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岸田前首相もついに「石破おろし」に動き出した!?―永田町を揺るがす3者会談の真相

3月10日夜、東京都内の料亭で行われた永田町注目の3者会談――。そこに集まったのは、岸田文雄前首相、麻生太郎元首相、茂木敏充前幹事長の3人だった。
かつて「3頭政治」と呼ばれたこの3人が、再び一堂に会した目的は何だったのか。

最大の焦点は「岸田と麻生の手打ち」、すなわち両者の関係修復にあった。その目的は「石破おろし」である。
今回は、この3者会談の背景と、その真の意味を徹底解説する。


① 麻生は岸田政権のキングメーカーだった

岸田氏は2021年、自民党総裁選を勝ち抜き、首相に就任した。彼を総裁選に担ぎ出し、政権の生みの親と呼ばれたのは、当時の自民党副総裁・麻生氏だった。
麻生氏は当時、菅義偉元首相とキングメーカーの座を争い、河野太郎氏を推す菅氏に対抗して、岸田氏を担いだのだ。
結果、岸田氏は総裁選を制し、麻生氏は副総裁、茂木敏充氏は幹事長となり、「麻生・岸田・茂木」の3人で政権運営を主導する「3頭政治」が誕生した。もちろん、その頂点に君臨したのは、麻生氏である。

しかし、岸田氏は次第に「麻生離れ」を模索し始める。
当初、岸田氏は麻生氏の「操り人形」だったが、その支配に対する不満が募っていった。
特に、麻生氏の威光を背景に幹事長として好き勝手に振る舞う茂木氏の存在が目障りになり、岸田氏は茂木氏を幹事長から外そうと画策するが、麻生氏に阻まれ失敗した。


② 麻生と岸田の決裂

岸田氏と麻生氏の関係は、派閥解消問題を契機に決定的に悪化する。
派閥を愛し、自らの力で麻生派を第二派閥に育てた麻生氏にとって、岸田氏が「裏金事件からの信頼回復」を掲げて派閥解消を打ち出したのは、裏切り行為だった。
岸田氏は内閣支持率の低迷もあり、解散総選挙を断行できず、昨年9月の総裁選出馬を断念して退陣。その後の総裁選で、麻生氏と岸田氏は完全に決裂した。岸田氏は決選投票で石破茂氏を支持したのに対し、麻生氏は高市早苗氏を支持したのである。
結果、石破氏が勝利し、麻生氏は副総裁を外され、名誉職である最高顧問に棚上げされた。キングメーカーから陥落したのである。


③ 岸田の本音

岸田氏が石破氏を支持したのは、必ずしも石破氏を信頼していたからではない。
実は、岸田氏の本当の狙いは「総理復帰」だった。

石破氏は党内基盤が脆弱で、旧岸田派の支えがなければ、内閣はいつ倒れてもおかしくはない。内閣の要である林芳正官房長官も、自民党の政策を仕切る小野寺五典政調会長も、自民党の参院選対策を練る木原誠二選対委員長も、旧岸田派である。岸田氏が「やめろ」と言えば、石破政権はたちまち立ち往生してしまう。
しかし、岸田氏にとって問題なのは「石破退陣後の後継者」だった。自らの首相再登板こそ、最大の狙いであり、他の政権が誕生するのなら、石破政権を倒しても意味がないからだ。

林芳正、茂木敏充、高市早苗、小林鷹之の各氏がポスト石破を狙うが、それぞれ決定打に欠ける。
ここで「岸田再登板待望論」が生まれるのを待つことが、岸田のベストシナリオだった。


④ いよいよ時は熟したか

ここで、3者会談の意味が見えてくる。
麻生氏と茂木氏は早期に「石破おろし」を実現して主流派に復帰することを望んでおり、岸田氏が会談に応じたのは、自らの再登板を視野に「石破おろしの準備が整った」とのシグナルだ。

会談では、おそらく岸田が「石破をおろすのはいいが、後継は誰にするのか?」と問いかけ、麻生は「とにかく石破をおろすことが先決」と応じたのではないか。

岸田氏は今後、徐々に石破おろしに向けて動き出すだろう。
いよいよ石破政権、最大の危機が迫っている。