ツイッターで切れ味鋭い投稿を連発している「さよなら昨日の私」さん。最近の投稿で光ったのは、岸田文雄首相のスピーチライターを務めていた経産省出身の首相秘書官が同性婚をめぐり差別発言をした問題で、立憲民主党の泉健太代表が「岸田首相はこの秘書官の影響を受けていたのではないか」との見解を示したことに対する切り返しだった。
私も泉代表のツイートをみて「さよなら昨日の私」さんと同じ感想を持った。「岸田首相が首相秘書官の影響を受けていた」のではなく「首相秘書官が岸田首相の意向を忖度していた」と考えるのが自然だ。人事権を握る者と握られる者の上下関係はたいがいそうである。それを逆にとらえる泉代表の政治センスはかなりピンボケだと思ったのだった。
泉代表のツイートは以下だ。
この問題は実に奥深い。泉代表は「人権感覚の歪んだ秘書官」がまずは存在し、「岸田首相は秘書官の影響を受けて人権感覚が歪んだ答弁をしてしまった」という感覚で一連の出来事を眺めていたのである。
どうしてこのような捉え方になるのだろう。それは泉代表が岸田首相の立場〜つまり支配者目線〜で物事を見ているからとしか思えない。おそらく無意識のうちに、秘書官よりも岸田首相に自らの身を重ね、「主犯=首相秘書官」と見立てたのである。
理不尽な上司の機嫌を損ねないように面従腹背を重ねるフツーの会社員の目線で一連の問題を眺めたら、首相の歪んだ人権感覚や政治感覚に相槌を打つ秘書官の姿がすぐに思い浮かぶ。泉代表は自分に歪んだ情報をあげてくる部下に酷い目にあった経験でもあるのだろうか、部下にミスリードされた上司の目線でこの問題をとらえたのだ。
首相より悪いのは秘書官であり、首相は秘書官の悪影響を受けてしまったという政治観なのである。「秘書が、秘書が」と責任転嫁してきた自民党の面々とまるで同じだ。いや、自民党の面々は「わざと」秘書に責任を押し付けているのだが、泉代表は心底「秘書が悪い」と思うのかもしれない。
そんなピンボケな見立てを何の迷いもなくツイートしてしまう政治的軽率さは目も当てられない。「さよなら昨日の私」さんが指摘するように、政治センスがないとしかいいようがない。政治観も人間観も何と薄っぺらいことか。
いや、さらに深読みすれば、泉代表の深層心理に「岸田首相をできるだけ批判したくない」という思いがあった可能性もある。
何しろ「野党は批判ばかり」という批判を恐れて「提案型野党」を掲げた人である。財務省を介して緊縮財政の立場でも岸田首相と歩調をあわせている。安倍晋三元首相や菅義偉前首相とは組めなくても岸田首相なら組めるかもしれないという下心が立憲民主党にはある。そこからつい「悪いのは岸田首相ではなく首相秘書官だ」という結論が思い浮かんでしまったのかもしれない。
だとすると、単なる党首の資質の問題にとどまらず、野党第一党のあり方を問う大きな問題になってくる。
いずれにせよ、これが今の野党第一党の党首の姿だ。この問題に限らず、彼にはこの世の中の様々なことがどう見えているのか、不安になってくる。格差社会のことも、差別問題のことも、貧困問題のことも、官僚組織のことも、権力闘争のことも。
事態はかなり深刻だ。この深刻さに気づいている立憲民主党の議員はどのくらいいるのだろうか。
立憲の皆さん、このリーダーには「やさしい政治」も「打倒・自公政権」も無理ですよ!