立憲民主党の野田佳彦元首相が、「責任ある減税」を掲げて食料品の消費税ゼロを打ち出した。これだけを聞けば、野党が国民生活に寄り添った政策を打ち出したように見えるかもしれない。
しかし、その実態は「景気を良くする気がまったくない減税」である。これは減税の“皮”をかぶった「プライマリーバランス黒字化競争」──つまり、政府支出の引き締めという“中身”をもった政策だからだ。
ここで紹介するのは、5月18日に行われた立憲民主党福島県連の大会での野田発言である。野田氏は、民主党政権時代に財務副大臣・大臣を経て首相にまで上り詰めた財務族のドン。財政規律を重視する立場を崩さず、「財源なき減税は無責任」という姿勢を一貫してきた。
今回の「一年限定・財源明示の消費税ゼロ」も、党内の減税論に押された形でしぶしぶ打ち出したものにすぎず、野田氏は「赤字国債の発行は絶対に認めない」という原則を譲らなかった。その結果、「一年間だけの減税」となり、景気を刺激する効果はほぼ皆無である。
にもかかわらず、野田氏はこの減税案を「責任ある減税」と自賛した上で、自民党に対し「今年度のプライマリーバランス(PB)を黒字化すると約束してみろ」と挑発した。
ここにこそ、問題の核心がある。
プライマリーバランスとは、国の税収と支出のバランスを示す指標だ。政府の借金返済を除いた通常の支出が税収でまかなえていれば黒字、足りなければ赤字というシンプルな計算式である。
だがこの「単純な家計簿感覚」が、日本経済を30年にわたって停滞させてきた元凶でもある。
国家財政は、家計とは違う。政府は自国通貨を発行できる。資産も信用もある。個人や企業が負債を抱えるのとは意味がまったく異なる。
政府が「赤字」を出しても、それが国民への支出(例えば減税や社会保障)であるなら、民間は「黒字」になる。経済が回る。
ところがPB黒字化を目指すということは、政府が税金で民間からお金を吸い上げ、支出を控えるということだ。つまり、世の中の資金循環が痩せ細り、不景気になる。
この30年、日本政府はPB黒字化を至上命題に掲げ続け、財政を締め付けてきた。その結果が、民間の貧困化と日本経済の長期停滞である。
この方針を主導してきたのが、まさに財務省だ。
野田氏の「責任ある減税」は、財務省との綿密なすり合わせのうえで導き出された「PB黒字化の範囲内で可能な減税」にすぎない。財務省にとっては、財政の帳尻さえ合っていればそれでよい。経済をどう成長させるか、国民の暮らしをどう豊かにするかという視点が完全に欠けている。
財務省はよく「PBが赤字だと財政破綻が起きる」「円が暴落する」「金利が高騰する」と警告するが、それは誇張にすぎない。政府全体のバランスシート──特別会計や資産状況、通貨発行能力を考慮すれば、日本の財政は依然として安定している。問題は、こうした実情を国際社会に説明する能力が財務省に欠如していることにある。
現代は「発信力」が価値を生む時代だ。企業であれば、CEOの説明力一つで株価が上下する。
ところが、わが国の財務官僚たちは東大を出たエリートであるにもかかわらず、国際社会に自信をもって語れる経済的知識も、発信能力も持っていない。そのため、必要以上に財政を引き締め、「これだけ財政健全化しています」と言わんばかりの姿勢を見せることで、批判をかわしているだけなのだ。
こうした「自己保身の財政政策」によって、日本国民は減税も給付も拒まれ、過度な緊縮財政に苦しめられてきた。そして野田佳彦氏の発言は、財務省のそうした“村役場的思考”をそのまま代弁している。
減税とは、国民生活を下支えし、経済を活性化させる手段であるべきだ。だが、財源に制限を課し、その枠内でしか行わない減税は、実質的に経済へのインパクトを封じ込めている。これでは「やっているフリ」に過ぎず、むしろ「減税しました」と言いつつ景気は冷え込む──そんなトリック政策である。
「責任ある減税」という耳あたりのよい言葉にごまかされてはならない。それは、財務省の論理に支配された、無責任な緊縮路線の別名にすぎないのだから。