自民党が党所属国会議員と旧統一教会の関係を点検した結果を発表するにあたり、国会議員の氏名をどこまで公開するかをめぐる9月6日の執行部内の議論が週刊文春で報道された。岸田文雄首相、茂木敏充幹事長、萩生田光一政調会長の三者三様の態度がとても興味深かったので紹介したい。
最初に点検を仕切る茂木氏が「報道で名前が出た十数人は公表し、後は人数だけの発表でどうか」と提案した。公表人数をできるだけ絞り、自民党への批判が横へ広がることを食い止めることを優先する案である。
すでに旧統一教会との密接な関係が報じられて世論の集中砲火を浴びている萩生田氏は「(公表基準の)線引きは慎重であるべき」と反論した。萩生田氏としては公表済の国会議員の氏名だけ公表されることで今後も自分が矢面に立ち続けることは避けたい思いだろう。公表基準をできる限り広げることで大勢の氏名が報じられ、自らへの風圧がやわらぐことを期待しての反論だった。
岸田首相は萩生田氏よりもさらに踏み込んで「(名前は)全員出したほうがいい。野党は祝電レベルでも出している」と主張した。いまや「丁寧な説明」をのぞいては何の売りもない岸田首相にすれば、すべての氏名を公表することで内閣支持率の回復につなげたいという思いであったのだろう。
これに対する茂木氏の再反論がすさまじかった。「全部公表したら、後からこれも漏れているとなった場合、説明がつかない」と述べ、岸田首相の主張を真っ向から否定したのである。
ここは東大→ハーバード大という華麗な学歴を誇る茂木氏の論理力(屁理屈力?)が一枚上だったようである。
茂木幹事長は今回の公表にあたり「調査結果」ではなく「点検結果」だと強調していた。自民党が責任を持って調査した結果ではなく、あくまでも議員各自が自己点検して報告した結果を党執行部がまとめて公表しただけと整理することで、議員各自の点検漏れ(あるいは隠蔽)が発覚した場合も党執行部の責任問題に波及しないように防御線を張っていたのである。
茂木氏の立場は、自民党内の膿を出し切って旧統一教会との関係を完全に断つことはそもそも不可能であり、世論が沈静化するための時間を稼ぐアリバイ作りの「自己点検」で十分だ、というものだ。後から点検漏れ(あるいは隠蔽)が発覚する可能性は極めて高く、岸田首相の言うままに全氏名を公表したら次々に批判を浴びて泥沼化する。この問題は時間の経過でしか解決しないのだから、わざわざ全氏名を公表してマスコミや野党に追及ネタを提供する必要はない。「公表が不十分だ」という批判を延々とさせておけば、そのうちに国民は白けてくるーーという狡猾な判断である。
内閣支持率の急降下を1日も早く食い止めたい岸田首相と、岸田内閣が低空飛行を続けてポスト岸田の順番が巡ってくることを期待する茂木幹事長。ふたりの思惑の違いが「全氏名の公表」か「すでに報道された十数人だけの公表」かという意見の違いに凝縮されている(萩生田氏は単に自分へ殺到するマスコミの批判を他へ振り向けたかったのだろう)。
岸田首相は結局、茂木幹事長の反論に押し切られて「全氏名の公表」をあきらめ、折衷案として、関係団体の会合に出席したと申告した議員らの公開にとどめることで折り合った。岸田首相は政権運営の主導権を握れていないことを露見したのだ。
この結果、岸田首相が掲げる「丁寧な説明」は空疎化して内閣支持率は下落を続け、一方でマスコミは「点検漏れ(隠蔽)」の事例を次々に見つけ出して報道し、岸田政権のイメージはさらに悪化した。足して二で割る愚かな危機対応の典型といえるだろう。
岸田首相の不人気は広がるばかりで、支持率回復の糸口はつかめそうにない。このまま低支持率が続けば、2024年秋の自民党総裁選前に衆院解散を断行して勝利し、総裁選を事実上の無投票で乗り切るという長期政権へのシナリオは崩れ、菅義偉前首相と同じように「総裁選不出馬」に追い込まれる可能性が高まる。それこそ岸田政権から禅譲を受ける形でポスト岸田を狙う茂木氏の思惑どおりの展開であろう。
岸田首相は国葬実施を撤回したり、自民党と旧統一教会との膿を出し切ったりすることで、内閣支持率を回復させ、自民党内も掌握し、長期政権への道をつかむことができたはずだ。ピンチをチャンスに変える大胆な一手を放つ好機をみすみす逃し、ジリ貧の道を歩み始めた。