統一地方選の前半戦が4月9日に投開票された。9道府県(北海道、神奈川、福井、大阪、奈良、鳥取、島根、徳島、大分)の知事選と、6政令市(札幌、相模原、静岡、浜松、大阪、広島)の市長選に加え、各地で都道府県議選、政令市議選が行われた。
最大の焦点は、日本維新の会の戦いだった。結果は、大阪府知事・市長のダブル選に圧勝し、さらには自民が分裂していた隣の奈良県知事選も制して大阪以外で初の「公認知事」を誕生させる「完勝」だった。
維新は結党以来、党運営を主導してきた松井一郎・大阪市長が引退を表明し、馬場伸幸代表ー吉村洋文知事の新体制の行方を大きく左右する戦いだった。
松井氏は自民党の菅義偉前首相と水面下で連携し、自民党よりも立憲民主党を倒して野党第一党の座を奪い取る戦略を掲げて衆参選挙で躍進してきた。自民党以上に過激な安全保障政策を掲げ、憲法改正を推進する姿勢も鮮明にして「自公の補完勢力」と揶揄され、自民党による「野党分断工作」の要でもあった。
立憲(旧民主党や旧民進党を含む)は維新台頭とともに衰退し、政権交代のリアリズムは消え失せた。自民一強政治をもたらした最大の「立役者」は維新であったといっていい。
立憲は昨夏の参院選惨敗後、共産党やれいわ新選組との共闘を見限り、維新との共闘路線に転換。維新は国会での共闘に応じながらも選挙協力は否定したため、立憲が維新の背中をひたすら追いかけるという政治状況が続いてきたのである。
維新にとって立憲と共闘することは、国政選挙で躍進してきた原動力を手放すことを意味する。馬場氏は統一地方選が迫るなかで憲法改正や安全保障政策で過激な主張を強め、「立憲との差」を強調するようになった。
高市早苗大臣を追及する先頭に立ってきた立憲の小西洋之参院議員が衆院憲法審査会の毎週開催を「サルのやること」と揶揄した問題は、渡りに船だった。維新は立憲に対して小西氏処分を強く求め、立憲との共闘を凍結して対決姿勢を演出したのである。立憲は維新との共闘を保つことを優先して右往左往する姿をさらけ出し、選挙戦を盛り上げることができなかった。維新の狡猾な統一地方選戦略が奏功したと言えるだろう。
立憲の影は薄かった。知事選で唯一、自民・立憲の激突となった北海道では惨敗。その他は「相乗り」が目立ち、自民党との対立構図をつくることさえできなかった。
神奈川は現職の黒岩祐治知事が知事選最中に「文春砲」によってフジテレビキャスター時代の女性スキャンダルに見舞われたのに、立憲は候補者を擁立しておらず、事実上の無風選挙だったため「選択肢がない」との不満が県民から噴き出した。野党第一党として「もうひとつの選択肢」を示す責任を放棄したといっていい。
大阪でも維新に遠慮したのか立憲の影は薄く、維新包囲網を主導したとはいいがたい戦いぶりだった。一方で奈良では高市氏が推す元官僚候補に「相乗り」して維新に惨敗し、選挙戦略のチグハグさが浮かび上がった。
自民が3分裂した徳島でも、野党統一候補として当選した参院議員が辞職して出馬した大分でも、立憲は支持候補を絞りきれず、自主投票になった。誰と何を争う選挙なのか、方針がまったく見えなかった。今の立憲の手詰まり感を映し出す統一地方選前半だった。
おまけに立憲選対委員長の大串博志氏が地元・佐賀で自民候補に「必勝為書き」を送っていたことが発覚。自民党に本気で挑む覚悟さえ疑われる「大惨敗」の統一地方選だったと総括できる。
全国的に投票率が伸びなかったのも、野党第一党・立憲が自民党との明確な対立軸を示せず、政治への関心を高めることができなかったからだ。
自民党は内閣支持率が回復する中で統一地方選前半を迎え、旧統一教会問題で大打撃を受けたことは回避したといえるだろう。岸田政権は統一地方選後半と同じ4月23日に投開票される衆参5補選(衆院千葉5区、和歌山1区、山口2区、山口4区、参院大分)を重視しており、この勝敗は今後の解散・総選挙のタイミングを左右するとして注目される。
痛手を負ったのは高市氏だ。地元の奈良知事選で現職知事に対抗し、自らが総務相時代に秘書官を務めた元総務官僚を擁立したものの、自民分裂選挙を招いて共倒れし維新に知事を奪われた責任は大きい。投票日の前々日に地元入りして元総務官僚への支持を強く訴えたが、高市氏の地元での影響力がさほどでもないことを露呈してしまった。
唯一の後ろ盾だった安倍晋三元首相の急逝で後ろ盾を失い、ただでさえ自民党内で孤立感を深めていたが、奈良県知事選での惨敗で党内の風当たりがさらに強まるのは必至だ。放送法の解釈変更をめぐる「捏造」発言でも高市氏擁護の声は党内に広がらない。安倍支持層の熱狂的支持を集めているものの、自民党全体では「異端児」として存在をますます強めていくだろう。
統一地方選前半の最中、国政最大の話題は、自民の高市氏の「捏造」発言と、立憲の小西氏の「サル」発言だった。野党の追及の矢面に立った高市氏と、高市追及の先頭に立った小西氏を処分して切り捨てた立憲が敗れ、維新が漁夫の利を得たといえる。