政治を斬る!

立憲民主党「消滅」へのカウントダウン —— 小沢一郎が鳴らす終焉の警鐘

「次の総選挙で、立憲は全滅しかねない」——。

この言葉を発したのは、立憲民主党の重鎮、小沢一郎氏である。かつて「政権交代の仕掛け人」として民主党を率い、日本政治に二大政党制を根付かせた男が、立憲に対して「終わりの始まり」を宣言したのだ。

この発言は決して誇張でも、悲観論でもない。実際、今夏の参院選での結果を冷静に読み解けば、小沢氏の警鐘はむしろ現実的な分析に立脚していることが分かる。

与党・自民党が議席を減らす一方、立憲民主党は横ばい。政権への批判票が野党第一党に流れ込むという小選挙区制の「うま味」を得られなかった。

比例票では、国民民主党や参政党といった第三極に後れを取り、得票数では前回衆院選から400万票以上も減らすという衝撃的な結果だった。これは、得票減という点では自民党の倍にあたる「沈没」ぶりである。

とりわけ参政党の台頭は見逃せない。彼らは草の根の支持を集め、全選挙区への候補擁立という戦略を徹底したことで、比例票を大きく伸ばした。保守王国の1人区・群馬では立憲候補を上回って自民現職に迫り、2人区の茨城では立憲現職を蹴落として当選を果たした。

いまや参政党は、自民党にとっても脅威だが、それ以上に、立憲にとっては「存続の脅威」そのものとなっている。

小沢氏は警告する。「次の総選挙では、参政党も国民民主党も小選挙区で候補を立ててくる。そうなれば、立憲の現職であっても勝利は極めて困難になる」と。実際、自民と立憲の「一騎打ち」が基本だったこれまでの選挙構図は、もはや幻想となりつつある。「自民か立憲か」という二者択一の構図が崩れれば、立憲候補が得てきた「よりマシ票」は他党に流れ、立憲の地盤は脆くも崩れ去る。

これは、小沢一郎という政治家の視点に裏打ちされた洞察でもある。

彼は30年前、政界再編と小選挙区制度の導入を推し進めた立役者である。派閥政治から政策本位の政権交代可能な二大政党体制へ——政治改革を主導し、実際に2009年には民主党政権誕生にまで導いた。しかし今、その二大政党体制とともに、立憲民主党が「終焉」しようとしているのだ。

かつての民主党と違い、立憲民主党は強固な理念で結集された政党ではない。むしろ「自民党に代わる受け皿」としての選挙互助会的な性格が強く、野党第一党としての立場を失えば、急速に求心力を失う脆弱な存在である。

立憲の多くの議員は、「自分の努力で票を得た」と信じて疑わない。しかし現実は、「自民党がイヤだから仕方なく立憲に入れる」という消極的支持に過ぎないケースが大半だ。

この点を誤解したまま選挙に臨めば、惨敗は必至である。とりわけ小選挙区では、ちょっとした票の流れの変化が命取りになる。参政党や国民民主党が全国的に候補を立てる中で、「三つ巴」「四つ巴」となれば、立憲の「選挙に強い」議員ですら勝てない。

その危機感を、最も強く感じているのは他ならぬ野田佳彦代表かもしれない。かつて総理経験もある野田氏は、駅頭活動などで有権者に根を張ってきたが、解散総選挙を誘発する恐れがある内閣不信任案の提出にはつねに及び腰だ。自民党との大連立を模索してきたのも「選挙による政権交代はもはや困難」というリアルな状況分析からだろう。

だが、その大連立すら幻に終わりつつある。自民党内で大連立に前向きだった石破茂氏や森山裕幹事長の退潮が濃厚となり、立憲は孤立を深める一方だ。

そうした中で小沢氏は、選対本部長代行の辞任を申し出た。責任を問う姿勢を示しつつも、あえて執行部に退陣を迫らなかった。もはや誰が立憲の舵を握っても、党の凋落は止められないという、静かな「諦め」にも映る。

小沢一郎、83歳。自らが導いた二大政党制の終焉を、今や確信しているのかもしれない。次に起こるのは、立憲民主党の分裂・解体、そして第三極を巻き込んだ政界再編である。

日本の政治地図は30年ぶりの地殻変動に突入しているのだ。