日本記者クラブ主催で行われた参院選の党首討論会。与野党8人の党首が一堂に会し、それぞれの政策やビジョンを示す重要な場となったが、今回の討論会は「既存政党の限界」と「新興勢力の台頭」があらわになった象徴的な舞台だった。
まず注目されたのは、石破茂総理の姿勢だ。「この国の将来に責任を持つ」と掲げながら、内容は事実上「減税否定」と「現金給付」のセット。物価高対策として、国民に一律2万円を支給し、非課税世帯や子どもにはさらに2万円を加算する案だが、その財源は「税収の上振れ」頼み。結局、財務省の意向に沿った“ドケチなばらまき”政策に終始した。難解な言葉と長々しい答弁を繰り返し、国民の疑問にまともに答えないその姿勢には、もはや限界すら感じる。
一方、立憲民主党の野田佳彦代表は、「物価高からあなたを守り抜く」と掲げながら、強調したのは「赤字国債は発行しない」という点。食料品の消費税を一時的にゼロにする案を出したものの、石破政権と変わらぬ財政規律重視の枠にとどまっており、こちらも“積極財政”とは程遠い。まるで財務省の了解がないと何もできない政治の縮図を見せられているようだった。
結局、石破と野田の両者に共通するのは、「緊縮財政の土俵」でしか政策論争をしていないことだ。これでは国民生活の本質的な改善にはつながらない。採点は、どちらも「不可」。二大政党の党首がともに“落第点”なのだから、今の日本政治の閉塞感も当然だろう。
これに対して、国民民主の玉木雄一郎代表と維新の吉村洋文代表は、現役世代に焦点をあてた政策を打ち出し、明確な対抗軸を提示した。
玉木代表は「現役世代から豊かになろう」と掲げ、住民税非課税世帯への給付が高齢者偏重だと批判。手取りを増やす積極財政を訴えた。吉村代表は「社会保険料を下げる改革」を掲げ、歳出削減によって財源を生み出すことを前面に。両者とも、現役世代の不満に応える形で、自民・立憲のシルバー民主主義に一石を投じたといえる。採点は「可」。石破・野田との世代的・思考的ギャップが鮮明になった。
ただ、同じ世代でも、既成政党の限界を超えるには至っていない。そこで存在感を増していたのが、新興勢力のれいわ新選組・山本太郎代表と参政党・神谷宗幣代表のふたりだ。
山本代表は「物価高対策に矮小化するな」とし、30年の経済停滞と緊縮財政の誤りを強く批判。消費税廃止を訴え続けるその姿勢は、他の党首と一線を画していた。とりわけ、「小手先の現金給付では根本的な解決にならない」という主張には説得力がある。
一方、参政党の神谷代表は「日本人ファースト」を掲げ、外国人労働者や円安による日本資産の流出への不安を訴えた。経済政策ではれいわと近い一方で、社会的には保守層の受け皿を狙う独自色を強めており、トランプ現象に重なる「反グローバリズム」の空気もにじんでいる。既成政党に不信を抱く層への訴求力は抜群だ。
山本・神谷両者の採点は「良」。一貫した主張、明確なメッセージ、そして古い政治からの脱却をめざす姿勢は、無党派層を惹きつける可能性が高い。
なお、公明党の斉藤鉄夫代表と共産党の田村智子委員長は、それぞれ「物価高を乗り越える社会保障」「自公少数で消費税減税」を掲げたが、いずれも現状を打破するインパクトには乏しい。特に斉藤代表は討論の中で立憲・野田氏への攻撃に時間を費やし、政策そのものの説得力を欠いた。田村氏は歯切れは良いが、立憲との共闘という“幻想”から脱しきれず、訴求力に限界が見えた。両者とも「可」もしくは「不可」に近い評価だ。
そして最後に、マスコミの役割も問われる。今回の討論会では、朝日・読売・毎日といった老舗新聞の記者たちが質問役を務めたが、その内容は緊縮財政を前提としたものが多く、「積極財政か否か」という本質的論点が掘り下げられることはなかった。大連立の可能性にも踏み込めず、肝心な争点が意図的に排除されていた印象すらある。
マスコミが「政権監視」よりも「政権擁護」に傾くとき、民主主義の健全な判断は失われる。その意味で、今回の討論会は物足りなさが残る内容だった。