政治を斬る!

清和会時代は終焉し、経世会ー宏池会時代が復活する!?小渕恵三首相が病に倒れ、森喜朗内閣が誕生して以来の自民党史の転換期がやってきた

安倍晋三元首相の一周忌が過ぎても新会長が決まらない清和会(安倍派)、茂木敏充幹事長に代わって小渕優子元経産相の抜擢がささやかれる平成研究会(かつての経世会、茂木派)、当初予想を超えてしぶとく延命している岸田文雄首相が率いる宏池会(岸田派)。

8〜9月に予定される内閣改造・自民党役員人事にむけて、自民党の歴史ある3派閥の駆け引きが強まっている。個々の政治家による権力闘争はさておき、自民党史を俯瞰して今の派閥闘争を眺めると、20余年ぶりの勢力地図の塗り替えが起きているのではないかと思えてくる。

私が朝日新聞政治部に着任したのは1999年春。当時は小渕優子氏の父・小渕恵三首相の時代だった。小渕氏は最大派閥・小渕派(現茂木派)を率い、自公連立政権を樹立し、強固な権力基盤を築いていた。

小渕氏に派閥を譲ったのは竹下登元首相である。田中派ー竹下派ー小渕派と受け継がれた最大派閥・経世会は戦後日本政界に君臨してきた。

小渕内閣の最初の官房長官を務めたのは、小渕派大番頭として自公連立を主導した野中広務氏。続いて官房長官を務めたのは、竹下氏の秘書出身で野中氏と並ぶ小渕派重鎮であり「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄氏。小渕政権の権力基盤は磐石に見えた。

その小渕氏が突然の病に倒れたのが2000年4月である。私はこの時、小渕首相番の記者として官邸記者クラブに在籍していた。ここから歴史が急旋回しはじめる。官房長官だった青木氏が首相臨時代行を務め、青木氏や野中氏が密室協議で後継首相に担ぎ上げたのが、当時幹事長を務めていた清和会の森喜朗氏だった。

小渕氏は2000年5月に帰らぬ人となり、その翌月には経世会のドンとして政界に隠然たる影響力を残し、小渕氏の後見人であった竹下氏も後を追うように他界したのだった。経世会の転落が始まったのだ。

清和会は戦後日本政界で長らく非主流派だった。自民党の主流派を占めたのは、武闘派と呼ばれた経世会とお公家集団と呼ばれた宏池会であり、清和会は冷飯暮らしが続いた。だが、宏池会のプリンスともてはやされ、首相候補筆頭にあげられていた加藤紘一元幹事長は総裁選で小渕氏に敗れ、非主流派に転じていた。その間隙をぬぐって幹事長ポストを手に入れたのが、清和会の森氏だったのである。

森氏に追い越された加藤氏は反主流派色を強め、2000年秋には野党提出の内閣不信任案に同調する動きを見せて「森おろし」を仕掛けた。いわゆる「加藤の乱」だ。これに対し、野中幹事長は宏池会の実力者であった古賀誠氏らと気脈を通じて宏池会を切り崩し「加藤の乱」を鎮圧した。加藤氏は失脚し、宏池会は加藤派(今の谷垣グループ)とアンチ加藤派(今の岸田派)に分裂し、弱体化した。

森首相は失言を繰り返して内閣支持率は低迷し、2001年夏の参院選を前にあえなく退陣する。ここで登場したのが、清和会の小泉純一郎氏だった。2001年春の総裁選で「自民党をぶっ壊す」と豪語して世論の支持を引き寄せ、当初の予想を覆して最大派閥・経世会(この時点では「平成研究会」になっていたが、永田町では経世会と呼ばれることも多い)が担いだ橋本龍太郎元首相らに圧勝したのだ。

小泉首相は経世会を攻め上げた。経世会重鎮で参院のドンと呼ばれた青木氏を味方に引き込む一方、野中氏を抵抗勢力のドンと位置付けて徹底的に干し上げ、経世会を分断したのである。

小泉首相が掲げた郵政民営化は、郵政族のドンであった野中氏への攻撃ともいえた。郵政民営化の是非を問う2005年衆院選(郵政選挙)で小泉首相は郵政民営化に反対する勢力を自民党から追放して圧勝し、清和会支配を確立した。清和会は長年の非主流派から脱却し、ついには最大派閥にのしあがったのだ。

小泉首相は安倍氏を幹事長や官房長官に抜擢し、後継者と位置付けた。安倍氏は小泉政権を受け継ぐが、2007年夏の参院選に惨敗し、まもなく退陣。自民党は2009年夏の衆院選で政権から転落するものの、2012年冬の衆院選で政権復帰を果たし、憲政史上最長の第二次安倍政権に突入する。

自民党の野党転落以前は「小泉時代」であり、政権復帰以後は「安倍時代」といえるだろう。いずれも清和会である。この両時代を通じて清和会に隠然たる影響力を持ち続けたのが、森氏だった。

安倍政権で官房長官を務めた菅義偉氏が安倍政権を継承したが、その後、2021年秋に誕生した岸田文雄政権は約30年ぶりの宏池会政権だった。

岸田首相は安倍氏と安倍氏の盟友であった麻生太郎氏の後押しで首相の座をつかんだが、就任後は麻生氏との連携を強化する一方、安倍氏とは距離を置き始め、清和会支配からの脱却を目指した。幹事長には茂木氏を起用し、自民党の中枢ラインを岸田総裁ー麻生副総裁ー茂木幹事長で固め、清和会を外したのである。

麻生氏はもともと宏池会だ。加藤氏の派閥会長就任に反発し、河野洋平氏(河野太郎大臣の父)とともに宏池会を飛び出して大勇会という小派閥を立ち上げた。これが麻生派の前身である。第二派閥・麻生派、第三派閥・茂木派、第四派閥・岸田派の連合による新主流派は、最大派閥・清和会の支配からの脱却を目指した「経世会ー宏池会」体制の復活と言えるだろう。

清和会の影響力が陰りを始めた時に追い打ちをかけたのが、安倍氏の急逝である。2022年7月8日、参院選の応援演説中に銃撃され、帰らぬ人となったのだ。

安倍氏は三度目の首相返り咲きを目指して後継者を絞り込んでいなかった。突如としてリーダーを失った清和会は混迷し、5人衆(萩生田光一政調会長、西村康稔経産相、世耕弘成参院幹事長、松野博一官房長官、高木毅国対委員長)が後継会長を目指して譲らず、安倍氏が他界して一年が立っても後継会長を決められないでいる。

清和会は人数こそ100人に達し、麻生派(55人)、茂木派(54)人、岸田派(46人)を引き離しているものの、確固たるリーダーは不在で、存在感は低下する一方だ。

岸田首相は8〜9月に予定している内閣改造・党役員人事で、萩生田氏や西村氏を留任させ、清和会の後継会長レースのこう着状態を維持し、分断しつづけることで、政権延命を図るだろう。一方で、ポスト岸田に意欲をみせる茂木幹事長を警戒して更迭し、茂木派のホープである小渕優子氏を官房長官などの要職に抜擢して「ポスト岸田」候補に引き上げ、茂木派の世代交代を促すとも見方も広がっている。

茂木氏の後ろ盾である麻生氏は82歳となり、このところ存在感が薄れてきた。茂木更迭は麻生氏の影響力をさらに弱め、岸田ー小渕による新たな「宏池会ー経世会」体制の樹立ともいえる。陰でそれを後押しするのは、増税を目論む財務省だ。財務省は清和会への抵抗感が強い一方、宏池会とは歴史的に親密だ。そして竹下登ー小渕恵三の経世会とも極めて濃密な関係だったのである。

麻生ー茂木ラインは公明党とそりがわるく、自公連立は岸田政権で不協和音を生じてきた。小渕優子氏の父・小渕首相は自公連立の立役者であり、公明党も小渕優子氏の抜擢を歓迎する向きは強い。日本維新の会の台頭に対抗して、自公連立を引き締め直すためにも、小渕氏登用は好都合である。

今年6月、小渕恵三内閣で官房長官を務め、小渕優子氏の後見役を果たしてきた青木氏が他界した。マスコミ各社は、青木氏に毛嫌いされてきた茂木氏が派閥内の権力基盤を固め、いよいよポスト岸田への体制を整えると報じたが、私の見立ては逆だ。岸田首相にすればここで茂木氏を潰しておかなければ、来年秋の自民党総裁選で自らを脅かす脅威になる。むしろ小渕氏を引き立てることで茂木氏の力を弱めるほうが得策であろう。

清和会の森氏も85歳。清和会の後継会長レースでは露骨に萩生田氏を推しているが、「鶴の一声」で決まる気配はなく、会長レースは混迷を深めている。森氏の影響力低下も隠しきれない。

安倍氏と青木氏の他界、森氏と麻生氏の影響力低下、清和会の混迷、小渕優子氏の登用…これらの動きを線でつなぐと、2000年に小渕恵三氏が病に倒れ、森氏が後継首相に担がれることで幕を開けた清和会時代がいよいよ終焉するのではないかと思われるのである。


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