JAXA(宇宙航空研究開発機構)が3月7日に仕切り直しで発射したH3ロケット初号機は、種子島宇宙センターから今度は打ち上がったものの、2段目のエンジン着火が確認されず、失敗に終わった。JAXAは地上から指令破壊の信号を出し、ロケットは粉々になってしまったのである。
最初に打ち上げを試みた2月17日は、電気系統の異常を検知して補助の固定ロケットブースターの着火が急きょ止まる予想外のトラブルで発射できなかった。JAXAは「失敗ではなく中止」と強弁し、マスコミ各社も「ロケット打ち上がらず」「中止」と当局発表を垂れ流して「失敗」の追及を避けていた。
そして1か月もたたない3月7日に二度目の打ち上げ実施日が設定されたのである。ロケットが木っ端微塵になって今回はさすがにJAXAもマスコミ各社も「失敗」と認めるほかなかった。
JAXAはなぜ前回「失敗」と認めなかったのか。一連の打ち上げ事業が失敗に終わったのではなく、再発射の機会があるのだから「あくまでも中止」であるーーという理屈であろう。
しかし想定通りに打ち上げできなかったのだから「失敗」と総括し、原因をしっかり究明して再チャレンジしていれば、ロケットが木っ端微塵になる事態は避けられたのではないか。
①失敗と認めたら今後の予算がつきにくくなる②年度内に発射を成功させ、次の予算編成で予算を増額させたいーーという役所の論理が働いたことは容易に想像がつく。そこから「失敗と認めず、年度内に再発射を試みる」という方針がバタバタと決まり、その結果として前回の「失敗」の原因が究明されないまま今回の「大失敗」へ突入していったという構図が浮かんでくる。
俗な言葉でいえば、「失敗をちゃんと認めて反省しないから、より大きな失敗を招いた」ということだ。
このロケット失敗劇は「日本の国力(資金力と技術力)が衰退し、世界に水をあけられている」という厳しい現実に加え、「その現実を直視せず、なんとかなるという根拠なき楽観論で突進して傷口を広げる」という日本政府のガバナンス崩壊を映し出している。
大企業や富裕層ばかりを優遇するアベノミクスのもとで格差が拡大して経済力は大きく衰弱したのに「日本スゴイ」という根拠なき愛国心を安倍政権やマスコミが流布し、東京五輪をはじめ利権まみれの国家プロジェクトにうつつを抜かしているうちに行政のモラルは崩壊して、はたと気づくと「失敗」を認めず木っ端微塵になるまで突っ込んでしまうという、戦前日本さながらの光景が繰り返されたのである。
日本スゴイ、ではなく、日本ヤバイ、アブナイ。
今回の大失敗は単に技術的な問題ではない。日本政府とマスコミのガバナンスとモラルが崩壊した結果、起こるべくして起きた大失態である。その点を認めていちから体制を立て直さない限り、いくら予算をつけても湯水のように無駄に消費されるだけだろう。ロケット開発に取り組む前提条件が欠けているとしかいいようがない。
最初の「失敗」時の記事は以下である。あわせてお読みいただければ幸いだ。
JAXA新型ロケット打ち上げは「失敗」だ!当局が認めない限り、自らの責任で「失敗」と判定せず、「打ち上がらず」と報じたNHKと朝日新聞のマヌケ報道