今夏の参院選で最大の争点は「減税の是非」──そう思い込んでいる有権者は少なくないだろう。しかし、これはマスコミが描いた表層的な構図に過ぎない。自民党と立憲民主党が激しく対立しているように見えて、実は両者の根本的な立場は驚くほど一致しているのだ。
キーワードは「財源なくして減税なし」──財務省が30年にわたり政治と国民に刷り込んできたこの論理に、自民も立憲も、そして多くのマスコミも縛られている。
与野党に共通する「ザイム真理教」の信仰
自民党の森山幹事長は、参院選の争点は消費税だと強調し、野党の減税案に対して「財源をどこに求めるのか」と真っ向から批判している。これは財務省の主張と完全に一致している。
一方、立憲民主党の野田佳彦代表も、選挙公約として「1年限定・食料品に限った消費税ゼロ」を打ち出したものの、赤字国債の発行には反対の立場を明言。財源を確保したうえで減税を実行すべきだと訴えている。
つまり、表面的には減税反対と減税賛成という構図に見えるが、実際には「財政の収支は合わせるべき」という一点において、両者の立場は一致している。これこそ、財政健全化を絶対視する「ザイム真理教」の教義に他ならない。
この思想は、ここ30年の日本経済を覆い、政治家や官僚、マスコミ、そして国民にまで広がってきた。その結果、日本は継続的なデフレに苦しみ、経済大国の地位を他国に譲るまでに衰退したのである。
減税論争の裏にある「大連立構想」
一方で、国民民主党やれいわ新選組などの中小政党は、「赤字国債を発行してでも減税を行うべきだ」と主張し、従来の財政均衡路線に異議を唱えている。
昨年の総選挙で両党が若い世代を中心に支持を伸ばしたことから、二大政党も無視できなくなり、減税をめぐる“対立”を演出している。
だがこれは、あくまで票の流出を防ぐための方便に過ぎない。参院選後に自民と立憲が手を組む「大連立構想」を視野に入れているのではないかという観測すら浮上している。
大連立が実現すれば、国民の反発を受けやすい消費税増税も、一気に押し進めることが可能になる。なぜなら、参院選後は3年間、国政選挙が行われない「黄金の安定期間」に入るからだ。
つまり、今回の選挙は、「減税をめぐる論戦」の体裁をとりつつ、その裏では「財政の収支を合わせる」という同一の信念(「ザイム真理教」と呼ばれる思い込み)のもとに動いている。そこにこそ、有権者が見抜くべき本質がある。
真の争点は「赤字国債の是非」である
参院選で問われるべきは、「減税の可否」ではない。「財源なき減税は許されない」という財務省主導の路線に、政治がこれからも従い続けるのか、それとも「赤字国債という手段を用いて、国民生活を支援し、経済を成長させる」方向にかじを切るのか。これこそが、本来あるべき対立軸である。
しかし、マスコミはその論点を積極的に取り上げようとはしない。「赤字国債=悪」という財務省のフレームに囚われ、選挙報道も対立構図も、形だけのものに堕している。
だが、世界に目を向ければ、赤字国債はごく一般的な財源調達の手段である。企業だって収支を一致させてはいない。将来への投資として、借金をしながら設備投資や人件費を確保し、成長を目指す。政府がそれを行って何が問題なのだろうか?
実際、日本政府には大企業をはるかに上回る資産と信用がある。特別会計や外貨準備、通貨発行権、徴税権を含めれば、財政破綻のリスクは極めて低い。だが、財務省は「一般会計」という小さな箱だけを持ち出して、「もう財源がない」と危機感を煽る。
それはなぜか。財務省の力の源泉が、限られた予算を配分する権限にあるからだ。お金が足りない状況をつくることで、各省庁や自治体、業界団体に対して影響力を維持できる。「財政の収支は一致させねばならない」という教義は、実は彼らの権力の根幹なのである。
マスコミ報道に惑わされるな
今年の参院選は、戦後日本で初めて、財政の在り方そのものが争点となる可能性を秘めている。減税するかどうかという枝葉末節ではなく、「財政均衡を絶対視する思考から脱却できるか」が、本質的な論点だ。
マスコミの報道に流されてはならない。減税の是非という見せかけの争点に目を奪われるのではなく、「なぜ財源が必要なのか」「赤字国債は本当に悪なのか」「財政政策とは本来どうあるべきなのか」を見つめ直すべき時がきている。
有権者一人ひとりの判断が、これからの日本の経済政策と政治構造を大きく左右する。その分かれ道に、私たちは立っている。