安倍官邸が2015年に政権に批判的なTBS番組「サンデーモーニング」を問題視して放送法の「政治的公平」の解釈を変えるよう総務省に迫った問題が、今国会の大きな焦点に浮上してきた。
立憲民主党の小西洋之参院議員がこの経緯を示す内部文書を総務省職員から入手し、参院予算委員会で追及。当時総務相だった高市早苗・経済安保担当相が「捏造文書だ」と反論し、捏造でなければ議員辞職する考えまで示したことで、この問題は一挙にヒートアップした。
当時、安倍首相の補佐官として総務省局長に解釈修正を迫った礒崎陽輔・元参院議員は、内部文書に記された発言の詳細はともかくとして、一連の事実経緯を大筋認めた。その後、松本剛明総務相も総務省に存在する行政文書であることを認めた(文書の内容については精査しているという)。
安倍官邸によるテレビ報道への介入に加え、高市大臣の進退をめぐり、この問題はさらに注目を集める様相である。
総務省が行政文書と認めても、高市氏に議員辞職する気はなさそうだ。自らに関する記載のある4枚について、作成者が記されておらず日時も特定できていないことを根拠として「内容が不正確であると確信を持っている」と主張。たとえ行政文書だとしても内容は間違っており「捏造」であることに変わりはないと開き直った。
高市氏は自らに議員辞職を迫る声に対し「文書が完全に正確だと立証すべきだ」とも反論した。
捏造でなければ議員辞職する→内容が不正確だから議員辞職する必要はない→議員辞職を求めるのなら内容が完全に正確であることを立証すべきだ
この議論のすり替えはあまりに不誠実で、政治家の言葉への信頼を根底から失わせる詭弁である。
そもそも「捏造」は、悪意を持って事実を捻じ曲げることである。言い回しが多少違っていたとしても故意でなければ「捏造」とは言わない。「内容が不正確」と「捏造」はまったく別物だ。
高市氏自身が「捏造」という言葉を使ったのだから、「悪意を持って虚偽の記載をした」ことを立証する責任は高市氏にあるだろう。
そのうえ、文書に記載された文言が「完全に正確」であることの立証を求めるのはナンセンスとしかいいようがない。首相や大臣、首相補佐官らの発言を記録する行政文書は、その趣旨を端的に記すことに目的があり、言い回しが完全に一致する必要はない。高市氏の言い分は支離滅裂である。
高市氏の進退問題は引き続きウオッチしていくとして、今回の記事では、この問題の主戦場が「総務省」であることに着目したい。何しろ登場人物は軒並み、総務省関係者なのだ。
内部文書を入手した立憲民主党の小西議員は総務省出身である。かつての同僚から内部文書を託された格好である。そこには総務省の思惑もありそうだ。
さらには総務省内で旧自治省出身者と旧郵政省出身者の「溝」があることも事態を複雑にさせているとみられる。小西議員は旧郵政省出身者だ。
そのほかの登場人物を紹介しよう(肩書は2015年当時)
■礒崎磯崎陽輔・首相補佐官(参院議員)→ 総務官僚(旧自治省)OB、安倍派の参院議員(2019年参院選大分選挙区で落選)
■高市早苗・総務大臣 → 安倍晋三首相の抜擢で入閣(2022年自民党総裁選では無派閥ながら安倍氏に担がれて出馬。現在は「安倍後継者」として右派に人気だが、自民党内では安倍氏という後ろ盾を失って孤立気味)
■菅義偉・官房長官 → 第一次安倍政権で総務大臣を務めた後、総務省やテレビ業界に絶大な影響力を握る。安倍政権下は官房長官として霞が関全体に睨みをきかせた(岸田政権では反主流派に。今年に入り「岸田降ろし」の狼煙を上げた)
■山田真貴子・首相秘書官 → 総務省出身(旧郵政省出身)。女性初の首相秘書官として安倍官邸に引き抜かれる(のちに菅氏の推しで総務省ナンバー2の総務審議官に出世し、菅内閣では女性初の内閣広報官にも抜擢されたが、菅氏長男による総務官僚への高額接待問題で辞任)
残る主要な登場人物は、安倍首相と、首相最側近の今井尚哉・首相秘書官(政務)である。
総務省の安藤友裕情報流通行政局長(旧郵政省出身)が放送法の解釈修正をめぐり、主要登場人物の間を奔走する姿が内部文書には克明に描かれている。政治ドラマとしてはゾクゾクする展開だ。
実際の文書は小西議員がいち早く公開した。興味のある方はぜひみてほしい(→こちら文書)。
総務省は、叩き上げ政治家の菅氏が政治家として台頭する根源地となった官庁である。総務省への影響力をあしがかりとしてNHKや民放各社への影響力を拡げ、官房長官を経て首相に駆け上ったのだ(そして今もテレビ業界への影響力を背景に「岸田降ろし」を仕掛けている)。いわば「総務族のドン」である。
安倍氏が当時、自らに従順な高市氏を総務相に起用したことは、ポスト安倍をうかがう菅氏を牽制する意味合いがあった。このため、菅氏と高市氏は当時から折り合いが悪い。
総務官僚の主流派は「菅シンパ」である一方、安倍氏を後ろ盾にした高市氏を邪険に扱うこともできない。内部文書が作成された2015年は、総務官僚が「総務族のドン」(菅官房長官)と「現職大臣」(高市氏)の板挟みになっていた時期である。
そこへ安倍派の礒崎首相補佐官が総務省の安藤局長に対して放送法の解釈修正を要請してきた。やっかいなのは、礒崎氏もまた総務省OBなのだが、放送行政を担当する旧郵政省ではなく、地方行政を担当する旧自治省の出身であることだ。総務省はいまなお「旧自治系」と「旧郵政系」の縦割り構図が残っているのである。
ここから先の経緯は、内部文書によると、以下のようになる。
安藤局長が高市大臣へ相談すると、高市大臣は当初、解釈修正に慎重だった。安藤局長は高市大臣の意向を礒崎補佐官に伝えるが、礒崎氏はそれでも引かない。「安倍首相の前に菅官房長官と相談を」と促すと、礒崎氏は激昂して「俺の顔を潰すとタダじゃ済まないぞ」と脅した。
安藤局長は総務省出身の山田首相秘書官にすがりつく。彼女も解釈修正に慎重で「言論弾圧ではないか」とまで言った。「礒崎補佐官は官邸内で影響力がない」とも言い放ち、総務省が礒崎氏を抑え込んで安倍首相に案件を上げないように促したのである。ここには旧自治系の礒崎補佐官と旧郵政系の山田秘書官の主導権争いの様相もにじむ。
礒崎氏は引かず、結局は安倍首相、礒崎補佐官、山田秘書官、そして安倍最側近の今井秘書官の4者会談へ決着は持ち越された。山田秘書官は猛然と反対したが、安倍首相は彼女の予想に反して礒崎補佐官に加担し解釈修正の流れは固まったのだ。
高市大臣は4者会談の報告を聞いて「本当にやるの?」と衝撃を受ける。そのうえで安倍首相に電話で相談するが、安倍首相の意向は変わらない。高市氏が安倍氏に逆らえるはずはなく、国会の総務委員会で解釈修正を答弁するに至るーーというのが内部文書が伝える経緯である。
時は巡り、安倍氏は今やこの世にいない。
高市氏が唯一最大の後ろ盾を失って、自民党内で孤立感を深めている。さらに今春の地元・奈良県知事選に総務大臣時代の秘書官を担ぎ出したものの、菅氏と連携する二階俊博元幹事長を後ろ盾にした現職知事や、日本維新の会が擁立する新人との混戦状態に陥り、政治的基盤が大きく揺らいでいる。
そこへ飛び出した内部文書。安倍氏が前向きだった放送法の解釈変更に当初は慎重だったことが発覚して、安倍支持層から嫌われるのを恐れたのだろうか。それとも内部文書流出の背景に菅氏らによる「高市外し」の気配を感じ取ったのか。議員の地位を賭けてまで「捏造文書だ」と反論する姿には相当な危機感が漂っている。高市氏はどこまでも「文書の内容は捏造だ」と言い張るつもりだろう。
総務省職員が立憲民主党の小西議員に内部文書を託した狙いは何か。総務族議員のドンである菅氏は何を考えているのか。このあたりも注目だ。高市大臣の進退問題に発展すれば「岸田降ろし」が加速する可能性もある。
2019年参院選の大分選挙区の野党共闘候補として礒崎氏を破った安達澄氏が参院議員を辞職して大分県知事選に出馬するため、今年4月に参院大分補選が行われることも見逃せない。この結果は「岸田降ろし」の行方にも影響を与えるだけに、礒崎氏が放送法の解釈変更を迫ったことを示す内部文書がなぜいま流出したのかをめぐって憶測を呼ぶ可能性もある。
この問題が表面化したのは「岸田vs菅」の権力闘争と無縁ではなかろう。菅氏が岸田降ろしの狼煙をあげ、自民党の政治家も霞が関の官僚もどちらにつくかを迫られるなかで始まった「仁義なき刺し合い」のひとつだと私はみている。
今回の記事を踏まえ、以下の解説動画をご覧いただければ、この問題の全体像がより詳しく理解できると思う。総務省文書に描かれた安倍官邸の内幕は生々しい政治ドラマだ。当時の対立構図を頭に入れると、今の政局がよりくっきり見えてくる。