れいわ新選組の櫛渕万里衆院議員への懲罰動機が5月25日の衆院本会議で可決された。自民、公明の与党に加え、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党の野党3党も賛成し、衆院議席の95%以上の圧倒的多数の賛成によって、ひとりの国会議員へ懲罰動機が突きつけられた。
いよいよ国会が与党一色に染まり、少数者を弾圧する「大政翼賛体制」が現実味を帯びてきたという恐怖を抱かずにはいられない。
とりわけ、国会で各野党をとりまとめて与党と対峙する立場にある野党第一党の立憲民主党が、少数政党の議員の懲罰動機に積極的に加わったことは、この国の議会制民主主義の危機を映し出している。
動機に賛成した立憲議員たちは、自分たちの投票行動の重みを理解しているのか。甚だ疑問だ。
これは「院内の秩序維持」という名を借りた「少数者イジメ」「少数者弾圧」そのものである。超えてはいけない一線を超えてしまったというほかない。
立憲執行部の判断に対して党内から異論がまったく聞こえてこないのも驚きだ。
立憲主義の核心は「数の力」から少数者の基本的人権を守ることにある。この党が唱える「立憲」や「多様性」という理念は建前にすぎず、その内実は極めて薄っぺらいことを、今回の問題は端的に示したといえよう。
もはや「立憲」という政党名を掲げる資格はない。そういう政党に成り果てたのだ。
櫛渕氏は5月18日、防衛財源確保法案をめぐり鈴木俊一財務相に対する不信任決議案の採決の際に本会議場の壇上で「与党も野党も茶番!」と書かれた紙を掲げた。
これに先立ち、れいわの大石晃子衆院議員も5月12日の衆院本会議で、塚田一郎財務金融委員長に対する解任決議案の採決の際、岸田文雄首相の写真に「NO!」「もっと本気で闘う野党の復活を」などと書いた紙を掲げた行為が問題視され、厳重注意を受けていた。
自公立維国5党は「れいわ新選組の度重なる問題行動に対して注意にとどめ、自主的な更生に期待し、温情をもって接してきた」が、「反省の意思はなく、これ以上看過できない」「国会審議を冒涜し、無礼極まりない」として、櫛渕氏の懲罰動機に踏み切ったと説明している。櫛渕氏個人ととどまらず、与野党双方に抗うれいわ新選組全体への強権的警告と受け止めていいだろう。
櫛渕氏は懲罰動機の採決に先立って登壇し、「行きすぎた」行為について「おわび」するとともに、国民生活を無視した法案が「数の力」で次々に可決されていく国会の現状に対し、れいわがただちに多数派を形成して対抗することは難しく、そのなかで少数政党(れいわの衆院議員は3人)として「やむにやまれず」行動したと弁明した。
5党は今後、衆院懲罰委員会で具体的な処分(重い順に「除名」「登院停止」「陳謝」「戒告」)を協議する。旧NHK党の参院議員だったガーシー氏は国会に一度も出席しないことで懲罰動議が可決され、国会で「陳謝」する処分が決定したものの応じず、最終的には「除名」されて議員の地位を失った。
櫛渕氏もまずは「陳謝」の処分を受ける可能性が高い。それを拒めばガーシー氏と同様に「除名」に発展する恐れがあるため、現時点で早めに「陳謝」を受け入れる姿勢をみせて沈静化を図ったうえで、懲罰動機採決前の登壇の機会を利用してれいわとしての主張をアピールしたのだろう。
少数政党が本会議で登壇して発言できる機会はめったにない。ピンチをチャンスに変えた対応ともいえる。
与野党が歩み寄る大政翼賛的な国会を目の当たりにして、少数政党がそれに抗うにはどうしたらよいか。
れいわは投票を引き延ばす牛歩戦術や壇上で紙を掲げて叫ぶ抗議行動を繰り返してきた。これらはもちろん政治的パフォーマンスである。
そんなことをしても採決の行方は変わらない、時間の無駄だ、という批判もあろう。一方で、こうした抗議行動をとらないと、少数意見は報道もされず、黙殺される。一人でも多くの人々に反対の声を届けるため、政治をあきらめかけている人々に希望を届けるため、まさに「やむにやまれない行動だ」という賛同もあろう。
れいわの国会戦術に対して支持・不支持(あるいは好き・嫌い)があるのは当然である。
ちなみに私自身は昨年夏の参院選でれいわ支持を表明し、今もれいわに期待している。牛歩戦術や壇上での抗議活動については「ひとつの国会戦術としてあっていい」という考えだ。「院内秩序を乱す」などという批判に怯む必要はまったくない。
ただし「国会戦術」である以上、成果があがるのであればどんどんやるべきだし、成果があがらないのであればやめたほうがよい。
この場合、何を「成果」とするかは、政党の目標によって異なる。「選挙に勝って党勢を拡大する」ことが目標なら、選挙で議席がどれだけ増えたか、政党支持率がどれだけ上がったかが成否を判断する指標となるし、「少数派の声をできるだけ多くの人々に届ける」ことが目標なら、抗議行動がどれだけ大きく報道され、SNSで拡散されたかが指標になる。
れいわの山本太郎代表は常々、「一刻も早く中規模政党になる」ことを目標に掲げている。そうならば、今年に入って多用している国会での抗議行動の成否は、今春の統一地方選での獲得議席や政党支持率の推移から判断すべきであろう。
この点からすると、れいわは維新や参政党などの新興勢力と比べてやや伸び悩んでいる感は否めない。
国会での抗議パフォーマンスはれいわのコア支持層を固める効果はあるものの、支持層を広げる効果はさほど見られない。中規模政党への躍進を本気で目指すのなら、来るべき解散総選挙に向けて戦術面の見直しが必要ではないか。「積極財政」による「誰一人見捨てない政治」という政策理念を前面に打ち出したほうが私は効果的だと思う。
話を元に戻そう。
仮に他の政党がれいわの国会戦術を支持しないとしても(好きになれないとしても)、国会議員としての行動に対して懲罰動議を提出して処分に追い込むことは、まったく別の問題だ。
憲法51条は「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない」と明記している。「国会内の問題は、国会内で解決しなさい」と定めている。
その国会で反対意見や少数意見を「数の力」で強権的に排除することがまかり通れば、大政翼賛体制になってしまう。だからこそ、国会が国会議員を処分することは、慎重の上に慎重を期さねばならない。
採決の際に壇上で紙を掲げて反対を叫ぶ言動に与野党が寄ってかかって「懲罰」を課すことは、どう考えてもやりすぎだ。解散総選挙の機運が高まるなかで、与野党双方への批判を強めるれいわの言動を抑圧する党利党略そのものではないか。数の力で批判を封じる言論弾圧にほかならない。
立憲民主党は「与党も野党も茶番!」と批判されて激怒し、懲罰動議に加担した。解散総選挙が迫るなかで自分たちの議席維持しか考えず、野党第一党としての責任を自ら投げ捨てたのだ。