1999年に東京勤務になった時に驚いたのは、地下鉄の銀座線に乗ったときだった。一本やりすごしても2分で次の電車がやってくる。発着時間を調べる必要はまったくない。これは便利だと思ったものだ。長い東京暮らしで「地下鉄は待たずにやってくる」という感覚がいつの間にか身に染み付いた。
この夏、その銀座線のダイヤが改定され、地下鉄の運行本数が大幅に削減された。平日10〜16時と土休日8〜20時は1時間あたり18本から12本へ、朝夕ラッシュ時も1時間あたり最大4本減った(最も本数が多かった朝8時台は30本から26本となった)。
先日、平日の昼時に銀座線に乗ったが、電車がくるまで5分ほど待った。ずいぶん長く感じた。到着した車両は昼時でもほぼ満員だった。銀座線だけではない。丸の内線、東西線、千代田線も1時間あたり数本が減便されたという。
少子高齢化は首都圏でも加速している。東京に通勤する労働人口はますます減っていく。さりとて低賃金・物価高のなかで運賃値上げは庶民の暮らしを直撃し、相当な反発を生む。運行本数を減らしてコスト削減を進めるのは経営的には理に適った対応策なのであろう。
東京は1999年とはすっかり異なる街になった。
小泉政権の都市再生(規制緩和)と安倍政権の超金融緩和の影響で、デフレ不況は長引くのに東京の地価は上がり続け、不動産価格や家賃は高騰した。
地主は潤い、庶民は困窮する。この20年の清和会(安倍派)政治は強者を助け、弱者をくじく。まさに弱肉強食の政策が相次ぎ、貧富の格差は拡大した。
東京は、お金持ちにとっては居心地が良く、お金がない人々には住みにくい街へ変貌した。地方から上京してくる学生は実家に経済的余裕がなければ、下宿の家賃の工面で精一杯。東京を避けて地元で進学・就職する若者も増えた。
個人で営む飲食店は高騰する家賃負担に耐えかね、店をたたんでいく。地域に根付いた老舗がコロナ禍を機に閉店する光景もよく目にした。ふと気づくと、都心には資金力のある大手チェーン店や高級店しか見当たらず、昔ながらのリーズナブルな人気店はほんとうに少なくなった。
庶民の暮らしは長引くデフレ不況で厳しくなる一方なのに、アベノミクスで地価は高騰し、家賃ばかりが跳ね上がってしまった。東京は大手資本ばかりが跋扈する、無味乾燥な味気のない街に成り下がったと私は感じている。お金がなければ実に息苦しい街となった。若者が敬遠するのは当然だろう。
美味しい店や刺激的な店が減った。新宿も渋谷も銀座も六本木も若者の姿が少ない。青山や恵比寿もかつてほど若者でにぎわう感じはなくなった。街ゆく人々の服装も地味だ(下宿の学生はファッションにお金をかける余裕がない。お金持ちは車で移動する)。街全体が高齢化し、暗く、活気がない。
今夏の参院選で大阪に取材に行ったのだが、大阪駅を降りて最初に感じたのは、若者が多いことだった。服装も明るく、街全体から活気を感じた。先日、平日に横浜駅へ行く機会があったが、大阪と同じように若者で溢れていた。大阪も横浜も東京より遥かに若い。
広告業界の知り合いにきくと、最近は札幌、仙台、金沢、福岡などの地方都市が元気だそうだ。首都圏からこれら地方都市へワーケーションで長期滞在する若者も増えているという。都心への通勤に縛られることを嫌って多様な働き方が広がっている。
会社や地域や持ち家にしがみついて「今を守る」生き方は過去のものになりつつあるのかもしれない。働き方も暮らし方も生き方も大きな変革期を迎えている。
若者たちが「家賃の高い東京」を敬遠し、全国各地に散っている。デジタル化が進み、家賃が高い東京という土地に固執する必要は減った。
若者たちにとって東京はかつてのような「魅力あふれるあこがれの地」ではなくなった。そうなると東京はますます「お金を蓄えた高齢者たちの街」となり、勢いを失っていく。こうして街の栄枯盛衰は繰り返されてきたのだろう。
マスコミの世界は典型的な東京一極集中だった。テレビ局は東京のキー局を中心に系列化され、全国紙も東京本社に権限が集中した。芸能人はテレビ局のある東京を拠点として活動し、若者は東京にあこがれて上京した。それが戦後日本だった。
だが、デジタル化はマスコミの世界も変えつつある。ユーチューバーはテレビ局が独占してきたCM利権を確実に切り崩しているし、芸能事務所を飛び出してユーチューブなどネット上に活動拠点を移して成功する芸能人も増えてきた。中田敦彦さんのように海外に拠点を移して日本へ発信するユーチューバーも珍しくなくなるに違いない。
デジタル化は「人」を「土地」から解放したのだ。どこかに定住せず、拠点を転々としながら働く「ノマド生活」もありふれた光景となるだろう。
このような時代の変化に立ち遅れているのは、旧態依然たる大企業だ。
先日、私の古巣である朝日新聞東京本社のデスクと話す機会があった。彼曰く、いまの20代、30代はいったん東京勤務になると、絶対に東京を離れたくないと考え、上司に媚を売って人事評価を高めようと躍起になっているのだという。「東京こそ勝ち組」「東京こそステイタス」という意識がとても強いそうだ。東京から転出を命じられると、自分は評価されていないと落胆するということだった。
う〜ん、世間の感覚とずれている。いまだに中央集権的な会社内の論理でしかモノを考えられないのか。
世間はもっと先を走っているよ。東京に固執するなんて、もはや時代遅れ。昔の新聞記者は時代の最先端を走っていたのに、今の新聞記者は時代と逆方向に走っている。新聞記事が面白くないのもこのあたりに大きな原因があるに違いない。
若手新聞記者たちよ、つまらないプライドは捨て、もっと今の社会に、今の時代の中に身を投じよう!その方が人生、楽しいよ!
私自身も2分おきに地下鉄が来ることに慣れた「ゆとりなき生活感覚」からとっとと逃げ出すことにしよう。