岸田文雄首相が衆院補選の遊説に駆けつけた和歌山市で爆発物が投げ込まれる事件が起きた。民主主義を脅かす許されない暴挙である。
安倍晋三元首相が参院選の街頭演説中に銃撃されて死亡した事件から9ヶ月。日本社会が極めて不安定になっている現実を直視しなければならない。
犯行の動機や背景など不透明な部分が多いが、現時点でこの事件が投げかける論点を私なりに3つ整理しておきたい。
①政治の役割は世情不安の根本要因の解決だ
安倍氏銃撃事件は「旧統一教会に対する個人的遺恨による犯行」とする見方も根強いが、私は当初より、山上徹也容疑者(現在は被告)の供述内容にかかわらず、政治や社会に対する抗議を暴力行為で示す「テロ」として受け止めるべきだと主張してきた。
現職首相を狙った今回の事件も同様で、容疑者の動機や背景のいかんによらず、自らの主張を暴力で示すテロ行為として認識する必要があろう。なぜなら、テロは新たなテロを誘発する可能性が高いからだ。
1921年11月に原敬首相を遊説中に刺殺した犯人は、2ヶ月前に起きた安田財閥総帥の安田善次郎暗殺事件に触発されて犯行に及んだとされる。貧富の格差が広がり庶民に不満が渦巻く世相において、財閥総帥を襲った犯人に同情的な世論が高まったことが犯行を駆り立てたという分析だ。
この後、日本社会は暗転していく。1930年に浜口雄幸首相が狙撃され、1932年に青年将校による5・15事件で犬養毅首相が凶弾に倒れ、世情不安を受けて治安当局の取り締まりが強化され、国民の言論活動が治安維持を口実に弾圧されるようになり、批判を封じる大政翼賛政治に移行して泥沼の戦争へ突入していくのだ。
現在の日本社会も戦前と似てきている。貧富の格差が広がり、庶民に政治不信が高まり、政治家を狙うテロが発生し、それを恐れる権力側が治安強化・言論統制へ動き出すーーこの悪循環を食い止めなければならない。
今回の事件の動機や背景は定かでないが、治安強化ではテロの根本原因を取り除くことはできず、社会に抑圧感が強まって息苦しくなり、ひいては民主主義の健全性が大きく損なわれることになる。
政治の役割は、世情不安の根本原因である貧富の格差を解消していくことである。その点を改めて確認したい。
②警察の警備は適切だったのか?
安倍氏銃撃事件では警察の警護体制の甘さが問題視され、警察庁長官や奈良県警本部長が交代する責任問題に発展した。
警察庁は警護要則を改定し、今後の要人警護について都道府県警の計画案を警察庁が事前に審査する仕組みを導入。5月に広島で開催されるG7サミットに向けて、日本国内の治安に対する国際的な信用を取り戻すためにも警護体制を再構築する必要に迫られていた。
今春の統一地方選挙と衆参5補選は、警察庁が新たな体制で臨む最初の大規模選挙だった。今回の岸田首相の和歌山県入りも県警が提出した計画案を警察庁がチェックしたうえで警護体制がしかれていた。
そこで発生した襲撃事件。大惨事には至らなかったものの、新しい警護システムが機能しているのかどうかをしっかり吟味する必要がある。私は警護体制の是非を分析する専門家ではないことを断ったうえで、気になった点を指摘しておきたい。
ひとつめは、容疑者が爆発物を放り投げ、それが岸田首相の背後に落下するまで、現場で警護にあたっていた警察官が誰も気づかなかったように見えることだ。
容疑者の近くにいた漁師が真っ先に気づいて容疑者を取り押さえたものの、警察官が駆けつけるまでは少し間があった。爆発物が落下した音がするまで岸田首相やそばにいたSPは落下物が投げ込まれたことに気づかなかったことからしても、警察官が容疑者の不審な動きを察知して声をあげるという対応は行われなかったのだろう。おそらく警察官は誰一人、爆発物が落下するまで気づかなかったと思われる。
このこと自体、にわかには想像し難い事実だ。容疑者は大勢の警察官がいる目の前で岸田首相にほんの数メートルの距離に近づいて、岸田首相の演説を待つ聴衆の中に身を置き、リュックサックから爆発物を取り出して着火して放り投げ、落下するまで警察官に気づかれなかったのである。仮にこの爆発物が精度の高いものであったら大惨事になっていた。
現場に配置された大勢の警察官は誰一人として、岸田首相の演説を待つ聴衆の方向に目を向けていなかったのだろうか。誰一人として容疑者の不審な動きに気づかなかったのだろうか。だとすれば、警護体制そのものが節穴だらけというほかない。検証の大きなポイントだ。
もう一つは容疑者が漁師らによって取り押さえられた後の警察の対応である。
映像をみると、容疑者が取り押さえられた後も、聴衆はその様子をスマホで撮影するなどして現場付近に群がっていた。そこで放り込まれた爆発物が白煙を立てて爆発し、現場は騒然となったのである。仮にこの爆発物の精度が高ければ大惨事になっていたかもしれない。
岸田首相は爆発物が落下した後、SPに抱えられるようにして車に乗り込み、即座に現場を離れた。適切な警護体制だったといえるだろう。
問題は、現場に取り残された聴衆たちである。警察官たちは容疑者を取り押さえることも重要だが、それ以上にまずは聴衆たちをいち早く現場から避難させなければならなかった。地面に転がった爆発物が爆音を立てて白煙を放つまで、現場はさほど緊迫感がなく、警察官たちが現場から遠ざかるように大声で訴えた気配は感じられない。ここも今後の検証の重要なポイントだ。
③解散政局への影響は?
岸田首相は襲撃事件後、和歌山県内や千葉県内での遊説を予定通りに実施し、テロに屈しない姿勢をアピールした。だが、首相の表情はこわばり、緊迫の様子が伝わってきた。命を狙われた人にしかわからない恐怖感が込み上げてきたのではないか。
テロ行為が現実政治に影響を与えることがあってはならないが、政治家も人間である以上、精神的なダメージを受けるのは避けられない。岸田首相が今後、街頭でマイクを握る際、何かしらのプレシャーを感じることは致し方ないことである。
そもそも岸田首相は早期解散論に慎重だった。5月19日からの広島サミットまではそれに専念し、その後も防衛増税や少子化対策を実行することに歴史的役割があると表明していた。
だが、今春に内閣支持率が急回復して自民党内に「今なら衆院選に勝てる」として早期解散論が急浮上。4月23日の衆参5補選の結果次第では広島サミット後の解散もありうるとの見方が広がっていた。
ただ、4月9日投開票の統一地方選で日本維新の会が躍進し、自民党内では立憲よりも維新を警戒する声が強まった。
早期解散で立憲を壊滅的敗北に追い込んでも、維新が台頭して立憲の一部を取り込み強力な野党第一党に発展したら元も子もない。維新が勢いづいている今のタイミングであえて早期解散に踏み切る必要はないとの見方が広がり、早期解散論はしぼんでいくのではないかと私はみていた。
そこで岸田首相襲撃事件が発生した。一部では岸田首相への同情論から内閣支持率がさらに上昇して早期解散論が加速するとの見方もある。
私の見立ては逆だ。岸田首相はそもそも早期解散論には慎重なうえ、先述した通り、身をもって世情不安を感じたに違いなく、このまま解散総選挙になだれ込んで連日のように街頭に立つことに多少のためらいが生じるのではないだろうか。首相の胸中は本人しかわからないが、首相もやはり人間であり、命を狙われた実体験はさまざまな意思決定に影響を与えてくるだろう。
いずれにせよ、解散政局への影響がどうでるかは予断を許さない。今後も目を凝らしていきたい。
日曜恒例の『ダメダメTOP10』は衆参補選に加え、選挙の裏側で進む岸田外交や国民負担増をめぐる出来事もランクインしています。ぜひご覧ください。