自公両党は11月10日の党首会談で、新型コロナウイルス感染拡大を踏まえた経済対策として①18歳以下を対象に10万円相当(現金5万円とクーポン券5万円相当)を給付する②親の年収が960万円以上の子どもは給付対象から外すーーことで合意した。
公明党は所得制限を設けず一律給付するよう主張していたが、自民党は所得制限にこだわり、岸田文雄首相と山口那津男・公明党代表の党首会談に決着が持ち越されていた。結局は山口代表が「所得制限を設けても対象のほとんどをカバーできる」として譲歩した。
コロナ対策をめぐっては、昨年に全員一律で10万円が支給されたものの、そのあとは個人への一律給付は行われていない。今回も①18歳以下の子ども②親の年収が960万円未満ーーと対象を限定した給付となった。
自公両党の合意は、お互いの主張を足して二で割ったような内容で、いったい何のための給付なのか、非常にわかりにくい。きょうはこの「親の年収が960万円未満の18歳以下の子どもに限定した10万円相当の給付」について、重要な二つの論点を提起したい。
①コロナ支援策なのか、子ども支援策なのか
根本的な問題は、何を目的とした給付なのかがあいまいなことである。自公両党は「コロナ対策」と説明しているが、コロナ対策ならば、なぜ対象が「18歳以下の子ども」だけなのか。まったく筋が通っていない。
コロナで行動自粛を迫られ、すべての人々が大なり小なり不都合を被っている。それに対する国家として報いるための給付、さらには、この国で暮らす人々が一体感・連帯感をもってコロナ危機に向き合うことを後押しするための給付なら、昨年同様、全員一律でなければおかしい。
コロナ対策を理由に掲げながら給付対象を「18歳以下」に限定すれば、対象となる世帯と対象とならない世帯の間で「みんなコロナで苦しんでいるのに、なぜ子どものいる世帯だけが優遇されるのか」という不公平感が広がり、社会の連帯感を醸成するどころか分断を招く恐れがある。巨額の税金を投じる事業が社会の分断を引き起こすとしたら、それは「まずい政策」というほかない。
コロナで生活が厳しくなった人々を救うことが目的ならば、「18歳以下」に限定するのではなく「一定所得以下の世帯」をすべて対象にしなければおかしい。
そもそも「18歳以下」という年齢で対象を限定した現金給付を「コロナ対策」と位置付けること自体に無理がある。これは「コロナ」と銘打てば予算を獲得しやすくなるという、実に旧来的な発想に基づく政策なのだ。
私は子育て世帯の支援を目的とする給付に反対しているのではない。それならば「コロナ対策」と銘打たずに、真正面から「子育て支援」とか「子ども手当」と説明すべきである。子育て支援はコロナ対策の一回きりで終わるものではない。もっと恒久的な支援を国民に約束しなければ、安心して子どもを生み育てる社会をつくるための「投資」にはならず、単なる「一時的な人気取りのばらまき政策」でしかない。
緊急性を要する「コロナ対策」と継続性が重要な「子育て支援」をごちゃごちゃにして「やった、やった」と実績をアピールしているのが、今回の「10万円相当給付」の実態である。政策理念も政策目的もあいまいなまま「お金を配ってやるから喜べ」といった「上から目線」を強く感じさせる給付なのだ。
民主党政権はとかく批判されるが、子ども手当は非常に優れた政策であった。どんな立場の子どもでもこの国で暮らしている限り一律に、継続的に、政府から現金を受け取れるという制度は、子どもを安心して生み育てる社会の実現へ極めて効果的な政策だった。
子ども手当は、いま子育てをしている世帯を支援するだけでなく、これから子どもを育てたいと考えている人々の生活設計を助け、安心させ、応援する政策であるところに大きな意味がある。だからこそ、制度が安定的に継続することが必要なのだ。「コロナ名目の一回きりの子ども支援」は「安心して生み育てる社会の実現」とはほど遠い。自公の「子育て支援」政策はどこまでもピンボケである。
②なぜクーポン券を使うのか
もうひとつの問題点は、10万円すべてが現金給付ではなく、半分をクーポン券としたことだ。子育てや教育など使途を限定したクーポン券を配布するとみられる。
自公両党はそもそも「現金給付」よりも「クーポン」が大好きだ。GOTOトラベルも地域振興券も、自公両党が提起するのは毎度「クーポン」である。いったいなぜか。税金を直接個人へ投入する以上、使い道を自由にさせたくないのだ。
クーポンにすれば、使途を限定できる。すると、使える店(業界)と使えない店(業界)がでてくる。店(業界)はクーポンが使える対象になるように、政治家や官僚に働きかける。その見返りとして、政治献金や天下りが発生する。まさに利権の温床だ。
自民党が個人への直接給付を嫌い、業界への支援を好むのも同じ理由である。個人に一律に直接給付したところで、政治献金や天下りといった見返りはほとんど期待できない。一部の業界に限定した支援で「差をもうける」ことで利権が発生するのだ。
民主党政権の「子ども手当」は、学校や幼稚園・保育園を支援するのではなく、個々の世帯に一律に直接給付するという意味で、自民党政権で実現することはなかった画期的な政策だった。自民党が政権復帰し、民主党政権で芽生え始めた「個人への一律の直接給付」の政策文化が一気に冷めてしまったのは残念だ。
「業界への支援」から「個人への支援」への転換は、不正の温床を解消するだけではなく、政治への参加意識を高め、さらには内需拡大を進める経済政策としても理にかなっていると私は思っている。ここは与野党の大きな対立軸となるのではないか。
クーポン券給付は「個人へ直接給付しても何の得もない」と考える自民党・霞が関がわずかでも「利権」の余地を残そうとしたものなのだろう。とても後味の悪い政策だ。