政治とカネの疑惑が続出していた寺田稔総務相が11月20日夜、ついにお役御免となった。今国会で3人目の閣僚更迭、辞任ドミノである。
岸田文雄首相は寺田氏をできる限り続投させ、自民、公明、立憲、維新4党が統一教会の被害者救済法案で合意する最終局面で更迭して野党の譲歩を引き出す道筋を描いていた。
しかし、世論の批判の高まりに耐えかね、大幅に更迭を前倒しするほかなかった。大誤算に違いない。
岸田首相は自民党非主流派を抑え込むため、立憲民主党に接近して譲歩を重ねてきたが、政局的には完全に裏目に出ている。立憲はここぞとばかり攻め立てて問題閣僚の辞任を要求し、自民党非主流派も岸田政権に愛想を尽かして突き上げる。双方から挟み撃ちにあい、岸田政権は息絶え絶えだ。
この政局構図は葉梨康弘法相を更迭した一週間前と大きく違いはない(11月13日公開の下記記事参照)。いや、岸田政権瓦解のペースは早まっているといえそうだ。
葉梨法相更迭で辞任ドミノへ、岸田首相の孤立深まる〜大連立視野に立憲にさらに近づくのか、立憲と決別し自民党内と融和するのか、このまま挟み撃ちで瓦解するのか
自民党内で岸田首相に距離を置くのは非主流派の菅義偉前首相や二階俊博元幹事長だけではない。
本来は岸田首相を支えるべき立場にある茂木敏充幹事長(第二派閥・茂木派の会長)や萩生田光一政調会長(最大派閥・安倍派)、高木毅国会対策委員長(安倍派)ら党執行部もすでに半身である。
この自民党内の力学については以下の記事を参照してほしい。
自民党執行部にも広がる「岸田離れ」〜茂木幹事長も萩生田政調会長も高木国対委員長も「立憲との大連立」を警戒
第四派閥の領袖にすぎない岸田首相の頼みの綱は、政権最大の後見人である麻生太郎副総裁だけであろう(麻生派は第三派閥)。麻生派と岸田派は老舗派閥・宏池会を源流とする、いわば兄弟派閥だ。
麻生氏が岸田首相を支え続けるのか、それとも岸田首相を見切って茂木氏を軸に後継選びに入るのか。そこが当面の政局の焦点である。
その意味で、岸田首相が寺田総務相(岸田派)の後任に麻生派の松本剛明氏を起用したことは注目に値する。岸田首相としては麻生氏の支持だけはなんとしてもつなぎ止めたいということだ。
松本氏は初代首相の伊藤博文を高祖父に持つ政治名門の出身である。東大法学部を卒業した後、日本興業銀行に入り、父・松本十郎が防衛庁長官に就任した際に退職して大臣秘書官となった。政界入りは2000年、民主党公認(兵庫11区)で初当選している。
民主党では前原誠司氏や細野豪志氏に近く、政調会長など要職を歴任し、民主党政権の菅直人内閣では外相も務めた。民主党が下野した後、安倍政権下の2015年に、安保法制をめぐる民主党の姿勢や共産党との共闘方針に反発して離党し、2017年に自民党へ移った。細野氏を先取りした政治的行動といっていい。
その松本氏を自民党で拾ったのが、名門好きの麻生氏だった。麻生氏は岸田政権発足後も松本氏を外相に推すなど重用する姿勢をみせてきた(このときは麻生氏の義弟である麻生派の鈴木俊一氏を財務相に、岸田派ナンバー2の林芳正氏を外相に起用することで、岸田・麻生両氏は折り合った)。
この流れからすると、麻生氏は松本氏入閣に強いこだわりがあり、岸田首相が孤立化しつつあるこの局面で岸田派の寺田総務相の後任にねじ込んだのではないか。あるいは岸田氏が麻生氏の支持をつなぎとめるために麻生氏の意向に沿った人事を先に提示したのかもしれない。
最大派閥・清和会(安倍派)や第二派閥・茂木派では岸田離れが急速に進んでおり、寺田氏の後任を打診しても拒否される可能性があった。閣僚人事の提示を拒まれたら内閣はいよいよ末期だ。岸田氏にとって最後の頼みの綱は麻生氏であり、麻生氏もその足元をみて松本氏を押し込んだということではないか。
もっとも麻生氏がこの人事に感謝して岸田首相を支え続けるとは限らない。岸田首相を見限って茂木幹事長らを担ぐ可能性もあろう。それを承知で麻生氏に頼るしかないという岸田首相の窮地を映し出す人事であった。
自民党内政局についてはサメジマタイムスYouTube週末恒例の「ダメダメTOP10」でも取り上げたので、ぜひご覧ください。