政治を斬る!

石破総理と読売新聞の「全面戦争」──石破退陣報道は「誤報」だったのか?

7月20日投開票の参院選で自民党が惨敗した直後、読売新聞が号外まで出して放った「大スクープ」が政界とメディア界を揺るがせた。「石破総理が退陣の意向を固めた」という報道である。

ところが、石破総理本人は「辞めるとは言っていない」とただちに全面否定。リベラル派を中心に読売新聞に対して「誤報だ」という批判が広がり、石破擁護論が広がるきっかけにもなった。

読売新聞は9月3日朝刊で「結果として誤報になった」と認め、編集局長や政治部長らの処分を発表した。

だが、読売の自己検証記事は単なる謝罪ではなかった。読売は逆に「石破総理の説明は虚偽だ」とし、オフレコ取材の経緯を赤裸々に明かしたのだ。これは石破総理への反撃、宣戦布告といっていい。

現職総理と巨大新聞社がここまで激突するのは、政治報道史でも極めて異例である。石破総理と読売新聞は「全面戦争」に突入した。

今回は、朝日新聞政治部で長年政治取材の最前線に立ち、デスクとして政局報道を仕切った私の視点で、「石破vs読売」の戦いを公平にジャッジしてみたい。


「退陣意向」取材の舞台裏

読売の検証記事によれば、読売新聞政治部は総理の進退に関する取材を7月中旬から本格化させた。石破氏本人への直接のオフレコ取材も行い、7月20日午後には「道筋をつけて次の人に受け渡す」という趣旨の発言を得ている。翌日の会見では続投を明言したものの、21日以降も「交渉が終われば辞めてもいい」などと退陣を示唆する発言を繰り返していた。

22日夜には側近に「辞めろという声があるのなら辞める」とも語った。さらに23日には麻生、菅、岸田の元総理3人に意向を伝える段取りまで進めていたという。

こうした取材を積み重ね、読売は「首相退陣へ」と号外を打ったのである。だが、石破氏はその直後に態度を硬化させ、「誤報だ」と真っ向から否定したーーというのが読売新聞の主張だ。


総理の「ウソ」とメディアの責任

政治家の進退発言ほどあてにならないものはない。取材の現場にいた者なら誰もが知る「常識」だ。総理が一度は退陣の意向を漏らしても、世論の風向きや党内情勢次第で簡単に翻す。

実際、私自身が朝日新聞政治部デスク時代、当時の菅直人総理の退陣をスクープしたことがある。直接電話取材を行い、菅氏が岡田幹事長に辞意を伝えたという「事実」を確認して報じた。こう書けば、仮に本人が心変わりしても誤報にはならない。

読売の失敗は二つある。第一に、石破氏の変わり身の早さを甘く見たこと。第二に、記事の表現だ。「退陣の意向を周辺に伝えた。退陣表明の時期は慎重に検討していく」とファクトベースで書けば済むところを、「退陣する意向を固めた」と書いた。この書き方では、本人に「意向を固めていない」と言われたら、反論しにくい。


それでも読売の報道は意味があった

では、読売は完全に間違っていたのか。私はそうは思わない。

あの時点で石破氏が退陣やむなしと考え、側近に辞意を伝えたこと自体は事実だろう。本人が表向きは続投を装い、後になって態度を変えたのである。

この経緯を伏せたまま総理の言葉を垂れ流すだけなら、国民は政権運営の真実にたどりつけない。権力者は辞任の意向を固めつつ、それをひた隠し、次の政局の主導権を握るため、さまざまな画策をするものだ。総理の表向きの発言を垂れ流すだけなら、水面下の政界工作に加担することになる。

もちろん、記事の書きぶりは不適切だった。石破総理はこれまで発言の迷走を重ねており、今回も辞意を撤回するのではないかと想像するべきだったのも間違いない。

とはいえ、総理の続投宣言をそのまま垂れ流しただけの大半のメディアに比べれば、より核心に迫った点は評価されるべきだろう。


権力とメディアの緊張関係

今回の騒動は、メディアと権力の関係を改めて考えさせる。

石破氏は誤報を盾に読売を攻撃し、逆に続投の正当性を強調する材料に使った。一方の読売は、オフレコを破ってでも「総理はウソをついた」と突きつけた。

両者の全面戦争は、単なる誤報騒動ではない。メディアが権力者の「隠された本音」を暴き出す使命をどこまで果たせるのか、そしてそのリスクをどう引き受けるのかという根源的な問題を突きつけている。