東京都江東区は西に隅田川、東に荒川、南は東京湾に面し、運河が行き交う水彩都市だ。人口は約54万人。タワマンが並び立つ豊洲などベイエリアと、富岡八幡宮など昔の街並みが残る門前仲町など旧市街を併せ持つ。都心を凝縮した街といえるかもしれない。
この江東区を舞台とした衆院東京15区補選(4月28日投開票)は、裏金事件で大逆風を受ける自民党が独自候補擁立を早々に断念し、自公与党は推薦も見送るなかで、野党系9候補の大混戦となった。
マスコミ情勢調査で上位5人の激しい戦いが伝えられ、全国注目の選挙戦となったのである。おおむね以下の順位が予想されていた。
マスコミ情勢調査による事前予測
①酒井菜摘 立憲民主党(共産支援)
②金澤ゆい 日本維新の会
③飯山あかり 日本保守党
④乙武洋匡 ファーストの会(小池百合子知事支援)
⑤須藤元気 無所属(れいわ山本太郎代表が個人応援)
私は選挙戦最終日の4月27日夜、各候補の最後の訴えを聞きに江東区へ向かった。マイクを握ることができるのは午後8時まで。もちろん全候補の演説を聞いて回るのは不可能だ。
幸いなことに、多くの陣営は最終マイクを地下鉄東西線の門前仲町〜木場〜東陽町の間の永代通りのどこかで行うことを予定していた。永代通りは江東区のメインストリートだ。とくに門前仲町は東西線と大江戸線が交錯するホットコーナーである。あたりには商店街があり、大型店舗もあり、富岡八幡宮もある。広大な木場公園は区民の憩いの場だ。東陽町には区役所もある。
実際に酒井、金澤、飯山、乙武、須藤の各陣営もこの一帯に選挙事務所を構えていた。そして酒井氏をのぞく各陣営は実際に永代通りで最後のマイクを握ったのだ。酒井氏だけは少し離れた豊洲のタワマン街をマイク納めの場所に選んでいた。
私は酒井氏の演説を聞くことをあきらめ、午後6時から午後8時まで門前仲町〜東陽町の区間を歩いて往復することにした。門前仲町から東へ向かって歩き始めた。
最初に遭遇したのは、ガラス張りの街宣車に乗った維新の吉村洋文知事と金澤氏だった。やはり維新は「吉村一枚看板」なのだ。
永代通り沿いにある酒井氏の事務所は、投票日前日とは思えないほど、静まり返っていた。今回の選挙で注目を浴びた「特定陣営による選挙妨害」を警戒しているのか、入り口は閉ざされている。近くにある参政党の事務所に多くの支持者が出入りしているのと対照的だった。
新聞記者人生で数多くの選挙事務所を見てきた。どの選挙事務所もたくさんの有権者に来訪してもらうため、扉を開放し、明るく迎え入れるのが通例だった。投票日前日に門戸を閉ざしている事務所は珍しい。今回の選挙でも他の陣営はどこも扉を開いていたので、酒井事務所の警戒ぶりは一際目立った。
東陽町まで歩くと、学歴詐称疑惑が再燃した小池百合子知事がガラス張りの街宣車に乗り込んで「ウグイス嬢」をしていた。隣には昨年の江東区長選に出馬し当選した元都庁幹部の大久保朋果区長が寄り添っている。
小池知事の言葉はほとんど記憶に残らないほど中身は薄かった。乙武氏がこの場に到着するまでの「つなぎ」でマイクを握っている様子だった。SPの姿は目立つが、人だかりはできていない。多くの人は小池知事本人が街宣車の中でマイクを握っていることに気づいていないようだった。
ほどなく乙武氏が歩道を通ってハイタッチを重ねながら到着した。国民民主党の玉木雄一郎代表と一緒だ。
乙武氏は街宣車の前でマイクを握り、選挙妨害にあい続けながらも選挙活動をここまでやってきたことを強調した。その間、小池氏はガラス張りの街宣車から降りず、車窓から乙武氏をただ眺めていたのである。これもまた私が見たことのない異様な選挙演説の風景だった。
小池氏も選挙妨害を目の当たりにし、警察に対応を強く迫ったと報じられていた。街宣車から降りてこないのは警戒態勢を強めているせいかもしれない。だが、私にはそれだけが理由とは思えなかった。小池氏は「乙武氏を応援している」というアリバイづくりをしているだけで、この選挙に何がなんでも勝利するという気迫はまったく伝わってこなかったのである。
学歴詐取疑惑が再燃して補選出馬・国政復帰を断念したことで、気力が急速に萎えているのかもしれない。7月の都知事選不出馬の可能性も十分にあるという印象を強く与える姿だった。
結局、乙武氏は5位で大敗。1週間前の目黒区長選に続いて小池知事が擁立した候補は連敗となり、選挙に強い女帝という「小池神話」は崩壊した。
同じ東陽町には、無所属で元格闘家の須藤氏が電飾のたすき姿でひとりで街頭演説に立っていた。
立憲民主党の参院議員だったが緊縮財政政策に反発し、れいわ新選組の山本太郎代表が前回都知事選に出馬した際に応援して立憲を離党し、消費税減税を掲げて衆院東京15区補選に出馬。地元出身の著名人として知名度は高い。
れいわは都内での立憲との候補者調整に踏み切り、財政政策が最も近い須藤氏の推薦を見送った。東京22区から14区へ転じた櫛渕万里共同代表は個人として立憲・酒井氏の応援に駆けつけた。一部支持層からの反発を踏まえ、山本太郎代表が個人として須藤氏の応援に入ったが、最終日はたったひとりで街頭に立っていたようだ。
蓋を開けてみると、須藤氏は2位の大健闘。維新や日本保守党、ファーストの会という政党色は敬遠され、無所属の須藤氏に無党派層の票は流れたのだろう。れいわは消費税減税を前面に掲げて須藤氏をしっかり後方支援すれば存在感を示せたのではなかろうか。衆院選に向けて立憲との関係が難題となりそうだ。
東陽町から西へ引き戻すと、富岡八幡宮の前に人だかりができていた。全陣営のなかで圧倒的に盛り上がっていたのはここだ。日本保守党の最後の演説である。あちこちで日の丸がなびいている。
ほどなく党代表で作家の百田尚樹氏や河村たかし名古屋市長に加え、候補者の飯山あかり氏が到着した。「ナオキ、ナオキ」「アカリ、アカリ」のコールが湧き上がる中、百田氏がマイクを握っていきなり勝利宣言した。
「みなさん、こんばんは! 私はね、マイク納めの現場に立って確信しました。私たちは勝ちます!」
日本保守党はネット上で圧倒的な存在感を示している。自民党が独自候補擁立を見送ったことで、自民党右派の票も吸収する可能性がある。マスコミ情勢調査でも、当初本命視された乙武氏を上回り、2位や3位につけている結果もあった。いちばん勢いづいているのは間違いない。
一方で、ネット上の盛り上がりが実際の投票に結びつかない前例は少なくない。この夜、富岡八幡宮に集結した熱狂的な聴衆たちも、東京15区以外から駆けつけた人々が少なからずいただろう。
初の国政選挙でどのくらい得票を伸ばすのか。日本保守党の実力が可視化されるだけに、百田氏らは全力でこの補選に臨んだのだった。
結局、飯山氏の得票は伸び悩み、4位に沈んだ。日本保守党は存在感を示したものの、小選挙区で勝ち抜く難しさに直面したといっていい。衆院選に向けて戦略の練り直しを迫られそうだ。
富岡八幡宮から門前仲町の交差点へ戻ると、維新の吉村知事に加え、馬場伸幸代表、藤田文武幹事長、音喜多駿政調会長の党幹部が勢揃いし、金澤氏とともに街宣車に上がっていた。
維新は「野党第一党の奪取」を掲げ、この補選で立憲を打ち負かすことに躍起になっている。馬場代表は「立憲をぶっ潰す」「立憲には投票しないで」と露骨に叫び、反自民よりも反立憲の姿勢を鮮明にしていた。
その維新の金澤氏は立憲の酒井氏に遠く及ばず、無所属の須藤氏も下回る3位に。一時の躍進の勢いは大阪万博への批判で完全に止まり、無党派層にそっぽを向かれている実態をさらけ出した。
立憲を倒して野党第一党を奪う目標は極めて険しい道のりだ。衆院選へ向けて根本的な戦略の見直しを迫られることになる。
マイク納めが迫る午後8時前、なんと維新の演説会場に立憲の酒井氏の街宣車が現れた。維新の街頭演説に配慮しているのか、無言で過ぎ去っていく。永代通りにある酒井氏の選挙事務所へ戻るのだろうか。
酒井氏は少し離れた豊洲のタワマン街で蓮舫氏らと最終演説をしているはずだった。
豊洲から門前仲町までは車で10分ほど。まだ時計の針は午後8時を迎えていない。なぜ酒井氏の街宣車が門前仲町を走っているのか? 早めに演説を切り上げてしまったのか?
選挙最終日、午後8時をすぎたらマイクは使えないが、午後11時59分まで選挙運動は可能だ。候補者は最終演説会場に残って、駆けつけた支持者らと手を握り合うのが通常の風景である。
豊洲には聴衆が集まらなかったのか? それとも酒井陣営はマスコミ調査を受けて余裕綽々で早めに切り上げてしまったのか? 私は理解に苦しむばかりだった。
蓮舫氏がXに投稿した写真によると、たしかに豊洲の聴衆は多くはない。門前仲町の維新や、富岡八幡宮の日本保守党の方が人だかりができていた。
ひょっとすると、立憲は最終演説の動員力で維新や日本保守党にかなわないとみて、あえて各陣営が集結する門前仲町を避け、豊洲を選んだのかもしれない。土壇場で勢いの差が可視化されることを嫌ったのでないか?
豊洲のタワマンには子育て世代が多い。夕刻に演説するのなら聴衆が集まりやすい場所だ。しかし、午後8時前の最終演説には不向きな場所である。
最終演説は選挙活動を支えてくれた支援者やボランティアをねぎらい、最後にいまいちど結束を確認し、23時59分ギリギリまで支持を訴える「最後の引き締め」の舞台でもある。それを早々に打ち切り、午後8時まで時間が残っているのに、無言の街宣車を走らせて帰還するとは…。
選挙結果は、立憲・酒井氏の逃げ切りである。投票率が伸び悩んだうえ、トップを走る立憲への批判票が残る4人に分散したことが最大の勝因であろう。野党分断によって長期政権を維持してきた自民党が不戦敗となった結果、野党第一党の立憲が「その他の野党の分裂」に救われて逃げ切るという、皮肉な結果となった。
たったひとりが当選する小選挙区制度は、大きな政党ほど優位であることを改めて印象付ける選挙となった。