けて見えます。
朝日新聞をはじめ主要マスコミは「対米追従・財務省追従」なのです。
「防衛費倍増」や「敵基地攻撃能力の保有」は日本の平和を守るよりも、かえって軍事的緊張を高め、戦争に巻き込まれるリスクを増大させるとして反対するのが筋です。それを財源論を前面に掲げて慎重論を唱えるのは、対米追従と財務省追従の双方のバランスをとる報道姿勢を如実に示しているといえるでしょう。
財務省が防衛費倍増の財源として国債発行を絶対に阻止したいのは、「防衛費が国債で賄えるのなら、社会保障や教育の予算も国債で」という議論に飛び火し、大胆な国債発行を主張する積極財政派が勢いを増して、財務省の権力の源泉である緊縮財政論が弱まってしまうからです。
財務省は国家財政を守るために緊縮財政を唱えているのではありません。積極財政が罷り通って国債発行で予算が十分に確保できることになれば、限られた予算に優先順位をつけて配分する財務省の「予算編成権」の政治的パワーは大幅に弱まり、財務省の地位は低下して、天下りなど省益が確保できなくなるからです。要するに「省益」という利権です。
そこで財務省は昔から「財政規律が喪失すれば防衛費増大に歯止めが効かなくなる」という敗戦の教訓を大義名分に掲げて、緊縮財政論の根拠としてきました。マスコミもそれを論拠に緊縮財政論に同調してきました。
敗戦の教訓はそのとおりです。積極財政による国債発行で軍備増強してはいけません。しかしそれは財政破綻につながるからではなく、軍拡競争に発展して戦争を誘発し、国土が焦土と化すからです。
この問題は、「財政論争」ではなく「安全保障論争」なのです。ところが、与党も野党もマスコミも「安全保障論争」を避け、米国からミサイルを購入するための「防衛費の大幅増」を前提にしたうえで、財政論争を繰り広げているのです。
私は与野党やマスコミの論調とは一線を画し、「本当に防衛費の大幅増は必要なのか」という安全保障論争を真正面から展開することが何よりも重要だと考えます。そこを飛び越して「増税」を主張する財務省やマスコミにも「国債発行」を主張する自民党安倍派にも与してはいけません。どっちも誤りです。
私は格差社会の是正やグリーンニューディールによる経済成長を実現するため積極財政の可能性を追求すべきだと考えています。
けれども、積極財政の正当性は「お金を何に使うのか」という政策目的の公正さにあることを忘れてはなりません。
軍備増強や環境破壊のような不公正な目的のために積極財政を使ってはならない。積極財政が経済学的に正しいとしても、その目的はあくまでも「誰一人見捨てない」という公正な社会の実現に限るべきであり、その使途は社会保障の充実や教育無償化などに限定されるべきだと思います。とくに軍事目的のために積極財政を使うと戦争を誘発し、経済ではなく軍事によって国家が破滅してしまうでしょう。
繰り返します。防衛費倍増は財政論争ではなく、憲法の専守防衛こそ日本の平和を守るという安全保障論の立場から反対すべきです。
防衛費を倍増したら日本は安全になるという幻想から脱却し、軍事的緊張を抑える平和外交こそ日本の安全を守る道であるというコンセンサスを日本社会につくる必要があります。防衛費を倍増して喜ぶのは高額な武器を売りつける米国の軍事ビジネスだけであり、苦しむのは巨額の防衛費を大増税と予算削減で負担させられる私たち国民なのです。