河野太郎氏は祖父一郎氏、父洋平氏に続く政治家3代目である。
一郎氏は自民党の大物保守政治家として農相などを歴任し首相を目指したが、かなわなかった。息子の洋平氏を厳格にしつけたといわれている。
洋平氏は父に反発して政界入りした後は自民党を離党し、新自由クラブを結成。自民復帰後はハト派の宏池会へ身を寄せた。宮澤喜一内閣では官房長官を務め、日本軍が慰安婦に関与したと認める「河野談話」を発し、自民党を代表するリベラル派といわれる存在となった。自民党が下野した後は総裁に就任したが、首相になることはできなかった。
洋平氏と息子の太郎氏の関係は複雑だ。C型肝炎が悪化した父に生体肝移植したのは有名な話。一方で父のハト派色と一線を画し、外相や防衛相の時は安倍晋三首相にならって対中・対韓強硬外交をアピールした。父よりも祖父にその政治姿勢は近いと指摘されることもある。
私は朝日新聞政治部時代、森喜朗内閣(2000年〜01年)で河野洋平外相を担当して以来、河野父子に注目してきたが、この3代の関係を理解するのは難しい。政治力学にとどまらず、父と子の愛憎という側面から理解することが欠かせない。
河野太郎氏が2021年総裁選に菅義偉首相に担がれて出馬し、宏池会の岸田文雄氏と戦った際、80代半ばの洋平氏が上京して政界関係者に頭を下げて回ったことを知り、祖父・父・子の政治信条の違いを超えて河野家から首相を輩出することこそ、この政治家一族の悲願であることを改めて痛感したものだ。
河野洋平氏は1999年、ライバルの加藤紘一元幹事長が宏池会会長を継承したことに反発。麻生太郎氏と連れ立って派閥を飛び出し、小さなグループ「大勇会」を旗揚げした。これが現在の麻生派のはじまりである。当時、当選1回だった河野太郎氏も父の派閥に身を寄せた。
私は朝日新聞政治部で「大勇会」を担当したが、河野洋平氏が時折「太郎ちゃん」と口にするのが麻生太郎氏を指すのか、河野太郎氏を指すのか、悩ましいことがあった。
ハト派の河野洋平氏と、タカ派の麻生太郎氏の政治信条は真反対にみえたが、ふたりは「アンチ加藤紘一」の一点で結束し、政治行動をともにしていたのである。「政治名門一家」同士の連帯感もあったのかもしれない。
河野洋平氏は2003年に衆院議長に就任し、06年には派閥を麻生太郎氏に譲った。
この時、将来はこの派閥を息子・河野太郎氏へ受け継いでほしいという思いが父にはあったのではないかと私は推測している。そのあたりの機微を河野洋平氏と麻生太郎氏が派閥継承の時点でどこまで話し合ったのかは、二人のみが知ることだろう。
麻生派はこの後、台頭していく。麻生氏は加藤氏が清和会の森喜朗内閣を倒すことをめざした「加藤の乱」で失脚して宏池会が分裂・衰退していくのを尻目に、清和会に重用され、外相、総務相、政調会長などの要職を経て首相に上り詰めた。麻生派は着実に拡大し、麻生氏が第二次安倍政権で副総理兼財務相を務めるうちに第二派閥にのしあがった。
麻生氏が派閥内でもっとも警戒したのが河野太郎氏だった。河野太郎氏は安倍政権で、麻生氏のライバルである菅義偉官房長官の後押しを受け、外相や防衛相に抜擢された。
菅氏には河野太郎氏を登用することで麻生派の世代交代を促し、麻生氏の足元を揺さぶる狙いがあった。麻生氏が2021年総裁選で菅氏が担ぐ河野太郎氏を支援せず、岸田文雄首相を全力で応援したのはこうした背景がある。
河野太郎氏は総裁選で敗れた後、自民党広報本部長という閑職に飛ばされた。河野家の悲願である首相の座を手に入れるには、このまま菅義偉氏とタッグを組むのか、派閥の親分である麻生氏と和解して岸田政権に近づくのか、冷や飯を食った一年間で考え抜いたに違いない。
そしてこの夏、河野太郎氏は岸田政権のデジタル担当相に起用された。表舞台へのカムバックである。
一方、菅義偉氏は副総理への起用が取り沙汰されたが、結局は無役に終わった。
河野太郎氏を閣内へ引き込み、菅義偉氏を冷遇して、両者を分断するーー岸田首相と麻生副総裁がこの内閣改造人事に込めた最大の狙いは、ライバルの菅義偉氏を徹底的に干すことであったのは間違いない。
表舞台に復帰した河野太郎氏は張り切った。岸田首相から最初に与えられたミッションが、デジタル庁が主導するマイナンバーを普及させるため、健康保険証を2024年秋に廃止してマイナンバーと一体化させるという強硬政策だった。マイナンバーカードの取得は「任意」とする従来の方針を転換し、取得を事実上強制するものだ。
河野太郎氏が旗を振る「マイナ保険証」は、霞ヶ関にも、国民世論にも、すこぶる評判が悪い。それでも河野太郎氏は強気一辺倒でおしまくった。
そこでいきなり岸田首相に梯子を外されたのである。
健康保険証を廃止した場合、マイナ保険証の取得を拒否する人は、保険適用外の存在となる。これは国民皆保険の崩壊につながる大問題だ。医療が必要な人が医療を受けられないという問題に加え、逆に「マイナ保険証なんていらないから保険料も払わない」と言い出す人が現れる可能性もある。
岸田首相はこのような問題を国会で指摘されると、マイナ保険証を持たない人には「新しい制度」を用意するとあっさり答弁したのである。
これでは従来の健康保険証を続けるのと変わりはない。マイナ保険証を持たなくても「新しい制度」で医療を受けられるのなら、取得の促進効果は大幅に崩れる。岸田首相の答弁は、河野太郎氏の強硬姿勢の根幹を揺るがすものだった。
河野太郎氏は「新しい制度」について「マイナ保険証を紛失するなど稀な場合」に限られるとして取り繕ったが、「マイナ保険証を取得しない人」に「新しい制度」が適用される可能性は国民皆保険の立場から考えて極めて高い。河野太郎氏は梯子を外されたとみていいのではないか。
もちろん岸田首相には自らの座を脅かすライバルを潰しておきたいという政治的思惑もあっただろう。岸田政権の後見人である麻生太郎副総裁にも派閥内の世代交代の流れを押しとどめて自らの影響力を維持する思惑があるに違いない。
河野太郎氏がこのままマイナ保険証の義務化を押し切って「実績」となすのか、途中で頓挫して大きな政治的失点をつくり国民の支持を失っていくのか。今後の政界の注目点のひとつだ。