今回の総選挙で最大の衝撃は、自民党の勝利ではない。立憲民主党と公明党が結成した新党「中道」の壊滅的敗北である。公示前に両党を合わせて172議席あった勢力は、わずか49議席へと激減した。実に123議席が一気に消え、7割以上の議員が議席を失った計算になる。これは単なる敗北ではなく、有権者による明確な拒否といえる結果だ。
共同代表の野田佳彦氏と斉藤鉄夫氏は、開票直後に辞任を表明した。斉藤氏は解党を否定しているが、この規模の惨敗を受けて党の一体性を維持できるかは極めて不透明である。
まず選挙結果をデータで確認しておこう。前回総選挙では立憲民主党が148議席、公明党が24議席を獲得していた。ところが合流後の新党「中道」は49議席にとどまり、3割以下へと縮小した。289小選挙区のうち202人を擁立したが、結果は7勝195敗。しかも比例名簿上位は公明党出身者28人が占めたため、比例復活した立憲系候補は13人にすぎなかった。
象徴的だったのは大物政治家の相次ぐ落選である。新党結成を主導した安住淳幹事長は宮城4区で森下千里氏に約4万5000票差で敗北。立憲民主党を旗揚げした枝野幸男元代表も埼玉5区で自民新人に約1万4000票差で敗れた。福島2区では玄葉光一郎元外相が約3万9000票差で落選し、比例復活もかなわなかった。岡田克也元副総理も三重3区で約9000票差の敗北を喫し、比例重複していなかったため議席を失った。
民主党政権の中枢を担った安住、枝野、玄葉、岡田の各氏が国会から姿を消したことは象徴的である。さらに小沢一郎氏も岩手3区で敗れ、比例復活もできなかった。当選19回、83歳のベテランは、当選20回の戦後最多タイに並ぶ目前で議席を失った。
首都圏の結果も壊滅的だった。東京30、神奈川20、埼玉16の計66選挙区はすべて自民党が制し、千葉14区でも勝利したのは千葉4区の野田佳彦氏のみ。首都圏80選挙区で自民党が79勝1敗という結果は、「中道」惨敗の象徴といえる。東京では長妻昭元厚労相、海江田万里元代表、吉田はるみ氏、松下玲子氏などが相次いで敗北し、比例復活できたのは長妻昭氏と落合貴之氏だけだった。
地方でも立憲優位といわれた地域が総崩れとなった。北海道は前回9勝3敗から1勝11敗へ転落、新潟は前回5戦全勝から5戦全敗、宮城も前回4勝から全敗となった。かつて民主党王国と呼ばれた愛知県でも中道候補は全敗し、自民党が12議席を獲得した。国民民主党やゆうこく減税は小選挙区で自民を倒して議席を得ており、この結果を高市旋風だけで説明することはできない。むしろ立憲と公明の合流そのものが有権者の不信を招いた側面が大きい。
新党結成にあたり立憲は安全保障政策や原発政策で公明党の主張を受け入れ、比例名簿上位も公明党に譲った。公明党の組織票を期待した戦略だったが、結果として無党派層の支持離れを招き、流入票より流出票の方がはるかに多くなった。
選挙後の議席構成を見ると、中道の衆院議員49人のうち公明出身が28人、立憲出身が21人で、公明系が多数派となった。公示前148人いた立憲系議員は21人まで減少し、14%程度にまで縮小した計算になる。立憲が公明に屈服して選挙目当ての合流を進めた結果、党の主体性を失ったとの評価は避けられない。
今後の焦点は、新党がこのまま存続できるかどうかだ。衆院議員は49人しかおらず、その過半が公明出身である。参院では立憲40人、公明21人が控えているが、これら議員がすぐに新党へ合流するかは不透明だ。立憲参院議員にとっては、新党に参加すれば次の選挙で厳しい戦いが待つことが明らかだからである。
また、代表選出の具体的ルールも整備されておらず、後継指導部をどう決めるかさえ明確ではない。野田、斉藤両氏の辞任後、党運営が安定的に機能するかどうかは未知数である。
生き残った立憲系議員は、野田佳彦氏のほか、泉健太元代表、小川淳也前幹事長、階猛元政調会長らに限られる。民主党政権で閣僚を務めた経験を持つ衆院議員は、野田氏と長妻昭氏の二人だけとなった。政権を担いうる人材層を維持できるかどうかは、今後の野党再編の行方を左右する重要な要素となる。
今回の総選挙は、自民党の勝利以上に、「中道」戦略の失敗を浮き彫りにした選挙だった。選挙目当ての合流が有権者の信頼を失わせ、結果としてかつての民主党政権を担った政治勢力の大半が国会から姿を消すことになった。今後、野党が再び政権交代を目指すのであれば、単なる選挙協力ではなく、理念と政策を軸にした再編をどこまで進められるかが問われることになる。