立憲民主党の枝野幸男代表から野党支持者たちを落胆させる言葉がまたもや飛び出した。東京五輪が開幕したとたん、「中止か1年延期」の主張を翻し、中止を求めるのは現実的ではないとの考えを表明したのだ。
Yahoo!ニュース(Jcastニュース)によると、枝野氏が発言したは7月29日の定例記者会見。枝野氏の発言は以下のように報じられている。
我々が危惧したとおりの状況になっており、大変残念な状況の中での五輪になっている。一方で、そんな中にもかかわらず、アスリートの皆さんには、本当にその困難を乗り越えるべく、競技にまい進されている姿には頭が下がる思いだ。現状、日程が半分近くまで進み、世界各国からすでにアスリートの皆さんなど多くの外国の方が来日し、日本の国内で活動をされてしまっている。
この段階で、この状況で五輪を中止や中断をすれば、かえって想像のつかない大きな混乱を招くということも、強く危惧をしているところだ。私たちは政権を担うべき政党として、あるべき論と同時に、現実というものを冷静に見極めなければならないというふうに思っている。まずはアスリートの皆さんには、目の前の競技に集中して全力を出していただきたいと思う。
テレビや新聞さながらの「手のひら返し」である。これでは「開会式がはじまれば世論は一変する」と豪語していた菅政権やバッハ会長の思うツボだ。
野党第一党がこのような「現状追認」の姿勢を早々と鮮明にしたら、政権与党に「政策転換」の機運が芽生えるはずがない。秋の総選挙にむけて「五輪の失敗」の責任追及を恐れる自民党はさぞかし安心したことだろう。
それ以上に深刻なのは、野党支持者の間に「枝野氏はそもそも本気で五輪中止を訴えていたのか? 単なるアリバイ作りだったのではないか?」という不信感を増幅させたことだ。五輪中止の社説を掲げながら五輪スポンサーを降りずに五輪盛り上げ報道を続けている朝日新聞に対する不信感と同種のものである。
案の定、SNSには政権交代を期待するインフルエンサーたちから落胆の声が相次いだ。安倍・菅政権への厳しい論考で知られる政治学者の白井聡氏の端的なツイートはその代表例だ。
枝野氏を20年以上前から知る私の視点で解説すると、彼の発言意図は「私たちは政権を担うべき政党として、あるべき論と同時に、現実というものを冷静に見極めなければならない」という部分に凝縮されている。彼の聡明な頭の中では「あるべき論=五輪中止」と「現実=五輪が強行開催された事実」が明確に峻別されている。「現に起きてしまったことを覆すのは非現実的で『政権を担うべき政党』として世論に受け入れられない」という現状追認型の思考だ(これは「日本マスコミ界の代表する新聞」を自負する朝日新聞記者にも非常によくみられる思考回路だ)。
さらに枝野氏の聡明な頭は以下のように考える。
五輪開幕後も中止を訴える人々が与党に投票することはありえない。もともと五輪開催に賛成の人々が野党に投票することもないだろう。大事なのは、当初は五輪中止を望んでいたが、いざ開幕したら金メダルラッシュに心動かされて日本選手の活躍を期待し「開幕してしまったのだから最後までやらせてあげたい」と現実を受け入れるようになった「多数派」の支持を引き寄せることだ。強固な中止論者の声ばかりに耳を傾け、日本選手の活躍に期待する「多数派」に反感を買ったら、秋の総選挙に勝てないーー。
このような発想は、はたして正しいのか。これは菅首相やバッハ会長と同じ「国民を見下した目線」ではないのか。
枝野発言に対し明快に反論したのが、ジャーナリストの佐藤章氏のツイートだった。「現状追認」をもって「政権担当能力」を示そうとする枝野氏の根本的な矛盾をついている。
戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏も枝野発言はかえって「政権交代不要論」を高めると指摘する。山崎氏はそれに加え、枝野氏の「変節」の背後には、東京五輪スポンサーのトヨタと歩調をあわせる連合傘下の労組の影響があるかもしれないとの見方を示している。そうだとしたら、朝日新聞など五輪スポンサーの大手新聞社の「手のひら返し」と瓜二つの構図だ。そこから湧き上がってくるのは「有権者」(読者)より「大企業」(スポンサー)の立場に立っているのではないかという根本的な不信感である。
現状追認型の枝野スタイルは、東京五輪に限ったことではない。朝日新聞政治部の三輪さち子記者が指摘するのは、立憲民主党が高く旗を掲げる「ジェンダー改革」でも「現実的」を強調する枝野氏の政治姿勢である。これも「本気か」「アリバイ作りか」が問われる問題であろう。
ここにも「イデオロギーや思想信条、価値観などの問題で明確な立場を示せば世論の『多数派』を離反を招く」という枝野氏の政治感覚がにじんでいると私はみている。
しかし、本当にそうなのか。枝野氏の「現状追認路線」「中道路線」は党支持率や枝野支持率にまったく結びついていない。そればかりか、東京五輪やコロナ対策の「失態」で菅政権の支持率が急落しているのに、東京都知事選の投票率が42%に低迷したように、政権交代機運を高めるほどの「世論のうねり」につながっていないのだ。
以下のystkさんのツイートはそれを端的に示しているだろう。ここでも「次の総理が枝野とか現実的にありえない話」と言われてしまっている。「現実的」を掲げる枝野氏が「非現実的」と拒絶されてしまっているのだ。
煮え切らない枝野氏の政治姿勢に対するいらだちを端的に表現したのが、政治学者の中野晃一氏のツイートである。「何が現実的か」を判断する枝野氏の政治感性がもはや時代遅れで「非現実的な判断」を繰り返しているという指摘であろう。
枝野氏は「自民党か民主党か」という二者択一の二大政党制の申し子である。幅広い支持を得るには政治的立場をぼかし「中道」に近づくことが賢明であると信じてきた。しかし、誰もが自由に手軽に発信できるデジタル時代が本格到来し、個性的な価値観や多様な情報がインターネット上に溢れる時代において、二者択一の政治は有権者のニーズとかけ離れつつある。似たり寄ったりの二者択一では選びたくても選べないのだ。有権者はもっと鮮明な選択肢を求めている。そのような有権者の不満が近年の低投票率に顕著に表れているというのが私の見解である。
投票率が大幅に上昇しない限り、政権交代は起きない。枝野氏の政治感覚は「過去の遺物」になり始めているのではないか。
価値観が多様化するデジタル時代に「政権交代」という使い古された看板しか持たずに埋没している立憲民主党と「客観中立」の傍観報道に閉じこもって埋没している朝日新聞の姿はあまりにも似ているーー朝日新聞政治部記者として民主党を長く取材してきた私の目にはそう映るのだ。
野党第一党がこのような現状追認路線で進むと、秋の総選挙は「どっちもどっち」という有権者の感覚が広がるなかで実施され、投票率は低迷し、立憲民主党は伸び悩み、自公政権が逃げ切る公算が高い。そのなかで「五輪中止」を明確に掲げ、菅政権の「現実」を明確に否定している共産党が「政権批判票」を大量に吸収して躍進すると私はみている。