大規模な再開発が進むJR広島駅の改札を出てすぐの土産物コーナーには、岸田文雄首相の似顔絵に包まれた「広島ふみきゅん焼き」が積まれている。「ふみきゅん」とは岸田首相のあだ名だ。
そんな名は聞いたことがないという読者も多いだろうが、侮ることなかれ。若者に人気のTikTokでは「キッシー」などより「ふみきゅん」が支配的である。
製造元のフェイスブックによると、岸田首相が就任した翌月の2021年11月に新発売された。広島の大納言小豆、もち米、宮島産はちみつを使った大福どら焼きだ。
そのとなりには岸田首相の似顔絵に代わって、岸田首相がどら焼きを片手にG7サミットの議長を務める包装紙の「ふみきゅん焼き」が並んでいる。5月19日〜21日に広島で開催されるG7サミットに向けた期間限定商品である。
私は岸田首相の裕子夫人が「ふみきゅん焼き」を手土産に買う様子を紹介したテレビ番組をユーチューブで発見し、広島駅に着いてさっそく土産物コーナーに足を運んだのだが、すぐに発見することができた。店員の方にそれとなく「テレビで見たのですが、首相の奥さんもこちらで買われたんですか」と尋ねると、「ええ、いらっしゃいました」と即答してくれた。
どちらにするか悩んだが、「G7サミットの広島誘致」について取材するためにこの地へやってきたのだから、期間限定のG 7どら焼きをいただいた。宣伝するつもりはないけれども、もちとはちみつが効いていて、なかなか美味しかった。
今更言うまでもなく、ここは岸田首相の地元である。広島サミットは首相の地元に誘致されたことを駅を降りてすぐに実感したのだった。
近くのコーナーには、岸田首相の似顔絵と広島サミットのロゴが刻まれた別の饅頭が並んでいた。こちらは岸田後援会が地元の会合で配ったとして「サミットロゴの政治利用ではないか」と国会で追及されたものである。
店員の方に「写真を撮っていいですか」と尋ねると、すこしためらいながら承諾してくれた。国会での追及がマスコミでも報道され、ちょっと気にしているのかもしれない。
私は長年、政治部記者としてスーツ姿で政治家を追いかけてきたが、その一方で、調査報道専門の特別報道部記者として尾行や隠し撮りの取材経験も積んできた。新聞記者としては珍しい経歴である。怪しまれずパシャと一枚撮る術も、さりげなく録画を長回しする術も、知っている。
こちらは「ふみきゅん焼き」よりもややガードが固く感じられたが、しっかり画像をいただいた。店員さん、ゴメンなさい!
続いて向かったのは、広島市内に岸田首相の自宅である。GW前の単独訪米やGW後の訪韓が報じられた裕子夫人は、ふだんはこちらにお住まいのようだ。
岸田首相が選挙遊説先の和歌山で襲撃された事件を受けて、首相宅の周辺には警察官の姿が至るところに見られた。自宅前までたどり着くことは可能だが、ふつうの人がふらっと近づくと、職務質問される可能性が極めて高いだろう。
私は無事にたどり着き、その一帯で警察官に怪しまれることなく動画や写真も撮影したが、襲撃事件の直後であり、詳細をお伝えするのは控えておこう。
首相宅から徒歩圏内の繁華街にある飲食店に立ち寄ってみた。裕子夫人が訪れそうな店に目星をつけてランチタイムに飛び込んでみたのだが、ドンピシャリだった。
食事の後に店員の方にさりげなく尋ねると、裕子夫人は時折来店するという。広島市長の奥さんと連れ立って来たこともあるそうだ。店員は「とても目線が低く、聞き上手な方です。政治家の奥さんらしくないです。いろんなところにまめに顔を出していて、地元では悪く言う人はいません。あの奥さんがいたから、岸田さんは総理になれたんですよ」などといろいろ語ってくれた。
広島の人は気さくだ。世界から観光客が訪れる街である。初対面の人への警戒感は少ない。
私は調査報道取材で日本各地を訪れたことがあるが、総じて西に行くほど取材のとっかかりは楽だ。東はいったん仲良くなって心を開いてくれるととても親切だが、そこまでたどりつくのが大変である。それに比べて西は敷居が低くフレンドリーだ。私の取材経験では、初対面でいきなり心を開いて応じてくれる印象が最も強かったのは鹿児島だった。
私の広島取材はこの後、広島サミットの主会場となるグランドプリンスホテル広島、各国メディアの拠点となる国際メディアセンター、G7首脳が献花に訪れる予定の平和記念公園、外国人の姿が多い原爆ドーム、爆心地2キロ圏内にある被爆樹木、サミットに向けて道路舗装工事が至る所で続く市中心部、岸田後援会事務所…と続くが、その内容は改めてお伝えしたい。
最後にひとつ「お好み焼き」について触れておこう。
繁華街を訪れると、小さなお好み焼き店があちこちにある。お好み焼きといえば、大阪と広島が有名だが、広島は人口あたりのお好み焼き店の数が全国でダントツの1位なのだ(こちら参照)。岸田首相も裕子夫人の手作りのお好み焼きをしばしば自慢している。
私は小学6年まで兵庫県尼崎市で育ち、大阪のお好み焼きは大好物だった。東京暮らしが長くなったが、今でも大阪を訪れるとお好み焼きをできる限りいただく。お好み焼きとたこ焼き(明石焼き)は、東京より大阪に圧倒的に軍配があがる。
だが、広島の繁華街にひしめく小さなお好み焼き店のひとつに入って、愕然とした。大阪のお好み焼きとはまるで違うのだ。キャベツやモヤシが多く、小麦粉もその他の具も少ない。そばを何重にも丁寧に重ね焼きして薄い皮ではさむ。肉や海鮮を贅沢に投入する大阪のお好み焼きとはまるで別の食だった。素朴でやさしい味だった。私は惹き込まれるようにハシゴしてしまった。
このお好み焼きには原爆投下ですべてが吹き飛んだ広島の復興の歴史が密接に関連している。戦後の広島は凄惨を極め、貧しかった。日本中が貧しかったが、広島の荒廃ぶりは群を抜いていただろう。鉄板一枚ではじめられるお好み焼き店が至る所に自然発生し、安価なキャベツを大量使用し、あるいは客が手に入る食材をそれぞれ持ち寄り、細い麺を幾重にも重ねて固めて焼き、小麦粉を薄く薄く伸ばしてつくった皮にくるんで、とにかくお腹を満たしたのだ(こちら参照)。
繁華街を歩くとすぐに気づくが、広島には「○○ちゃん」という名のお好み焼き店が目立つ。それは戦争や原爆投下で夫を失った未亡人たちがお好み焼き店を次々に立ち上げたことに由来するという。お好み焼きは広島復興とともに歩んできたのだ。
私が訪れたいくつかの小さなお好み焼き店には、観光客よりも地元在住のお年寄りの姿が目立った。庶民の暮らしに根ざした食文化なのだ。
もっとも今では大阪のお好み焼きに劣らず、具だくさんの豪勢なお好み焼きも登場している。さて、岸田首相の好物である裕子夫人のお好み焼きはどちらなのだろう。そんな想像を張り巡らせながら、私はキャベツとモヤシがたっぷりの素朴なお好み焼きを堪能した。