岸田文雄首相が自ら煽りに煽った6月解散を見送り、内閣支持率が急落すると、永田町ではすっかり解散総選挙の機運がしぼんできた。たった1ヶ月の間に永田町の空気は様変わりしたのである。政局の潮目が変わるのは本当にはやい。
この解散風をもっとも狡猾に活用したのは、自民党の森山裕選対委員長であろう。安倍晋三元首相の後継者として衆院山口4区補選で当選した吉田真次氏(安倍派)と安倍氏とは長年の政敵である林芳正外相(岸田派)の新山口3区の公認争いをはじめ、じつにややこしい公認調整を次々に決着させた。どさくさに紛れて、旧統一教会問題で猛烈な批判を浴びて大臣辞任に追い込まれた山際大志郎氏の公認まで決めてしまったのである。
森山氏は6月解散風を最も煽った一人である。岸田首相を気脈を通じ、最初から解散するつもりはないのに解散風を煽って首相長男のスキャンダルから世論の目を逸らすことに加え、立憲民主党に内閣不信任案の提出を思い止まらせて連携の芽を残すことに狙いがあったと私はみているが、もうひとつ、解散風を煽ることで自民党内の公認調整を一気に解決してしまう狙いもあったのだろう。
政治はスケジュール闘争である。決定期限が迫った時にはじめて動くものだ。スケジュールを制したものが勝者となる。だから首相や与党は強い。政局を「時間軸」で組みたてる能力に欠ける者は、政治闘争には決して勝てない。
ここまで解散風がしぼむと、もう、公認調整は動かない。だからこそ、解散風が吹き荒れている最中に一気に決着させなければならないのだ。
この鉄則の真反対を進んでいるのが、立憲民主党の泉健太代表である。
6月解散風が吹き荒れる最中、立憲の小沢一郎氏は野党候補の一本化を迫る立憲議員の有志の会を立ち上げた。
さすがは政局に明け暮れてきた小沢氏である。平時に有志の会を立ち上げたところで、立憲議員たちは執行部に睨まれることを恐れて動くはずがない。けれども、明日にも解散するかもしれないという状況で、選挙地盤の弱い立憲議員たちのお尻に火がついた状況で有志の会を旗揚げすれば、ワラをもすがる思いで駆け込んでくると見透かしているのだ。
実際、この有志の会には立憲の衆院議員の半数を超える53人が集まった。かつては反小沢陣営に属した小川淳也氏や、反小沢の筆頭格・野田佳彦元首相の側近である手塚仁雄氏まで馳せ参じたのだった。
間抜けだったのは、これを受けた泉代表の対応である。それまで維新とも共産とも選挙協力はしないと明言していたのに、小沢氏が動きが「泉おろし」に発展することを恐れて前言を翻し、各地の地元事情で一本化を探る方針に転じたのだ。
ところが、泉代表が方針転換したときには、解散風はすっかり吹き止んでいたのである。
維新はそもそも立憲と選挙協力する可能性を全面否定していた。共産党は立憲との共闘に前向きだったが、立憲が梯子を外して維新に接近した後は関係がぎくしゃくし、泉代表の京都3区をはじめ、立憲現職のいる選挙区にも候補者を擁立しはじめていた。ただでさえ、「泉さん、今更何を言っているの?」という空気が漂ったのだが、まして解散風が止まってしまい、あまりに間抜けな方針転換になったのだ。
まさに「時間軸」を無視した政局の組み立て方である。このような政治家には時流の追い風が吹くはずがない。
立憲と野党第一党を争う維新は、逆に6月解散風に乗り、公認候補の擁立を一気に積み増した。立憲を上回る候補者擁立を掲げていたが、その実現に一歩近づいたといえるだろう。
政党は他の政党と競いあうものだが、一方で、政党の内部対立をどうコントロールしてまとめるかというガバナンス能力が不可欠である。それには政党の資金力やリーダーの求心力・調整力などさまざまな要素が必要だが、それらに加え、政局の流れを読んでタイミングよく迅速に党内調整を仕掛ける政治感覚が絶対に必要なのだ。
今回の6月解散風の前後で、各政党が公認調整などの党内問題をどこまで片付けたか。それを比較検証すると各政党のガバナンス能力をランクづけできる。ぜひやってみてほしい。