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1票の格差「3倍」を追認した最高裁判決〜司法の限界、選挙制度の抜本改革には既存政党をなぎ倒す新たな政治勢力の台頭が不可欠

一票の格差が3倍を超えた昨年の参院選は憲法違反だとして、弁護士グループが選挙の無効を求めた上告審で、最高裁は10月18日、「合憲」と判断して上告を棄却した。

原発や沖縄米軍基地などをめぐる訴訟で、現政権の判断の追認を繰り返す近年の最高裁の姿勢を踏襲した判決といってよい。日本社会で三権分立は機能しているのか、根本的な疑問がわいてくる判決だ。

最高裁は最大格差が3・00倍だった2019年参院選を「合憲」と判断する一方、抜本的な見直しは「大きな進展を見せていない」と指摘していた。その後も改善に向けた国会の議論は停滞したままで、今回の判断が注目されていた。

最高裁は、合区対象の4県で投票率低下が続いていることを踏まえ、「有権者は都道府県ごとに国会議員を選出する考えがなお強いことがうかがわれる。慎重に検討すべき課題だ」と指摘。国会が新たな対策を進めていないとしても著しい不平等状態にあったとは言えないと結論付けた。

一票の格差は衆院選でも争われてきた。

2021年の衆院選は、有権者数が最少の鳥取1区(約23万人)と最多の東京13区(約48万人)で議員一人あたりの有権者数に2・08倍の開きがあった。一票の格差が2倍を超えた選挙区は29あった。2017年衆院選は最大格差が1・98倍だった。最高裁はこの衆院選でも「合憲」の判断を下している。

国会は2022年11月に議員定数を人口に応じて増減させる「アダムズ方式」を初適用し、衆院定数を10増10減させる法改正を実施して最大格差を1・999倍に抑えた。弁護士側はそれでも「人口に比例した定数配分には程遠い」という立場だ。

最高裁の判断は「国会や内閣の高度な政治判断には介入しない」という伝統的な司法の立場を堅持したものといえる。

国会や内閣が機能不全に陥った場合(近年の政治はまさにそうだ!)、それでも裁判所は非介入の姿勢を続けるのか。裁判所への疑念がまた膨らんだ格好だ。

敗訴に終ったにせよ、一票の格差に焦点をあて続けている弁護士グループの活動に敬意を表したい。

そのうえで、私自身は一票の格差の問題は、最終的には司法闘争よりも政治闘争として決着するほかないと考えている。以下、考察を進めよう。

この問題の根底には「有権者の一票の価値に格差があってはならない」という政治理念がある。法の下の平等を定めた憲法に照らしても、これは当然の大原則だ。

この大原則を徹底するならば、選挙制度は全国区とするしかない。選挙区を複数設ける以上、程度の差こそあれ、どうしても一票の格差は生じてしまうからだ。

一方、「有権者の一票の価値を等しくする」ことを徹底して全国区だけで選挙をすれば、人口の多い大都市部に地盤を置く議員が圧倒的多数を占めることになろう。

すでに参院で一票の格差是正のために「徳島・高知」「鳥取・島根」の「合区」が導入されているが、参院議員を「都道府県単位の代表」として捉える場合、合区対象の県を代弁する議員が減ることになる。大都市部と過疎地域で利害が対立する案件について、常に大都市部の主張が採用されるのではないかという懸念が地方に強まるのは理解できよう。

日本国憲法上、国会議員は「全国民を代表」する存在と規定されており、「地域代表」ではないという指摘も成り立つが、政治の現場ではやはり「地域代表」の側面が強いことも無視できない。

米国の上院議員は州の代表として選出され、各州に人口の多少にかかわらず同じ議席が割り振られている。「一票の平等」よりも「各州の平等」を優先し、「各州代表」=「地域代表」として上院議員を位置付けている(これは日本の都道府県よりも米国の州のほうがはるかに独立性が高いからである。だから「合衆国」なのだ)。国連総会も各国が人口の大小に関係なく一票を持っている。

結局のところ「国会議員とは何を代表する存在と考えるのか」で選挙制度は変わってくる。日本国憲法は「全国民を代表」すると位置付けており、「一票の格差」が重要になってくるが、憲法が許容する範囲内で「有権者の一票」と「地域偏重」のバランスをとることは憲法上も可能であろう。

どこで線引きしてバランスをとるかは裁判所による司法判断にはなじみにくく、最終的には政治の合意形成プロセスを通じて、なるべく多くの有権者が納得できる落とし所を探るほかない。

少なくとも一票の格差が2倍を超えるのは「格差が大きすぎる」と考え、「2倍を超えないように」選挙制度を設計することは、広範な社会的合意が形成できるのではないか。2倍を超える2021年衆院選を「合憲」と判断した最高裁判決は、社会的常識から逸脱している印象を拭えず、もうすこし工夫した判決を出すことはできなかったのだろうか。

いずれにせよ、国民の代表たる国会議員をどのような制度で選ぶのか、根本的な見直しが必要である。

衆院選も参院選も選挙区と比例代表を組み合わせている現行制度はいかにも理念がすっきりしない。

せっかく二院制なのだから、ここは衆参で基本理念をくっきり分け、衆院は完全小選挙区制(比例代表は廃止)にして一票の格差が2倍を超えないように毎回修正し、参院は全国区の比例代表制だけにして(選挙区は廃止)一票の格差をゼロにするのがいちばん明快ではないだろうか。

衆院議員は地域代表として個人重視の選挙制度とし、参院議員は全国代表として政党重視の選挙制度として仕分けるほうが、衆参双方の性格がはっきりするだろう。このように選挙制度をクリアにすることで、都道府県の垣根を超えて大都市部に対抗する「地方連合」のような新興の政治勢力(政党)が台頭してくるかもしれない。

そのような抜本改革にもっとも抵抗するのは、現制度で当選している現職の国会議員たちだ。

とくに衆院議員は与野党を超えて選挙区で敗北した場合の救済策である「比例復活」がなくなることは嫌う。ここに現職議員たちから選挙制度改革が提起されない最大の理由がある。

選挙制度の抜本改革は、永田町の既存政党とは別に、新たな政治勢力が新党を結成して永田町に参入する時でなければ実現しにくい。現在の選挙制度が導入されたのは、新党ブーム(日本新党や新党さきがけ)で自民党が下野した1993年衆院選の後だった。

自民党と立憲民主党が政権を競い合う二大政党制のもとで選挙制度の抜本改革が進む可能性は極めて低い。その意味で立憲が低迷し、日本維新の会が躍進しながらも伸び悩み、与野党全体に政治不信が広がる現在の政治状況は、地方から新たな政治勢力が乱立気味に台頭して選挙制度改革の機運が高まる可能性を十分に秘めていると思う。

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