日本学術会議の会員選考をめぐり、菅義偉政権が6人を狙い撃ちするかのように任命を拒否して「国家権力の学問への介入」が世論の批判を浴びたのは3年前のこと。
日本学術会議が7月16日の総会で、3年ごとに選考している次の会員候補者105人を承認したが、前回任命拒否された6人は含めず、今後も前回推薦したことを認めるよう政府に求めていくこととした。
これに関連し、松野博一官房長官は記者会見で「3年前の任命については、一連の手続きは終了している」と強調し、菅政権の任命拒否は見直すつもりはないことを明らかにした。一方で、今回の新たな名簿については「今後、推薦があれば法令の手続きに沿って適切に対応していく」と述べ、岸田政権は日本学術会議の推薦通りに任命していくことを示唆した。
岸田政権としては、前政権が決定したことを覆して世論の批判を浴びた問題を蒸し返すことは避けたいということだろう。今後は日本学術会議の推薦通りに任命することで幕引きにしたい考えだ。
そもそも官僚機構には「お上は間違わない」という信仰じみた官尊民卑の発想が蔓延っており、メンツにかけて任命拒否撤回は許せないという思いもあるに違いない。国家権力の身勝手で恐ろしいところである。
学術会議としても、学問の自由を守るという建前上、前回の任命拒否を容認するわけにはいかないが、6人を今回推薦することで岸田政権と新たな対立を生むことは避けた格好だ。
6人の任命拒否は間違っているという主張は続けるものの、6人の任命を勝ち取るために徹底抗戦することは避けるという「玉虫色の先送り策」といえる。学問に自由への国家権力の介入をこのような先送り策でうやむやに終わらせて良いのかという疑問も出てくるだろう。
この問題を俯瞰して痛感するのは「行政が一度決めたことを誤っていたとは決して認めない」という、官僚機構の頑なな姿勢である。
前政権の決定なのだから誤りを認めればよいのではないかと思うのだが、首相は変われど、官僚機構は年功序列の順送り人事で受け継がれており、かつての上司だった先輩官僚たちの決定を後輩官僚が覆すことができないという硬直性に覆われているのである。
そこへ踏み込んで誤りを認め、方針転換を決断するのが政治の役割だ。
その点、小泉政権が発足した直後の2001年5月、ハンセン病患者を隔離する過去の政策をめぐり国が敗訴した訴訟で、官僚機構の猛反対を押し切って控訴しないことを決断して元患者と直接面会し、補償金支払いへ道筋をつけたのは日本政治史に残る英断だった。小泉内閣の支持率が跳ね上がり、同年7月の参院選に圧勝して長期政権に突入したのである。
それまで日本政界を牛耳ってきた経世会(田中派→竹下派→小渕派…現茂木派)から清和会(現安倍派)へ権力の重心が移る政治史の転換期だからこそ可能だったことかもしれない。
岸田政権が誕生し、安倍晋三元首相が急逝して清和会の弱体化が進む今は、小泉政権以来の転換期である。
岸田文雄首相が安倍政権の影響を色濃く受けた菅政権の決定を覆せば、時代が動いたという印象を強烈に与えたことだろう。しかし首相本人にそれほどの気概はなく、むしろ自らの政権延命のため、非主流派の菅氏のメンツを潰して怒りを買うことを回避したのだった。
菅政権の任命拒否を覆して「胆力」を見せつけ、小泉政権のように内閣支持率を回復させて早期解散を狙えばよいのに、岸田首相にはそのような勝負勘もなさそうだ。どこまでも凡庸な政治指導者である。