立憲民主党の岡田克也幹事長が7月14日に70歳の古希を迎え、「わが家の亡くなったおばも100歳を超えて元気にしていたので、まだ道半ばだと思っている」と記者会見で述べたと報じられている。岡田氏は「年のことを言われると嫌みを言われているように受け止めるのは私のひがみでしょうか」と笑いを誘ったそうだ(産経新聞)。
何の変哲もない記事に私は見入ってしまった。あの岡田氏が70歳になったのか、受けないジョークも飛ばすようになったのかと感慨に耽ってしまったのだ。
岡田氏はイオン創業家の次男として生まれ、東大法学部ー旧通産省のエリートコースを歩んだ。自民党の竹下登元首相が父親と親しかった縁から1990年衆院選に自民党公認で出馬して初当選し、最大派閥・竹下派(現茂木派)に入った。
竹下派の跡目争いで小渕恵三氏に敗れた小沢一郎氏が自民党を離党して仕掛けた1993年の政界再編で、岡田氏は小沢氏や羽田孜氏らとともに自民党を離党し、新生党結党に参加。新進党が1996年衆院選に敗れて翌年解党した際に小沢氏と決別し、鳩山由紀夫氏や菅直人氏が旗揚げした民主党に合流した。
私が岡田氏を初めて担当したのは2001年、岡田氏が鳩山代表ー菅幹事長のもとで政調会長に起用されていた時である。当時は47歳だった。民主党を立ち上げた「鳩菅世代」と、93年政界再編と同時に政界入りした前原誠司氏や枝野幸男氏ら「政策新人類」と呼ばれる若手の中間的存在で、押しも押されぬ民主党の次世代のホープだった。
政調会長としての岡田氏は極めて合理的に、高い透明性を持って、党内論議を仕切るフェアな政治家だった。寄り合い所帯といわれた民主党内の混沌とした議論を徹底的な理詰めで仕分けていく姿は、当時の永田町では稀有なスタイルで、よく言えば妥協を許さない政策通、悪く言えば四角四面、融通が効かないタイプと言えた。
当時、当選1回だった民主党の衆院議員は「岡田さんと夜の会合から一緒に議員宿舎へタクシーで帰った。ワンメーターの距離だった。到着して岡田さんが代金を支払ってくれたので頭を下げると、『割り勘』と半額を要求された」と私に笑って打ち明けた。ワンメーターでも後輩に割り勘を迫る。これじゃ派閥の親分にはなれないと思いつつ、原理原則を貫く岡田氏らしいエピソードとして強く記憶に残っている。
私たち番記者は岡田氏に「政策ロボット」というあだ名をつけた。本人はまんざら嫌がっている様子はなかった。
堅物の岡田氏を政治家として大成させるには政治記者たちとの交流も必要だと慮った周辺が、マスコミ各社の番記者との懇親会を企画した。私は記者側の幹事役として店の予約などの準備に当たったのだが、テレビ6社、新聞6社、通信社2社の計14社が一堂に会すると、それぞれの記者をゆっくり話ができないと岡田氏が難色を示した。
岡田氏は「テレビ6社と新聞・通信8社で2回に分けて実施してほしい。日は変えて、同じ店で同じ時間から始めて欲しい」と言うので、その通りにした。私は「新聞・通信」グループの一員として懇親会に参加したが、あとから「テレビ」グループの参加者とこっそり答え合わせしたところ、注文する料理ばかりか、岡田氏が切り出した話題の内容も順番もまったく一緒だったのだ。もちろん終了時間も同じだった。原理原則や公平を貫くとこうなるのかと驚くしかなかったことを覚えている。
あれから20余年が過ぎた。
岡田氏は順調に民主党代表となり、2005年の郵政選挙で小泉政権に惨敗してあっけなく辞任し、2009年に誕生した民主党政権では外相、幹事長、副総理の政権中枢を担い、けれども鳩山氏と菅氏に続いて首相の座を射止めたのは自分より当選回数が少ない野田佳彦氏であり…四角四面だけでは生き抜けない浮き沈みの激しい政治人生を歩んできた。裏切られたり、欺かれたり、いろんなことがあっただろう。
党代表経験は3回、党幹事長経験は4回。1993年の非自民連立政権発足から現在に至るまで、立憲民主党の現職のなかで、国会議員として常に自民党に対峙する側に身を置き続けたのは、おそらく岡田氏だけではなかろうか(小沢氏は自自公連立に、菅氏や枝野氏、辻元清美氏らは自社さ連立に加わった。野田氏は96年衆院選で落選している)。
その岡田氏がいま、右往左往する泉健太代表のもとで幹事長を務めている。泉代表は、私が最初に担当した時の岡田氏の年齢とほぼ同じ48歳だ。
今の立憲民主党は、二つに分裂しつつある。
あくまでも自公政権打倒を目指し、維新を含めた野党候補の一本化を画策する小沢一郎氏や小川淳也氏ら非主流派。
安倍政権(清和会)とは全面激突したものの、岸田政権(宏池会)とは財務省を介して接点を持ち、維新と組むくらいなら自公との連携を探る野田佳彦元首相や枝野幸男前代表、安住淳国対委員長ら主流派。
泉氏は両派のうえを右往左往しながら彷徨っており、発言に一貫性はない。どちらからも「いずれは辞任する存在」として見切られている。
長年、政局ばかりを追いかけてきた私からすれば、小沢氏や野田氏、枝野氏、安住氏の考えていることはおおむね察しがつく。いまだに胸の内を読みきれないのは、岡田氏だ。
昔に比べたら柔軟になったにせよ、人間の本質はそう簡単に変わるものではない。やはり原理原則主義の基軸は変わらないだろう。新進党解党以降は野田氏らとともに「反小沢」のポジションを貫いてきた。一方で、野田氏らが自民との連携を探るのなら、そこに行動をともにすれば、自民党とは反対陣営に身を置いてきた岡田氏の政治人生と矛盾してしまう。
私にとって「岡田幹事長」は政局を読む際の撹乱要因である。維新が台頭し、立憲が凋落する今、原理原則主義者の岡田氏がどう動くのか。ちょっとマニアックな視点だが、私は大いに注目している。