れいわ新選組の櫛渕万里共同代表(衆院議員)が登院停止10日間の懲罰を科せられたのに続いて、山本太郎代表(参院議員)に対する懲罰動議を自民、公明、立憲、維新、国民5党が提出した。
櫛渕氏が衆院本会議で「与党も野党も茶番!」というプラカードを掲げて登院停止10日間の懲罰を科せられたのに対し、山本代表は参院法務委員会で入管法改正案が強行採決される際に委員長席へ飛び込んで自民党議員に「打撲のケガ」を負わせたという理由である。
国会議員が院内でプラカードを掲げただけで登院停止というのは前代未聞の「弾圧」だ。自民・公明与党、日本維新の会や国民民主党の「ゆ党」に加え、立憲民主党まで懲罰動議に賛成し、衆院の95%の賛成で可決されたのは、国会が与党一色に染まって少数勢力を弾圧する戦前の大政翼賛政治の復活を感じさせる出来事だった。
櫛渕氏への懲罰を正当化する主張の中で、私は全く賛同しないものの、それなりに論理性を備えていたのは「本会議は委員会以上に厳粛な場。国会の歴史では委員会で乱闘が繰り広げられることは幾多もあったが、本会議の秩序を乱す行為には厳しく対処しなければならない」という理屈だった。
けれども今回の山本代表の行動は本会議ではなく、法務委員会での強行採決に対する抗議活動である。
私は1999年から国会を取材してきたが、強行採決の際、この程度の乱闘の光景は何度も見てきた。それらに比べると、山本代表の乱闘ぶりは遠慮気味でお行儀がよい。にもかかわらず懲罰を科すのは、数々の乱闘劇を目の当たりにしてきた与野党の国会議員OBたちは一様に首を傾げることだろう。
とりわけ立憲民主党は、国会で野党各党の主張をとりまとめて与党と折衝する立場にあるのに、櫛渕氏に続いて山本代表の懲罰動議に賛成するのは、野党第一党としての責務を完全に放棄しているとしかいいようがない。
それが罷り通ってしまうのは、今の国会が「与野党激突」よりも「少数者イジメ」を優先する空気に覆われているからだ。立憲が野党第一党として「少数者イジメ」に加担するのは、国会史に残る汚点となろう。
国会は危機的状況である。
立憲は入管法改正案に「人命にかかわる問題」として強く反対した。ところが、ともに反対したはずのれいわの山本代表の懲罰動議提出に加わるというのは、国会戦術上の支離滅裂で、理解に苦しむ。
泉健太代表は懲罰動議が提出される直前に行われた定例会見で、山本代表の行為について論評を避け、懲罰動議の是非についても「党本部として検討するようなものではなく、衆院であれば衆院、参院であれば参院の国対や執行部を中心に様々な検討をしている状況だと思う。私は今の時点では何か聞いていることはない」 「参院の中で起きていることについて、参院執行部があるので、まさにその担当している現場の方で、今、判断をしている最中にある」「何かどこかで起きたことについて、全部トップがつぶさなこともわからないという前提で喋ってしまえば、判断を誤ることはありえる。私はまだその段階ではないと思っている」などと述べ、言及を避けた。
この直後に立憲が加わった懲罰動議が参院に提出されたのだから、事実上、参院立憲が参院自民と合意し、泉執行部はそれを追認しただけということだろう。
解散風が強まる中、立憲が党を挙げて反対した入管法改正案にともに反対した他党議員が強行採決に抗議した行動への懲罰動議である。それに賛成するようでは、立憲が入管法改正案に反対した本気度そのものに疑念を抱かざるを得ない。
山本代表の懲罰動議に加担したことで、れいわとの信頼関係も修復不能な次元に悪化し、総選挙では共闘どころか怨念の激突になるだろう。立憲にとって何も良いことはない。野党分断で喜ぶのは自民党だけだ。もはや立憲の延命自体が野党弱体化の最大の要因となっているのだ。
自民党が主導する少数野党への懲罰動議に加わるか否かは、総選挙戦略にも影響を与える。泉執行部が総合的に政治判断すべき事柄のはずだが、参院立憲が参院自民と協議して事実上独断で決定し、それを泉執行部が追認するという経緯で意思決定されたことは、立憲のガバナンス崩壊を象徴する出来事といえよう。
立憲の小西洋之参院議員は山本代表への懲罰動議が議会制民主主義の危機であることを明確に説明している。懲罰制度が濫用され、国会の多数派が少数者を多数決で次々に懲罰し、異論を封殺する恐れがあるからだ。
実にクリアな解説だが、小西氏自身は山本代表の懲罰が本会議で採決されるときに賛成するのか反対するのか注目されるところだ。小西氏は立憲主義を最重視する数少ない国会議員の一人である。これを機に「立憲」の名に値しない少数政党イジメを重ねる立憲民主党を早く見限り、れいわと行動をともにしたほうが筋が通っていると私は思う。
山本代表に対しても「政治的パフォーマンスだ」との批判が出ている。
たしかに強行採決で委員長席に飛び込んでも入管法の可決・成立は阻止できない。その意味では「パフォーマンス」といえばそのとおりだ。
山本代表は、自公与党に徹底抗戦せず、波静かな国会運営を続ける立憲を厳しく批判してきた。立憲が粛々と採決を容認する結果、国会審議は注目されず、世論の関心も高まらず、重要問題法案が多くの国民が気づかないままに次々に成立しているという指摘はその通りであろう。
衆院議員3人・参院議員5人の少数政党であるれいわ新選組が国会で体を張って徹底抗戦し、問題法案によって人権をないがしろにされる少数者たちに寄り添い、少しでも世論の関心を高めようとする努力は、15倍以上の国会議員を有しながら「提案型野党」などと言って迫力を欠く立憲の不甲斐なさと比較して、涙ぐましいものがある。
櫛渕氏が懲罰動議を受けて15分以上にわたって衆院本会議で弁明した演説が広く報道され、れいわの存在感アップにつながったことも、「この道しかない」と山本代表の背中を押したに違いない。
弱小政党が国会本会議で15分の演説時間を与えられる機会はほとんどない。マスコミが報道することもめったいない。そのなかで山本代表が懲罰動機を受けたとしても、その機会に本会議場で演説する機会を得たほうが来るべき総選挙に向けて国民にアピールできるという現実的な計算も働いたことだろう。
もちろん「過激」な抗議行動はコア支持層を固める効果はあっても、一般有権者にはむしろ敬遠されて党勢拡大にはマイナスに働くリスクもある。山本代表はそれを承知で露出度を高めたほうが得るものが大きいと判断したと思われる。
一方で、国会での体を張った抗議活動よりも、積極財政などの政策論争を前面に打ち出すべきだというれいわ支持者も少なくない。いざ解散となれば、山本代表は政策論争に比重を移していくとみられるが、その切り替えは簡単ではない。山本代表の懲罰騒動は、抗議活動から政策論争へ軸足を移す好機である。