9月の「石破退陣」は避けられぬ情勢――自民党内で繰り広げられてきた「石破おろし」は、ほぼ終幕を迎えつつある。
しかし、ここで注目すべきは、世論調査の数字だ。NHK調査では石破続投「賛成」49%、「反対」40%。TBS調査でも「辞任不要」が47%と、「辞任すべき」を上回った。
衆参両院選で惨敗し、与党過半数を失った総理に対し、続投を求める声が多数派となる――これは議会制民主主義史上、きわめて異例の事態で、きわめて危うい状況と言わざるを得ない。
背景には、世代間の政治的断層線がくっきりと浮かび上がっている。
高齢層と若年・現役層の断絶
NHK世論調査によると、自民・立憲の二大政党の支持層は高齢層に偏り、逆に新興政党の国民民主党や参政党は若年層・現役世代の支持を糧としている構図が見えてくる。
80歳以上の自民支持率は5割を超え、立憲も高齢層で一定の支持を維持する。一方で、40・50代では参政党と国民民主党が2位、3位に躍り出ており、39歳以下では両党が支持率首位と次席を占め、自民を凌駕している。
この世代間の政治的乖離は、「石破辞めるな」派と「即刻辞めろ」派の分布にも直結する。高齢世代ほど続投支持が高く、若年層ほど退陣要求が強い。
リベラル系メディアに石破擁護論が根強いのも、彼らの読者・視聴者層が高齢世代に集中していることと無関係ではあるまい。
民意を無視する「約束破り」
問題の本質は、総理自身の姿勢にある。石破氏は昨年の衆院選、今年の参院選ともに「与党過半数維持」を勝敗ラインとして掲げながら、二度ともこれを割り込み、それでも続投を宣言した。
これは明らかな「約束破り」であり、選挙を通じて現政権が国民の審判を受ける議会制民主主義の根幹を骨抜きにする行為だ。これが許されるのなら、いったい、なんのための選挙なのか。
政治的立場に近い総理なら敗北しても居座りを容認する――このリベラルメディアの態度は、一方で「護憲」を訴えながら、一方で憲法の柱である議会制民主主義を軽視する自己矛盾に陥っているというほかない。
かつて安倍政権が参院選で敗北した際、彼らは即時退陣を求めたではないか。このダブルスタンダードを、若い世代は鋭敏に嗅ぎ取っている。
彼らが自民・立憲の二大政党を敬遠し、国民・参政の新興政党へ流れ込んでいる根底には、自分たちの「正義」を振りかざして一方的に押し付けてくるオールドメディアへの強烈な不信がある。
「旧安倍派の責任」論の欺瞞
石破擁護論者の中には「選挙の敗因は旧安倍派の裏金事件であり、石破総理の責任ではない」とする声もある。
しかし、自民党総裁として最終決定権を握るのは石破氏である。裏金議員を除名し、公認を見送ることも、対抗馬を立てることも可能だった。小泉純一郎総理は郵政民営化反対派に対し、その手段をためらわなかった。
だが石破氏は旧安倍派の議員を多数公認し、昨年の衆院選の最終日には、裏金議員の象徴的存在だった丸川珠代氏と並んで街頭に立った。
つまり、彼は自らの意思で旧安倍派と共闘し、権力基盤の強化を試みたのである。それが失敗し、選挙で惨敗して総理の座を終われそうになった今になって、旧安倍派を敵に回して世論に支持を受け、総理に居座ろうとしているのだ。
最高権力者たる総理が自らの判断を棚上げし、あたかも被害者であるかのように振る舞うのは、政治的責任感の欠如と言わざるを得ない。
石破総理は党内基盤は弱いとは言え、目下、最高権力者である。その横暴を監視するのが、メディアの第一の役割のはずだ。
権力の正統性なき政権
さらに深刻なのは、選挙で不信任を突き付けられた総理が、国論を二分する施策を推し進めようとしている現状だ。
石破総理が執着を示す「80年談話」はその典型である。
今年は戦後80年。国民の信任を得た政権が堂々と、歴史認識を談話で示すのは良いだろう。
しかし、選挙に敗れて権力の正統性が揺らぐ政権が打ち出すことは、たとえそれが一部世論に高く賞賛される内容であったとしても、逆に反対派から正統性そのものを攻撃され、社会の分断を加速させる危険がある。
政治の役割は合意形成であり、分断の火種をまき散らすことではない。そもそも権力の正統性が揺らいでいる政権が、国論を二分する問題提起をすること自体が、議会制民主主義の大原則に反するのだ。
仮にいま、東アジアでの戦争、巨大地震、原発事故、金融危機といった国家的危機が訪れたりしたら、総理大臣は国論を二分する決定を下さなければならない。衆参の選挙で惨敗しながら居座り、権力の正統性の根幹が揺らいでいる石破総理に、その資格があるのか。彼の決定に、多くの国民は反発し、国家的危機のもと、社会の分断を加速させるのではないか。
権力の正統性を欠く政権の続投を認めることこそ、独裁政治や戦争への道であろう。議会制民主主義を健全に保つため、石破総理は速やかに退陣すべきである。
終わりに
石破続投を支持する世論の風潮は、世代間の政治的断層と、オールドメディアの偏向報道に根ざしている。
しかし、議会制民主主義の根幹は、選挙結果に基づく権力の正統性だ。この原則を軽んじる擁護論は、最終的に民主主義そのものを危うくする。
政治的立場の如何を問わず、選挙の敗れて国民から不信任を受けた権力者は潔く退く――この当たり前のルールを、私たちは今こそ思い出すべきだ。