共産党の志位和夫委員長が6月24日の中央委員会総会で続投を表明した。歴史的な野党共闘に踏み出した2021年衆院選、2022年参院選で得票も議席も大きく減らし、4月の統一地方選でも惨敗。世代交代への期待も出ていたが、それを一蹴し、次の衆院選では「共産党の議席を伸ばすことを最優先に置く」と訴えた。
共産党の志位体制は20年以上続いている。選挙に負け続け、党員が減り続けても、揺るがない。さすがに党員から志位氏の退陣を求める声が噴き出したが、志位氏はこれら党員を除名して体制を引き締めた。言論の自由を抑圧する強権ぶりはコア支持層を結束させたものの、無党派層の共産党離れは加速し、統一地方選の惨敗を招いた。
志位氏もそうした批判を気にしているのだろう。24日の総会では自らの続投を次のように正当化してみせた。
「私個人が政治的に重大な誤りを犯したとか、品性のうえで重大な問題点があるという批判ではありません。つまり、この攻撃の本質は日本共産党そのものに対する攻撃ではないでしょうか」
志位氏個人への批判は、共産党そのものへの攻撃であるーーこの論法は、党首と政党を同一視するもので、党外からは異様に見える。このような発言がまかり通る党の体質を改めることが、共産党再建の第一歩であろう。
そのうえで、志位氏の発言について分析を進めたい。
たしかに志位氏が「品性のうえで重大な問題点がある」とは思わない。しかし、志位氏が「重大な政治判断の誤り」を繰り返したのは事実ではないか。
立憲民主党を信じて野党共闘に踏み出したのは、ひとつの政治決断だった。その結果、共産党候補を絞りこんで共産党が議席を減らしたとしても、野党全体が議席を増やし、自公与党の勢力が弱体化したのであれば、野党共闘は成功したといってもいい。
しかし、現実はまったく逆の方向に進んだ。立憲は共産の選挙区調整の譲歩によって(共産の犠牲によって)議席減を最小限に食い止めたものの、選挙後は「共産との共闘は間違っていた」と総括し、「自公の補完勢力」と揶揄してきた維新との共闘に転じたのである。その結果、岸田政権の防衛力強化はトントン拍子に進み、専守防衛を逸脱する敵基地攻撃能力の保有さえ実現する運びとなったのだ。
結局、共産は立憲の議席維持にいいように利用され、選挙が終われば梯子を外され、立憲は自公維にすり寄り、その結果として日本の安保政策は大きく歪み、自公与党の政権基盤はむしろ強まった。そして共産党の勢力は大きく後退したのである。
政治は結果がすべてである。この一点において、志位氏が歴史的決断として踏み出した野党共闘は失敗したといえる。志位氏の政治責任も免れない。
通常国会終盤に解散風が吹き荒れると、維新は立憲を完全に切り捨て、立憲はやむなく反維新・反自公に転じたが、今さら共産党やれいわ新選組との信頼関係を取り戻せるとは思えない。
志位氏が次の衆院選で野党共闘の継続を掲げつつ「共産党の議席を伸ばすことを最優先に置く」と表明したのは、自らの歴史的決断だった野党共闘の誤りを認めることなく、共産独自路線へゆるやかに軌道修正することを目指したものだ。
だが、この「ゆるやかさ」こそ大敵である。志位体制が続く限り、野党共闘の旗は下ろせず、共産党の立ち位置はぼやけ、埋没し、さらなる議席減は避けられないだろう。
志位体制を一新して、新たな選挙戦略を描き直さないと、もうどうにもならないところまで来ている。志位氏の存在そのものが共産党再生を阻む最大要因となってしまったのだ。
外交防衛政策でも志位氏は大きな過ちを犯した。米国から巨大な軍事支援を受け、国民総動員令を出して国民から出国の自由を奪い、野党の政治活動を強権的に停止させ、対露戦争を遂行するウクライナのゼレンスキー大統領を全面支援し、オンライン国会演説をスタンディングオベーションで称賛したのだ。
志位氏がウクライナ戦争でゼレンスキー政権を全面支持したことは、日本国内世論が「ウクライナ=正義、ロシア=悪」の善悪二元論に染まることを強く後押しした。この結果、岸田政権は国内世論の反発を気にすることなくロシアを敵視し、ウクライナへの自衛隊車両などの軍事的支援に突き進み、巨額の資金援助を表明するに至った。
日本は停戦に動くどころか、戦争当事国の一方に全面的に肩入れし、中立を維持するグローバルサウスなど欧米以外の大半の国々との距離が広がった。ロシアからも敵国視され、軍事的緊張を自ら高めることになったのである。
共産党もゼレンスキー大統領が来日してG7首脳に戦闘機供与を求めた広島サミットなどへの批判に及び腰だった。ゼレンスキー来日の是非への言及も避けた。ゼレンスキー礼賛が、対米追従を厳しく批判してきた共産党の外交防衛政策と大きく矛盾するのは隠しようがない。
志位氏が生き残りをかけて打ち出したのが、共産党のホープである田村智子参院議員を次の衆院選比例東京ブロックに擁立することだった。
志位委員長ー小池書記局長の体制を一新し、田村智子委員長ー山添拓書記局長の新体制へ移行して、野党共闘やウクライナ戦争への対応を仕切り直し、党員への処分問題をはじめ党内批判を封じる民主集中制の考え方も見直して、党再建へ踏み出すのがもっとも合理的な選択である。
志位氏が田村氏を衆院へ鞍替えさせるのは、田村氏へのバトンタッチへの布石とも読める。一方で、次の衆院選の「看板」に田村氏を掲げることで選挙結果に対する責任を共有させ、惨敗した場合の志位批判をかわす狙いもあるかもしれない。
田村氏の衆院鞍替えが志位体制の延命に利用されないことを願うばかりだ。