リベラル政党で、いま静かに、しかし確実に進行しているのは「離党ドミノ」である。れいわ新選組、日本共産党、そして中道改革連合。総選挙での敗北を契機に、内部対立が表面化し、異論を唱えたメンバーが次々と組織を去っている。これは単なる人事の問題ではない。むしろ、党の統治構造そのものが揺らいでいる兆候と見るべきだ。
特徴的なのは、離党に至るプロセスである。いずれのケースでも、執行部への異議申し立てが党内で処理されず、結果として「外に出るしかない」という選択に追い込まれている。つまり、リベラル政党は「外の敵」と戦う以前に、「内なる異論」を制御できていないのである。
れいわ新選組では、総選挙惨敗後の混乱のなかで、政策委員だった西郷みなこ氏が離党を表明した。彼女は党運営の不透明さや意思決定の閉鎖性をSNSで繰り返し批判してきたが、党内で問題提起は十分に取り上げられなかったという。さらに、れいわ活動用メールに殺害予告が届いた問題をめぐり、党本部の対応が極めて鈍かったことも、離党の決定打となった。構成員の安全確保という組織の基本機能すら十分に果たされていないとの認識が、彼女の中で決定的になったのである。
日本共産党でも同様の構図が見られる。神奈川県議の大山奈々子氏は、党の意思決定プロセスの透明化や党首公選制を求める議論に共感し、SNSなどで発信を続けてきた。しかし党は、これを規約の「精神」に反する行為と位置づけ、最終的に非公認とした。形式上は規律違反と断定できないにもかかわらず、政治的判断として排除に踏み切った点は、党内統制を優先する姿勢を如実に示している。結果として、大山氏は離党し、無所属での活動を余儀なくされた。
中道改革連合でも、事情は大きく変わらない。愛知10区で落選した藤原のりまさ氏は、党の路線に一貫性がないことや、トップダウンでの意思決定に対する不満を理由に離党した。立憲系議員との関係整理や資金調達手法をめぐる方針転換が、有権者に説明できないという問題意識が背景にある。さらに、執行部への批判が十分に受け止められなかったことが、最終的な決断を後押しした。
これら三党に共通するのは、「異論の処理能力」の欠如である。批判を受け止め、組織内で調整し、次の意思決定に反映させるというプロセスが機能していない。その結果、異論は排除され、組織は内向きに収縮していく。支持層は先鋭化し、一般有権者との距離は広がる。この悪循環が、党勢の縮小を加速させている。
対照的なのが自民党である。派閥抗争や不祥事を抱えながらも、同党は異論を完全に排除することは少ない。主流派と非主流派が共存し、人事やポスト配分を通じてバランスを取り続ける。仮に執行部が行き詰まれば、総裁選などを通じてリーダーを交代させる「内部政権交代」が機能する。いわば「振り子」のように権力を揺らしながら、組織の新陳代謝を維持しているのである。石破政権から高市政権への転換は、まさにその象徴だ。
この違いはどこから生まれるのか。最大の要因は、「選挙最優先」という発想の有無にある。自民党は選挙で勝つために、多少の内部対立や矛盾を抱え込むことを厭わない。一方でリベラル政党は、理念や統制を重視するあまり、組織の純化を優先しがちだ。その結果、異論を排除し、結果的に支持基盤を狭めてしまう。
さらに深刻なのは、敗北後の責任の取り方である。自民党では、選挙に敗れれば執行部が退陣するのが原則だが、リベラル側では指導部が居座るケースが目立つ。責任の所在が曖昧なままでは、組織の刷新は進まず、不満は内部に蓄積される。そのはけ口が、離党という形で噴出しているといえる。
現在のリベラル政党が直面しているのは、「政策の敗北」ではない。むしろ、組織運営の失敗である。異論を包摂できない組織は、拡大することができない。仲間を増やせない政党が、選挙で勝てるはずもない。
リベラル崩壊の本質はここにある。理念の正しさをいくら訴えても、それを実装する組織が機能不全に陥っていては、有権者の支持は広がらない。いま問われているのは、政策ではなく、党そのもののあり方なのである。