日本の右傾化を主導してきた安倍晋三元首相が凶弾に倒れ、安倍氏を失った自民党最大派閥・清和会(安倍派)が凋落するなかで迎えた今年の終戦記念日。恒例の「閣僚の靖国参拝」の様子は少し変わった気がした。
8月15日に参拝したのは、安倍氏から自民党総裁選に担がれた高市早苗・経済安全保障担当相(無派閥)と初入閣の秋葉賢也復興相(茂木派)の2人。高市氏は「国務大臣高市早苗」、秋葉氏は「秋葉賢也」と記帳した。
この2人に加え、13日には安倍派リーダーの座を狙う西村康稔・経済産業相(安倍派)が参拝している。ちなみに西村氏と安倍後継を争う自民党の萩生田光一政調会長(安倍派)は15日に参拝した。
岸田文雄首相は参拝せず、自民党総裁として私費で玉串料を納めることにとどめた。昨秋にハト派宏池会(岸田派)としては約30年ぶりとなる岸田政権が発足した後、秋季例大祭と春季例大祭の期間中に参拝した閣僚はいなかった。
終戦記念日にあたり、松野博一官房長官(安倍派)は12日の記者会見で、首相や閣僚の参拝について「首相が適切に判断する。私も同様だ」と慎重な姿勢を示し、閣僚19人のうち5人は記者会見で参拝の予定はないと明言していた。
ちなみに2年前、安倍政権最後の終戦記念日には当時の小泉進次郎環境相、萩生田文部科学相、衛藤晟一沖縄北方担当相、高市総務相の4人、菅義偉政権の昨年は萩生田文科相、井上信治科学技術担当相、小泉環境相の3人が参拝した。このうち萩生田氏は「文部科学大臣」と記帳している。
閣僚の靖国参拝の判断にはそれぞれの政治信条に加え、政界での立ち位置が大きくかかわっている。
岸田首相やキングメーカーの麻生太郎副総裁が15日参拝を控えるなかで、自民党内に「上層部にアピールするために参拝する必要はない」というムードが広がっており、今年は靖国参拝への熱気はなかった。超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」はコロナ感染拡大を理由に、代表者が参拝する予定を取りやめた。
やはりトップの姿勢で組織の空気は変わるのだろう。
靖国参拝を大きな政治問題にしたのは清和会の小泉純一郎政権だった。そこから20年にわたる清和会時代は幕を開けた。
安倍氏が凶弾に倒れ、統一教会問題が清和会を直撃した今夏は、清和会時代が幕を閉じる日本政治史の節目である。岸田首相や麻生氏が再興を目指す「大宏池会」へ権力の中心が移行したことを映し出す「靖国参拝」だったといえるのではないか。
そのなかで今年の靖国参拝で注目すべきは、萩生田氏、西村氏、高市氏の3人だ。いずれも「安倍後継」の座を狙い、極右の安倍岩盤支持層へのアピールのためには靖国参拝は欠かせなかった。
西村氏は安倍派事務総長として安倍氏銃撃事件直後に奈良の現場に駆けつけ、その後も安倍私邸に出入りして家族葬の準備を取り仕切り、マメに動いて存在感をアピールした。あまりにも前のめりな動きに対して「西村氏が事務総長の立場を利用して重要な役目を独り占めしている」との不満が派閥内に広がり、むしろ反感を高めることになった。
西村氏は経産官僚出身で当選7回(衆院兵庫9区)。兵庫県明石市のサラリーマン家庭に生まれ、灘高→東大→経産省とエリートを進んだ。同級生によると10代から政治家志望を公言し、官界へ進んだという。
2003年に初当選した後は最大派閥・清和会に入り、森喜朗元首相ら時の権力者に巧みに取り入ってきた。強い政治信念は感じられず「西村氏の言動をみたら目下の権力の中心がどこにあるかがわかる」という陰口も聞く。安倍氏銃撃事件後の振る舞いも「姑息」という印象を強めたかもしれない。
萩生田氏や高市氏に先駆けて13日に参拝したのも「一足先にマスコミに報道されて安倍支持層の目を引く」という、西村氏らしい狡猾なメディア戦略だったのではないか。
安倍派のリーダー争いで西村氏よりも一歩先に出たのは萩生田氏だろう。
東京都議から国政に進出し当選6回(衆院東京24区)。西村氏と同じ2003年初当選組だが、自民党が下野した2009年衆院選で落選したため、当選回数は一回少ない。
政界では安倍氏の最側近は萩生田氏だったということで衆目一致している。実際、安倍氏がもっとも気楽に話ができる政治家は萩生田氏だったようだ。
萩生田氏は一方で、清和会のドンとして君臨してきた森氏や菅義偉前首相への配慮も欠かさず、信頼を勝ち得てきたことでも知られる。萩生田氏としては安倍氏の心をつかみながらも、自分は安倍一本足打法ではなかったという自負もあろう。
清和会は安倍系と福田系の抗争の歴史がある。安倍系筆頭格の下村博文氏は統一教会の名称変更を認めた文科相として激しく批判を浴びており、安倍派リーダー争いから脱落した感が強い。
同じく安倍系実力者である世耕弘成・参院幹事長は衆院へ鞍替えして総理・総裁を目指す意欲をみせているが、安倍氏が不在になった時点で参院議員であることは後継争いに出遅れたといえるだろう。
安倍氏が寵愛してきた稲田朋美・元防衛相は近年、ジェンダー問題でリベラルな姿勢をみせはじめてから安倍氏に遠ざけられた。安倍氏は稲田氏の代わりに高市氏を重用した経緯があり、これまた出遅れ組だ。
一方、福田系のプリンスである福田達夫氏は内閣改造人事直前に自民党と統一教会の関係について「正直、何が問題かわからない」と口を滑らして猛烈な批判を浴び、今回は要職に起用されなかった。萩生田氏にとって福田系の重鎮である松野博一官房長官と高木毅国会対策委員長はライバルであるものの、まずは安倍系筆頭格の座を固めるには、最大の競争相手は西村氏ということになるだろう。
今回の内閣改造人事の直前、岸田首相は「骨格を維持する」としつつ、萩生田氏を経産相から政調会長へ横滑りさせるとマスコミ各社が報じた。萩生田氏は記者会見でこの報道に対し「俺は骨格ではなかったのかという思いもある」と不満を見せた。おそらくこの時、自らの後任に西村氏が起用される可能性を察していたのだろう。萩生田氏は「安倍氏の後継者は松野官房長官、西村経産相、そして自分の3人に絞られた」と思っているのではなかろうか。
そしてもうひとり忘れてはならないのは、高市氏である。
安倍氏が昨秋の自民党総裁選で無派閥の高市氏を擁立し、全力で支援したことは、安倍派の実力者たちには衝撃だった。高市氏は安倍氏好みの右派路線を徹底し、安倍支持層は高市支援に熱狂したのである。
安倍氏としては無派閥の高市氏を担ぐことで安倍派内で後継者を絞り込まず、自らが派閥会長として当面君臨し、三度目の首相返り咲きのチャンスをうかがうという思いがあったに違いない。ただ、安倍支持層が予測以上の熱狂ぶりで高市氏を支持したことは、安倍氏にとってもあるいは誤算だったのかもしれない。
だが、高市氏としては「安倍後継」の座を掴んだ(あるいは掴みつつある)という自負があろう。安倍氏が突如政界から姿を消し、唯一最大の後ろ盾を失った彼女にとって、いまや安倍支持層の熱狂的支持だけが頼みの綱である。それを背景に岸田ー麻生体制と渡り合い、政治的立場を強化していくしか道はない。靖国参拝は絶対に継続しなければならないのだ。
高市氏にはもうひとつ勝算があるかもしれない。それは他の女性政治家がパッとしないことである。
今回の内閣改造で女性閣僚は高市氏と初入閣の永岡桂子文科相(麻生派)の二人だけだった。昨年の総裁選にともに出馬した野田聖子氏は閣外に去り、一気に存在感が薄まる気配だ。安倍派の稲田氏も安倍氏に見切られて後ろ盾を失った後は埋没気味だ。
茂木派のホープである小渕優子氏は過去の政治とカネの問題を引きずっているうえ、茂木敏充幹事長に警戒されていることもあり、入閣から遠ざかっている。岸田派で入閣を重ねてきた上川陽子氏は今回も入閣を予想する見方があったが、菅氏に近いことから岸田首相や麻生氏には警戒感もある。
自民党以外でも東京都知事の小池百合子氏は今回の参院選に擁立した側近が惨敗し、影響力の低下は隠しきれず、国政復帰の気運は消えつつある。最大の後ろ盾だった二階俊博元幹事長が非主流派に転落し、高齢のゆえ政権中枢に復帰する見通しがたたないことも、小池氏が展望を失っている大きな要因だ。
岸田首相が高市氏を入閣させたひとつの理由は、他に有力な女性閣僚候補が見当たらなかったということもあろう。高市氏の答弁の安定ぶりを評価する声は強く、「これからも女性政治家として活用するとすれば自分しかいない」という自信も高市氏にはあるのだろう。
新進党から自民党へ移り、清和会に身を寄せつつ、野田氏や小池氏、稲田氏らが脚光を集めるなかで、地味な政治人生を歩み、最後は安倍氏に引き立てられて首相候補に躍り出た高市氏は、なかなかしぶとい政治家だと私はみている。安倍氏という唯一の後ろ盾を失い、自民党内の基盤は極めて弱いのは事実であるが、これからもその動向を注視していく必要があろう。