岸田文雄首相が1月4日、三重県の伊勢神宮を参拝した後、現地で年頭の記者会見をした。日本各地で市中感染が広がりつつあるオミクロン株について、感染拡大地域では「陽性者は全員入院」としてきた取り組みを見直し、自宅や宿泊施設での療養を認める考えを表明したとマスコミは報じている(参照:NHK「岸田首相 “感染急拡大地域 全員入院を見直し自宅療養も”」)。
陽性者を全員入院とせず、自宅療養を認めるというのは大きな政策転換だ。報道各社がこの点を中心に報道したのは当然だと考える人も多いだろう。
だが、首相官邸ホームページで公開された岸田首相会見をよく聞くと、実はもっと重大なメッセージを発していると私は感じている。きょうはそこを読み解いてみよう。
岸田首相はまず「政府は可能な限り国内にウイルスを持ち込ませないようG7で最も厳しい水際対策を講じてきた。その結果、海外からのオミクロン株の流入を最小限に抑えつつ、三回目のワクチン接種の開始、無料検査の拡充、経口薬の確保、医療供給体制の確保など、国内感染の増加に備えるための時間を確保することができた」と自画自賛している。
空港検疫でPCR検査よりも感度のわるい抗原検査を実施して国内流入を許したことなど、いくつか突っ込みたい点はあるのだが、この部分の最大のポイントは、岸田首相が水際対策を「国内流入を絶対阻止」するための措置ではなく、「国内感染の増加に備えるための時間を確保」するための措置と位置付けたことだ。岸田首相は「国内感染の増加」を断固阻止するのではなく「国内感染の増加」に備えていると明言したのである。すでに「国内感染の増加」を受け入れているのだ。
そのうえで岸田首相は「今後は市中感染が急速に拡大するという最悪の事態が生じる可能性に備えるため、水際対策の骨格は維持しつつも、国内における予防、検査、早期治療の枠組みを一層強化し、オミクロン対策の重点を国内対策へと移す準備を始める」と表明している。ここでも「市中感染の急拡大」をすでに織り込み、予防検査や早期治療という「国内対策」を強化していくと述べているのである。
多くの国民は「国内対策」というと「感染拡大防止」を思い浮かべるだろう。政府やマスコミはこの二年間、何度も何度も「感染拡大防止」の旗を振ってきたのだから無理もない。ところが岸田首相は「国内対策」という言葉を「感染拡大防止」の意味で使っていない。「感染拡大」を受け入れたうえで、予防検査や早期治療など「医療供給体制を強化」することを「国内対策」と呼んでいるのである。
いつのまにかコロナ対策の基軸を「感染拡大防止」から「医療供給体制の強化による重症者・死者の抑制」へ変えていたのだ。コロナ対策の防衛ラインを「感染拡大防止」から「重症者・死者の抑制」へじわりと引き下げたといっていい。
岸田首相はそのうえで①医療従事者と高齢者3100万人を対象とするワクチンの三回目接種を前倒しする②感染拡大が懸念される地域での無料検査を拡大していく③経口薬の早期実用化を目指す④自宅療養者の健康観察や訪問診療の体制をつくるーーなど「万全の対策」を講じたうえで、「陽性者を全員入院・濃厚接触者を全員宿泊施設待機」としている現在の取り組みを見直し、自治体の判断で自宅や宿泊施設での療養を認めることにしたと表明した(多くのマスコミ報道はこの部分だけを伝えている)。
このあとにつづく岸田首相の言葉はさらに鮮烈である。一言一句をよく読んでいただきたい。
地域の医療体制をしっかり稼働させる準備を整え、国・地方・医療界が一体となって、国内の感染拡大に先手先手で対応していく。十分な備えをした上で、過度にオミクロン株を恐れることなく、国民皆で協力してこの状況を乗り越えていきたいと思っています。
もうおわかりだろう。岸田首相は「国内の感染拡大に先手先手で対応していく」と明言している。「国内の感染拡大」を受け入れているのである。「感染拡大防止」の政策目標を降ろし、「十分な備えをした上で」「過度にオミクロン株を恐れることなく」「国民皆で協力して」「この状況(=感染拡大状況!)」を乗り越えていこうと呼びかけているのだ。
これは明らかな政策転換である。
私はこの政策転換が間違っていると言っているのではない。むしろ私はコロナ危機当初から基本的人権を制限する過度な行動制限に慎重論を唱えてきた。行動制限よりも「早期検査・早期治療」を可能とする医療供給体制の整備こそ、コロナ対策の本丸であると主張してきた。今回、防衛ラインを「感染拡大防止」から「重症者・死者の抑制」に移し、そこへヒト・カネ・時間をつぎ込むことには賛成である。
しかし、多くの国民は「感染拡大防止」こそ「コロナ対策の基軸」と信じてきたのである。政府やマスコミが旗を振る「感染拡大防止」に従って、行動自粛や行動変容を受け入れてきたのである。「コロナ対策の基軸」を転換するのであれば、国民的合意形成を進めた上で、政策転換を明確にアナウンスしなければならない。「丁寧な説明」を掲げる岸田政権ではなおさらだ。
今回の岸田首相の記者会見を受けて「コロナ対策の基軸は感染拡大防止から重症者・死者の抑制に変更された」と理解した国民はどれほどいるだろうか。多くの国民はいまなお「感染拡大防止」こそ「コロナ対策の基軸」と信じているのではないか。つまり、重大な政策転換が実行されたのに、多くの国民はそれに気づいていないのだ。
以上のように書くと、官邸からは反論が聞こえてきそうである。「岸田首相はちゃんと説明しているではないか。『国内の感染拡大に先手先手で対応していく』『オミクロン株を恐れることなく』とまで言っているじゃないか。それをちゃんと伝えていないのはマスコミじゃないか」と。
まったくそのとおりである。岸田首相ははっきり語っているのだ。「感染拡大防止」を最優先目標から降ろし「重症化・死者の抑制」へコロナ対策の基軸を変更したことを。その「政策転換」を明確に伝え、その意味するところを明確に解説していないのは、マスコミなのである。
この記事を報じた記者は「政策転換」に気づかず、岸田政権がいまなお「感染拡大防止」を最優先にしていると信じ込んでいるのか。それともそれに気づきつつ、視聴者や読者の反発を恐れてあいまいにしているのか。私にはどちらかわからない。おそらくどちらの記者もいるのだろう。いずれにしろ、記者会見の核心部分を明確に報じていないことだけは確かである。
陽性者の自宅療養を認めるという政策決定は、コロナ対策の基軸を「感染拡大防止」から「重症者・死者の抑制」へ大転換させた結果の一部でしかない。「基本原則の大転換」を伝えずに「各論の転換」ばかり伝えるのは日本のマスコミの悪弊だ。まさに「木を見て森を見ず」である。
このようなマスコミの報道姿勢は、岸田政権にとって都合がよい。ふつうは「政策転換」を掲げたら、それが失敗したときに政治責任を追及される。しかし「政策転換」自体があいまいなら、失敗したときに責任追及もあいまいになる。だから「○○新聞さん、今回の首相会見の核心は、『感染拡大防止』の旗を降ろしたことにあるんですよ」とわざわざ耳打ちするようなことはしないのだ。
その文脈で岸田首相会見を改めて読むと、「責任回避」の細工があちこちに施されているのがわかる。この首相会見の発言要領は「有能」な官僚が書いたに違いない。
まずは「水際対策」を「時間稼ぎ」と位置付けたこと。これでウイルスが国内に流入しても「水際対策の失敗」の責任を問われることはない。次に「市中感染が急速に拡大するという最悪の事態が生じる可能性に備える」という言葉。感染拡大を織り込み済みとすることで、そうなった場合の責任をいまのうちから回避している。そのうえに、岸田首相は記者からの質問にこう答えているのだ。
こうした取り組みにもかかわらず、感染が再拡大し、病床が逼迫することが見込まれる場合には、国民の理解を丁寧に得つつ、行動制限の強化も機動的に考えていかなければならない。
医療供給体制が逼迫して重症者や死者が急増する危機に備えて、いまのうちから「行動制限」をちらつかせているのである。つまり「医療崩壊」に陥った時、「なぜ野戦病院を用意しなかったのか」「なぜ医師や看護師を大量に確保しておかなかったのか」という政権批判をかわすため、「次の一手」としていまのうちから再び国民に行動制限を課すことを示唆しているのである。
マスコミが政府の政策転換を明確に報じず、それによって政府の責任があいまいになる。この「負の連鎖」が日本の政治をどんどん劣化させていく。
政治記事は本来、政治家の発言を羅列するだけではなく、その真意を読み解く必要がある。解説を含めてはじめて政治記事として成立するのだ。昨今の政治記事は発言を垂れ流すばかりで権力者にいいように使われている。