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石破総理、まさかの続投宣言──「赤心奉国」の本心を探る二つの仮説

衆院選に続いて参院選でも惨敗した石破茂総理が打ち出した「続投宣言」が政界に衝撃を与えている。自民党内でも、そして世論の中でも、「まさか」の声が広がる中での決断。その裏にある本音とは何か。今回は、この記者会見を手がかりに、石破総理の内面を大胆に分析し、二つの仮説を提示したい。

「ネチネチ石破構文」に滲む不誠実さ

参院選の翌日、石破総理は続投を表明。だがその記者会見は、謝罪とも釈明ともつかない曖昧な言葉に終始した。

「極めて厳しい国民の判断をいただいた。痛恨の極みだ」と前置きしながらも、選挙結果を「敗北」と明言せず、自身の責任にも口を濁した。

さらに、「我が国は国難とも言うべき状況にある。政治を停滞させてはならない」と続け、国難を盾に居座りを正当化。果ては「明日起こるかもしれない自然災害」まで引き合いに出し、自らの延命に利用したかのような発言には、呆れを通り越して怒りすら覚える国民も多いだろう。

記者会見のハイライトは「比較第一党としての責任」という言葉だった。たしかに自民党は第一党を維持した。しかし与党全体では過半数を割ったのだ。「国民は石破政権に不信任を突きつけた」――この明白な民意を読み違えているとしか思えない。

「赤心奉国」か、「私心と私欲」か──二つの仮説

石破総理の続投表明の裏にあるのは、果たして国を思う“赤心”なのか、それとも単なる延命策なのか。ここでは対照的な二つの仮説を提示したい。

仮説A:外交決着を花道にした「予定調和型退陣」

まず、石破総理は8月1日に期限を迎えるトランプ政権との関税交渉を最重要課題と捉えており、その決着を花道に、総理の座を退くつもりではないか、という好意的な仮説だ。

いま退陣を表明すれば、交渉の正統性を失う。だからこそ、一定の成果をもって退陣することで、わずかながらも名誉を保とうとしている――この解釈であれば、記者会見での煮え切らない態度も説明がつく。

「真摯に丁寧に他党との議論を深め、赤心奉国の思いで国政に当たる」

この言葉が、単なる美辞麗句ではなく、本心であるなら、トランプ交渉が一区切りついたところで辞任を表明する可能性は十分にある。だが、それは“本当に赤心があるならば”の話である。

仮説B:私欲にまみれた「ズルズル居残り作戦」

一方、より現実的かつシニカルな仮説Bは、石破総理が今後の展開を計算しつつ、ギリギリまで権力の座に居座るつもりではないかという見立てである。

日米交渉を「切り抜けフック」に利用し、8月以降は情勢に応じて新たな「延命口実」を探す。自然災害、国際紛争、政界再編の可能性──何かしらを理由に、「まだ自分が必要だ」と居残るシナリオだ。

果ては立憲民主党との「大連立構想」を最後の切り札として温めている可能性すらある。野田代表との協調路線をちらつかせながら、「この国難を乗り越えるためには超党派で」などと大義名分を掲げ、さらなる延命を図るのではないか。

この仮説が正しければ、石破政権は“私心と私欲の政権”に他ならない。外交でも国内でも、正統性を失った政権が続くことのリスクは計り知れない。

居座るほどに政治は停滞する

どちらの仮説が正しいにせよ、明らかなのは、国民から不信任を突きつけられた政権が、正当性を持って政策を遂行できる状況ではないということだ。予算も法案も通らない、外交の相手からも信用されない――石破内閣がこのまま続けば、日本の政治は完全に立ち往生する。

石破総理は「赤心奉国」と語ったが、その言葉を口にする資格が、自身にあるのかどうか、いま一度、自問すべきだ。