公明党の山口那津男代表が続投することになった。
当初は9月の任期満了で退任し、石井啓一幹事長へバトンタッチするのが既定路線だった。山口代表自身もすっかり身を引くつもりだったが、一転して15日告示の代表選に出馬することを決断し「この難局を乗り越えていくために党の結束の要として役割を果たしていきたい」と表明した。
山口代表は、自民党とともに野党に転落した2009年衆院選後、落選した太田昭宏氏の後継として就任。在任期間は13年に及ぶ。山口代表のほかに出馬の動きはなく、無投票で当選するのは確実で、異例の8期目に突入する。
公明党は支持層が高齢化して組織力が衰え、今年の参院選比例代表では目標の800万票を大幅に下回る618万票にとどまった。
マスコミ各社の解説記事によると、来春の統一地方選挙に向けて支持母体の創価学会を中心に危機感が強まり、山口代表の続投論が急浮上したという。
だが、こうした解説記事は極めて説得力を欠く。山口代表のもとで今夏の参院選に苦戦したのに、その山口代表を担いだまま統一地方選挙で巻き返すというのは、いかにも支離滅裂だ。党執行部を刷新して党勢回復をめざすというのがふつうである。
公明党の人材不足を露見する、あまりにみっともない代表人事の撤回。なぜこんなことになったのか。
公明党執行部の人事権を事実上握るのは、創価学会である。
今回の人事は、石井幹事長の代表就任を推す勢力と、それに反対する勢力がどちらも譲らず、今回は決着を先送りして「山口代表の据え置き」で妥協したとみられる。創価学会は近年、組織力が衰えるなかで圧倒的なリーダーが存在せず、激しい内部闘争が繰り広げられている。
石井幹事長を推す勢力にとっては、旧統一教会問題が創価学会批判に波及する気配が出ている今のタイミングで石井体制を強引に発足させても来春の統一地方選挙で勝利できる保証はなく(むしろ逆風選挙になる可能性が高く)、新体制がいきなり失速したら元も子もない。ここは山口体制の継続で手を打ち、統一地方選挙後に代替わりの機会をうかがうほうが「安全」とみて妥協したのだろう。
一方、石井幹事長に反対する勢力にとっては、本命視された「石井代表の誕生」に待ったをかけたことで、この人事自体が白紙となり、別の代表を打ち立てる反転攻勢の機会を得たことになる。
一度内定した人事が覆るということは、その人事にはどこかに無理があり、再度ゴリ押ししようとすれば再び混乱を生む可能性は高い。「ポスト山口」の人事は混沌としてきたといえるだろう。
石井幹事長の後任に有力視されていたのは、高木陽介・選挙対策委員長だった。だが、石井氏の人気もいまひとつなら、高木氏の評判も今ひとつ。しかも高木氏は旧統一教会関連の月刊誌のインタビューに応じていたことも発覚した。
いずれにしても、今の公明党に山口代表の後任として異論なく収まる国会議員は見当たらない。公明党の低迷は、国会議員の人材不足と無縁ではなかろう。
公明党で次世代のリーダーが育っていないのはなぜか。
最大の理由は自公連立から20年以上がたち、すっかり「与党病」が蔓延したことだ。
私が朝日新聞政治部に着任した1999年は、自公連立がまさに動き出す最中であった。自民党の小渕恵三首相、野中広務官房長官らが公明党の神崎武法代表、冬柴鉄三幹事長らとの信頼関係を積み上げ、さまざまな事情を抱えながらも連立合意を進めていった。
当時の公明党幹部には「野党魂」の気配が漂い、自民党に譲歩しつつも互角に張り合う矜持を感じたものだ。党是である「平和」「福祉」を重視し、とりわけ「庶民」の支持層を重視する政治姿勢を堅持していた。
だが、連立暮らしが20年を超え、石井幹事長や高木選対委員長らの世代は与党であることが当たり前になった。自公両党は2009年衆院選で下野したものの、わずか3年余で政権復帰し、その後は政治信条が決して近くはない安倍政権の安保政策や経済政策への同調を繰り返したのである。
公明支持層は高度経済成長期に農村から都市に出てきた貧しい労働者層が主軸だった。首都圏や関西圏を中心に共産党と支持層獲得でしのぎを削り、自民党からすれば「都市住民の共産化・左傾化を公明が防いだ」(自民党3役経験者)という側面もあった(その昔、共産支持者を銭湯でみつけ、背中を流しながら創価学会へ引き込む勧誘策を「アカスリ」と呼んだことを私はかつて創価学会幹部から何度か聞いた)。
公明党は、大企業や富裕層の利益を重視する自民党政治に反発する庶民たちの受け皿として、勢力を拡大してきたのである。
ところが、公明支持層も二世、三世になると高学歴で裕福な都市住民も増えてきた。自民党と連立政権を組んだ後は「庶民の党」の色合いが薄まり始めたのだ。
公明党の国会議員も「大衆からの叩き上げ」というよりは、キャリア官僚や弁護士など「エリート層」の出身者が増えた。貧富の格差を拡大させる安倍政治に反感どころかシンパシーを感じる世代が出現したのである。
安倍晋三元首相が凶弾に倒れ、旧統一教会問題が最大派閥・清和会(安倍派)を直撃し、自民党内の権力の軸が宏池会(岸田派、麻生派、谷垣グループ)へ移行した今、公明党はどちらへ向かえばいいのか迷っているようにも見える。
安倍政権下で公明党との窓口を担ってきた二階俊博氏や菅義偉氏は失脚。自民党の岸田文雄首相や麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長ら現執行部は公明党と接点が少なく、むしろ連合を通じて立憲民主党や国民民主党を引き寄せる政局を描いているようだ。
それでも岸田政権を追い求めて自民党との連立を維持していくのか、混迷する自民党政治を見限って20年余に及ぶ連立に終止符を打ち政界再編に動くのか。
公明党は本来ならばダイナミックな視点から、組織政党としてのこれからの針路を構想しなければならない時である。
だが、今の公明党(そして創価学会)にそのような気配はない。むしろ内部闘争が激化し、これからの針路を練り上げるどころではなさそうにみえる。その時々の自民党の主流派に切り捨てられないように歩調をあわせ、自民党の補完勢力の様相をますます強めていくだろう。
山口代表の続投は、この党の深刻な行き詰まり感を映し出している。