新型コロナウイルスのワクチン接種や検査証明で行動制限を緩和する「ワクチン・検査パッケージ」制度の要綱案を政府がまとめた。
ワクチンの2回目接種から14日以上経過したことが確認されれば、大人数の宴会やイベントなどへの参加が可能になるということらしい。ワクチン接種の有効期限は定めないそうだ。
ちょっと待って欲しいという内容である。
ワクチンは重症化予防にはかなり効果があるものの、感染防止効果は不十分という見方がほぼ定まってきている。ワクチンを接種しても、コロナに感染したり、他人に感染させたりする可能性は十分にあるということだ。それなのになぜ、ワクチンを接種した者だけが行動制限を緩和されるのだろうか。まったく非論理的・非科学的である。
行動制限を緩和しながら感染拡大防止をめざすとしたら、必要なのはワクチンではなくPCR検査の拡大だ。直前の検査で陰性となった者に限って行動制限を緩和するほうがよほど効果がある。
ワクチンパスポートなどに税金を投入するよりも、無料PCR検査を拡大して「陰性証明」を持った者に限って大人数の宴会やイベント、GOTOトラベルなどの参加・利用を認めるという「正攻法」をなぜ実施しないのか、まったく理解できない。貴重な税金はワクチンパスポートよりも無料のPCR検査拡大に使うべきだろう。
仮にワクチン接種者の行動制限を緩和する理屈が成り立つとすれば、「感染拡大防止」を目的としたものではなく、「重症化予防」によって「医療現場への負担を減らす」効果を狙うためという説明しか成り立たない(たとえばGOTOトラベルに参加した人が旅先で発症して重症化し、旅先の医療機関に負担をかけるのを防ぐというケースが想定される)。
それにしても、ワクチンと行動制限をリンクさせるのはやはり無理がある。行動制限の目的が感染拡大防止である以上、PCR検査で陰性であることを義務付けるのなら合理的・科学的だが、ワクチン接種の有無で判断するのはどう考えても筋が通らない。
しかも、ワクチンは効果が数ヶ月から半年程度しか続かないという見方が強まっているのに、2回目接種から14日以上経過したことが確認されれば行動制限を緩和するというのは、あまりに非論理的・非科学的である。ワクチンを接種すれば未来永劫効果があるのならまだしも、時間が経過すれば効果が落ちていくのに、ワクチンパスポートの有効期限がないというのは、もはや笑い話でしかない。
それでもワクチン接種の有無で行動制限の緩和の是非を判断するのは、①PCR検査や医療体制の整備よりもワクチン接種を最優先にし、ワクチンに巨額の税金を投入してきた政府の方針を自己正当化するため②ワクチンパスポートなど巨額の税金をつぎ込む「ワクチン利権」の分配が水面化で固まっているためーーという歪んだ動機しか私には思いつかない。
政府の官僚や専門家たちがこんな非論理的・非科学的な政策を容認しているのだから、この国の行政は完全崩壊しているといえるだろう。官僚も専門家も論理崩壊でめちゃくちゃだ。
気になるのは、野党やマスコミも「ワクチンの限界」や「ワクチンと行動制限のリンク」について厳しく追及していないことである。その結果、「ワクチンを接種しているから感染したり感染させたりしないので安心」と信じている国民は少なくない。政府が発信する「フェイクニュース」をマスコミが流布し、野党が黙認しているという状況がずっと続いているのだ。
その一方で、政府寄りの専門家やマスコミはネット上でワクチンに関する「デマ」や「フェイクニュース」が飛び交っていると強調している。自分たちの非論理的・非科学的な説明を棚に上げて、ネット上のフェイクニュースをいくら叩いても説得力は皆無だ。
なぜこのような非科学的・非論理的な政策がまかりとおってしまうのか。
おそらく政府はコロナ対策の柱から「感染拡大防止」をおろしているのである。一定の感染拡大を容認し、医療体制の強化によって重症化や死亡を防ぐことに政策目的を変更しているのだ。
しかし、政府はそれを国民に明確にアナウンスしていない。国民の多くはコロナを怖がっており、一定の感染拡大を容認すると発信すれば、猛反発を受けることを恐れているのである。だからこそアナウンスなきまま、じわじわと「感染拡大防止」の政策目標をひっこめていくのだ。実に姑息な政治である。
その姑息な政治をマスコミはたたかない。マスコミも論理や科学を重視せず、ひたすら世の中の「ムード」で報道している。だから政府も論理や科学を重視しなくなったのだ。
コロナとワクチンの問題は、この国の政治と報道に「論理」がいかに欠如しているかを露呈させた。ワクチンは重症化を防ぐものであり、感染拡大防止の効果は不十分だ。ワクチン接種を条件に行動制限を緩和するのはまったくもって非論理的・非科学的であることを徹底追及しないのなら、野党やマスコミも政府の共犯であると指摘しておかねばならない。