防衛費を大幅増額するために所得税などの増税を表明して「増税メガネ」というあだ名を民衆につけられた総理大臣が、増税イメージを払拭するために、今度は所得税の減税を打ち上げたーー摩訶不思議なことがこの国で起こっている。
一方で所得税増税を訴えながら、他方で所得税減税を唱える。いったいどうなっているのか。ここに至るまで、前代未聞の経緯をたどった。
はじまりは急激な物価高騰に対応するため、岸田首相が経済対策の策定を表明したことだった。内閣支持率は政権発足以来最低に落ち込んでおり、ネット上では岸田首相を「増税メガネ」と揶揄する声が噴出。首相自身がこの不名誉なあだ名をとても嫌がっているとも報じられた。
岸田首相は昨年度の税収が過去最高の71兆円にのぼったことを受けて、「税収増を国民に還元する」と表明して「減税」を連呼し始めた。自公与党からは年内の解散総選挙に備えて「減税」の大合唱がわき上がった。
議論が先行して始まったのは「企業減税」だった。続いて住民税非課税世帯(60歳以上が8割)への「給付」が浮上した。
ここで不公平感を募らせたのが、サラリーマンなどの現役世代を中心とした中間層である。企業や高齢者ばかりを優遇し、自分たちにはまったく恩恵がないからだ。
ネット上では「増税メガネ」の言葉が溢れかえった。岸田首相が10月14日に参院補選の応援演説に駆けつけた徳島では群衆が「増税メガネ」とヤジを飛ばして連れ出される一幕もあった。
物価高騰は止まらず、民衆の怒りは過熱する一方だった。16日に発表されたマスコミ各社の世論調査で内閣支持率は大きく落ち、政権発足以来最低を更新した。
自公与党からは中間層にアピールするために所得税減税を唱える声が広がった。
ところが、自公与党が17日に政府に提言した経済対策には所得税減税は盛り込まれなかったのである。実は岸田首相が「盛り込ませなかった」のだ。
岸田首相は20日、自公与党の政調会長らを官邸に呼びつけ、「期限付き所得税減税」の検討を指示した。増税メガネのイメージを払拭するために、「首相主導の所得税減税」をアピールする露骨な政治的パフォーマンスだった。「もう増税メガネとは呼ばせない!」という思いからの「ブチギレ減税宣言」といえるかもしえない。
ここまでの自作自演の政治ショーを行う必要があった理由はもうひとつある。
岸田首相は当初、臨時国会初日の20日に行われる所信表明演説で所得税減税を華々しく打ち上げるつもりでいた。ところが、自民党執行部は22日投開票の衆参2補選(参院徳島・高知選挙区、衆院長崎4区)の目前に首相演説を行うのは不公平だという野党の反発をあっさり受け入れ、所信表明演説の日程をあっさり23日に先送りしていたのだ。
衆参2補選は岸田首相にとって重要な選挙である。ここで2敗すれば「解散総選挙は当面無理」という空気が広がって首相の求心力は大幅に落ち、「岸田おろし」が再燃しかねない。
自民党議員が秘書暴行で引責辞任したことに伴う参院徳島・高知補選は、野党の優勢が伝えられている。もう一方の衆院長崎4区は激戦と伝えられ、絶対に負けられない。しかも岸田派議員の死去に伴う補選のため、首相としては特に落とせない選挙である。20日の所信表明演説で所得税減税を打ち上げ、補選勝利につなげたいと考えていたのだ。
ところが、自民党内には内閣支持率の下落を受けて「補選前に首相の所信表明演説が広く報道されるのはむしろ選挙にマイナスになる」という見方があった。いわば「岸田隠し」である。
岸田首相にそのまま伝えたら激怒される。そこで野党の反発を理由に所信表明演説を補選後に先送りしたーーというわけだ。
岸田首相本人は納得しなかった。なぜ野党を押し切らなかったのか、国対の怠慢ではないかーーそこで補選前の20日に「岸田首相の見せ場」をつくることになったのだ。
岸田首相による岸田首相のための所得税減税といえるかもしれない。ここまでして22日投開票の補選で2敗したら、岸田首相への批判は高まるだろう。
だが、肝心の所得税減税の中身がはっきりしない。
まずは「期限付き」というのが曲者だ。自民党内では早くも「1年」という声が出ている。たった一回きりの所得税減税にどれほどの効果があるかは不透明だ。
減税の方法は「税率引き下げ」や「税額控除の拡大」ではなく「全員一律の定額減税」が浮上している。これでは住民税非課税世帯に恩恵はないので「給付」と組み合わせるということだろう。
いずれにせよ、具体化は年末に来年度予算編成に持ち越される。最大のポイントは、防衛増税との兼ね合いだ。
萩生田政調会長は防衛増税と期限付き所得税減税を同時に行うのは混乱を招くとして、防衛増税を先送りする考えを示している。これに対し、鈴木俊一財務相は同時に議論しても矛盾はないと主張し、大きな焦点となりそうだ。
ここまで首相主導の所得税減税を演出した以上、完全に頓挫すれば首相のメンツが丸つぶれになるため、財務省としては「骨抜き」にするほかない。そこで「期限付き」にこだわった結果、一回きりの所得税減税という中途半端な「アリバイづくり」に終わる可能性が高くなった。
自公政権の経済対策がいつも中途半端に終わるのは、財政の収支を均衡させなければならないという財務省主導の「緊縮財政」に縛られているためだ。財政収支のつじつま合わせが優先され、マクロ経済運営の視点から国民生活を支えるためにどれだけの財政出動が必要かという議論が抜け落ちる。
これでは物価高に直面する国民生活は救われない。
財政収支を厳密に均衡させる必要はないことは、世界各国の大規模なコロナ対策で立証された。むしろ重要なのは、急激な物価高に直面する国民生活を立て直すために、為替や金利に目配せしながら「緊縮財政」の呪縛をといて必要な規模の財政出動を果敢に行うことである。
日本の経済政策は財政収支均衡(緊縮財政)を最重視した「財政学」に矮小化され、本来必要な「経済学」になっていないところに本質的な問題がある。岸田首相の政治パフォーマンスも所詮、財務省主導の「緊縮財政」の土俵の上で踊らされているに過ぎない。